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注目新刊:ボイル『無銭経済宣言』紀伊國屋書店、ほか

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★まもなく発売となる注目新刊を列記します。


『nyx 第4号』山本芳久/乙部延剛ほか著、堀之内出版、2017年8月、本体2,000円、A5判並製275頁、ISBN978-4-906708-71-0
『五つの証言』トーマス・マン/渡辺一夫著、中公文庫プレミアム、2017年8月、本体800円、文庫判224頁、ISBN978-4-12-206445-4
『無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2017年8月、本体2,000円、46判並製496頁、ISBN978-4-314-01150-1
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』フランス・ドゥ・ヴァール著、柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2017年8月、本体2,200円、46判上製416頁、ISBN978-4-314-01149-5



★『nyx 第4号』は第一特集が「開かれたスコラ哲学」(主幹=山本芳久)、第二特集は「分析系政治哲学とその対抗者たち」(主幹=乙部延剛)。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。大学の紀要や「中世哲学研究」のような学会誌ではない、一般発売されている思想誌でスコラ哲学が主題になるのは哲学書房の『季刊哲学』以来ではないでしょうか。第一特集では、アラスデア・マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-)の論文集『The Tasks of Philosophy』(Cambridge University Press, 2006)の第九章「自らの課題に呼び戻される哲学――『信仰と理性』のトマス的読解」(野邊晴陽訳;Philosophy recalled to its tasks: Thomistic reading of Fides et Ratio)が訳出されています。


★『五つの証言』は、巻末の編集付記によれば、トーマス・マンの『五つの証言』(渡辺一夫訳、高志書房、1946年)と第一部とし、渡辺一夫のエッセイおよび「中野重治・渡辺一夫往復書簡」(『展望』誌1949年3月号)を第二部として独自に編集したもの、とのことです。帯文に曰く「古典名訳再発見。不寛容な時代に抗い、戦闘的ユマニスムのほうへ。ナチスと対峙した精神のリレー」と。目次を以下に掲出しておきます。


目次:
トーマス・マン『五つの証言』に寄せて(渡辺一夫)
五つの証言(トーマス・マン著、渡辺一夫訳)
 一 トーマス・マンの最近の文章を読んで(アンドレ・ジード)
 二 ボン大学への公開状
 三 ヨーロッパに告ぐ
 四 イスパニヤ
 五 キリスト教と社会主義
寛容について(渡辺一夫)
 文法学者も戦争を呪詛し得ることについて
 人間が機械になることは避けられないものであろうか?
 中野重治・渡辺一夫往復書簡
 寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか
解説 第六の証言(山城むつみ)


★中公文庫プレミアムの既刊書については同レーベルのブログ「編集部だより」をご覧ください。続刊は10月予定で、ヴェーバー/シュミット『政治の本質』清水幾太郎訳、とのことです。



★マーク・ボイル『無銭経済宣言』は『The Moneyless Manifesto: Live Well. Live Rich. Live Free』(Permanent Publications, 2012)の翻訳で、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2011年;The Moneyless Man: A Year of Freeconomic Living)に続く、ボイル(Mark Boyle, 1979-)による待望の第二作です。「「お金がないと生きられない」というのは、ぼくらの文化が創りだした物語にすぎない。自然界や地域社会とのつながり、生の実感、持続可能な地球を取りもどすための新しい経済モデルを提起した、フリーエコノミー運動創始者による「カネなしマニフェスト」。貨幣経済によらない生活のノウハウも多数紹介」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序文は、『聖なる経済学』(Sacred Economics: Money, Gift, and Society in the Age of Transition, North Atlantic Books, 2011;非営利の日本語訳)の著者であるチャールズ・アイゼンスタイン(Charles Eisenstein, 1967-;アイゼンシュタインとも)が寄せています。曰く「実際に会って話してみたら、〔ボイルは〕聖人ぶったところがまったくなく、傲慢さとも無縁の人物だった。だからこそ、マークのメッセージは多くの人の共感を呼ぶのだろう。〔・・・〕彼いわく、金銭の放棄は、つながり、親密なつきあい、冒険、真の人生経験にいたる道である。善人と認められんがために身を犠牲にする道どころか、喜びの道であり、豊かさの道とすらいってもいい。/本書のひとつの意義は、その道をほかの人にも開いた点にある」(13頁)。「マークの著作は、つながりと喜びにあふれた生き方の単なる解説にとどまらない重要性を持つ。新しい体制の精神的いしずえを築いた点でも意義がある。来るべき革命も、マークの論じた深みに到達するものでなければ加わるに値しない。生命の流れに身をまかせ、寛大さこそが人間性の本質であると認識し、与える者は与えられると信じる次元まで踏みこんだ変革でなければ」(16頁)。


★ボイルはアイゼンスタインの序文に続く「はじめに」でこう書き綴っています。「本書の存在意義はもちろん、人間とカネの関係の再検討が必要だと信じる論拠を説明するのみにとどまらない。究極の目的は、読者が金銭ぬきで生活のニーズを満たせる(または少なくとも金銭への依存を小さくできる)方法を幅広く紹介することにある。自分自身の生きかたをもっと自分で決められるような、豊かな創造性を発揮できるような方法。自然界と地域社会に与えるマイナスの影響をおさえて、プラスの影響をふやす方法。喜びを感じなくなった仕事から自分を解放してやる方法。あるいはただ、自分のなかに存在することすら気づいていなかった未知の領域への道すじを」(27頁)。


★ボイルはこうも書いています。「いずれにしろ100%ローカルな生きかたを、ぼく自身は強く望んでいる。〔・・・〕全面的なローカル化が極端な経済モデルだと感じられるのは、極端にグローバル化した今日の経済と比較するからであり、ローカル化できない最新の電子機器に身も心も奪われた人の視点で見るからである。/ブラジルのアマゾンに住むアワ族のように、人どうしのきずなも大地との結びつきも強い民族から見たら、極端なのは、今日の工業化社会における暮らしぶりのほうだ。極端なのは、地球上の栄えある生命を、採鉱、皆伐、トロール漁にとって効率的に現金化できる資源の一覧表としか見ない世界観のほうだ。極端なのは、気がねなく隣人に助けを求めるどころか、近所にどんな人が住んでいるかすら知らない現実だ。極端なのは、空き部屋のある家があふれている地域で、路上に寝起きする人がいることだ。極端なのは、銀行にカネを返済するために、やりたくもない仕事をして人生をすごすことだ。そもそも銀行が無から作りだしたカネなのに。極端なのは、タダで与えられたものの代金を、同じ自然界に属する他者に請求することだ。自分の受けた贈り物を分けてやるのは引きかえに何かをくれる相手にかぎると言って。極端なのは、善人気どりで食品の紙パックをリサイクルしながら、がけっぷちにむかって歩いていくことだ。極端なのは、自分の力では止めようがないとばかりに、事態の進展に手をこまねいていることだ」(92頁;原書では42~43頁)。


★「子どもに価値ある未来を残してやるやめには、ただちに、皆の力で新しい物語を創造しはじめなくてはいけない。持続可能で、いまの時代にふさわしい物語を。〔・・・〕ユダヤの賢者ヒレルはこう言った。「きみがやらねば、誰がやる。いまやらねば、いつやる」。次世代に必要なのは、自己認識を拡張し、立ちあがっていまの文化を変えていく勇者だ。/そのひとりになろうではないか」(150頁)。本書は理論編と実践編の二部構成で、フリーエコノミーの思想と方法を読者に教えます。これはおそらく人類にとって、本気のサバイバルのためのバイブルです。


★ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』は『Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?』(Norton, 2016)の翻訳。帯文に曰く「ラットが自分の決断を悔やむ。カラスが道具を作る。タコが人間の顔を見分ける。霊長類の社会的知能研究における第一人者が提唱する《進化認知学》とはなにか。驚くべき動物の認知の世界を鮮やかに描き出す待望の最新作」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください(リンク先では試し読みもできます)。「私の主要な目的は、進化認知学への熱意の高まりを伝え、この分野が厳密な観察と実験に基づく立派な科学へと成長する過程を描き出すことだ」(362頁)と著者は書きます。訳者解説によればドゥ・ヴァールの提唱する進化認知学とは「人間とそれ以外の動物の心の働きを科学によって解明するきわめて新しい研究分野」であり、本書は「その格好の入門書」だと評されています。


★ドゥ・ヴァールはこう書きます。「それぞれに神経が通っていて独立した動きをする八本の腕の一本一本に行き渡ったタコの認知機能や、自分の発する甲高い鳴き声の反響を感じ取り、動き回る獲物を捕まえることを可能にするコウモリの認知能力と比べると、私たち人間の認知だけが特別だなどとははたして言えるだろうか」(12頁)。「私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、自己の焦点を合わせたものではなく他者志向だ。私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままのかたちで評価しなければならない」(359~360頁)。人間中心主義を乗り越える新たな地平が読者に提示されます。


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★続いて、既刊と新刊の中から注目書を列記してみます。


『月刊ドライブイン vol.04』橋本倫史取材/撮影/文、2017年7月、本体463円、A5判並製40頁、ISBNなし
『魔法をかける編集』藤本智士著、インプレス、2017年7月、本体1,600円、四六判並製240頁、ISBN978-4-295-00198-0
『フリーメイソン――秘密結社の社会学』橋爪大三郎著、小学館新書、2017年8月、本体840円、新書判304頁、ISBN978-4-09-825315-9
『映画とキリスト』岡田温司著、みすず書房、2017年8月、本体4,000円、四六判上製376頁、ISBN978-4-622-08624-6
『HUMAN LAND 人間の土地』奈良原一高写真、復刊ドットコム、2017年8月、本体8,000円、A4変判上製176頁、ISBN978-4-8354-5504-4



★『月刊ドライブイン vol.04』はリトルマガジン『HB』の編集発行人である橋本倫史(はしもと・ともふみ:1982-)さんが取材、写真、文章、構成をすべてお一人でやられている、その名の通りドライブイン専門のユニークな月刊誌の第4号です。この号では沖縄の「A&W」と「ドライブインレストランハワイ」を取り上げています。取扱書店は約30店で、私は松本市の「本・中川」さんで購入しました。表紙も本文紙も共に灰色で文字はスミで刷られていますが明るく落ち着いた印象があります。味わい深い文章と写真で、旅の気分が味わえます。「いくら沖縄を訪れたところで、何かが分かるわけではない。それは沖縄という土地に限らず、誰のことだって「わかる」と言える日が来るとはとうてい思えない。わかりきることなんてできないのに、それでも足を運んだり、視線を注いだりしてしまう。この時間はいったい何なのだろう」(編集後記より)。このしなやかな感性に好感を持ちます。いずれ一冊の書籍にまとまりそうな予感がします。


★『魔法をかける編集』は、ミシマ社さんが編集し、インプレスさんが発行するレーベル「しごとのわ」の最新刊。著者の藤本智士 (ふじもと・さとし:1974-)さんはは編集者で、有限会社りす代表。帯文はこうです。「一過性で終わるイベント、伝わらない商品、ビジョンのないまちづくり・・・足りないのは、編集です。マイナスをプラスに、忘れられていたものを人気商品に、ローカルから全国へ発信する・・・etc. 誰もが使えるその技術を、「Re:S」「のんびり」編集長がすべて公開!」。松本市のブックカフェ「栞日」で見つけて購入しました。藤本さんは「はじめに」でこう書いています。「僕は、編集とは魔法であり、編集者は魔法使いだと本気で思っているのですが、それが魔法であるがゆえに、これまでは一部の人だけが持つ特権的能力として扱われてきたように思います。/しかし編集力というのは、何もホグワーツに通わなくても、すべての人がすでに備えている能力であり、意識することで鍛えられるのです。〔・・・〕僕が思う編集力とはズバリ、「メディアを活用して状況を変化させるチカラ」です」(3頁)。こうした職能は業界人なら経験的に理解しているものであり、松岡正剛さんや後藤繁雄さんをはじめとする先人によっても言及されてきたものですが、その力を意識的に統御し活用できているかどうかは人によるかもしれません。藤本さんは「ローカルメディア」にこだわり、その戦略と戦術を本書で惜しみなく明かしています。同時代人のエールとして、業界人の必読書だと言っていいのではないかと思います。


★『フリーメイソン』はメイソンをめぐる23の疑問をそのまま章立てにして、橋爪大三郎さんが簡潔に答える体裁の入門書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「テンプル騎士団は、フリーメイソンなのですか」「イルミナティは、フリーメイソンなのですか」「マッカーサーは、フリーメイソンなのですか」「フリーメイソンは、陰謀集団なのですか」などの問いがあります。橋爪さんの考えがもっとも表れているのは「日本人はなぜ、フリーメイソンをよく理解できないのですか」という最初の問いと、「フリーメイソンを理解すると、なぜ世界がよく見えてくるのですか」という最後の問いではないかと思います。「フリーメイソンは、日本人が西欧キリスト教文明をみる場合の、盲点である」(まえがき、5頁)、また「フリーメイソンについて理解を深めること。それは、日本人が、21世紀の国際社会を生きていくための基礎教養だと思う」(294~295頁)と橋爪さんは指摘されています。日本グランドロッジも見学し、取材されたことがあとがきで明かされています。特にメイソンの幹部である片桐三郎さんの『入門フリーメイスン全史――偏見と真実』(アムアソシエイツ、2007年)には「とても助けられた」とお書きになっていますが、この本は残念ながら絶版の様子。本書が参考にしている新書には、吉村正和さんの『フリーメイソン』(講談社現代新書、1989年)や、荒俣宏さんの『フリーメイソン――「秘密」を抱えた謎の結社』(角川oneテーマ21、2010年)があります。


★『映画とキリスト』は「欧米における映画の発展は、キリスト教のテーマ系と切り離すことができないし、二千年にわたる美術の伝統も多かれ少なかれそこに影を落としている。その意味でこの本は、前著『映画は絵画のように――静止・運動・時間』〔岩波書店、2015年〕の延長線上にくるものでもある」(おわりに)とのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「まず第Ⅰ章では、両者〔映画とキリスト〕の関係性を理論的な観点から概観しておきたい。つづく第Ⅱ章から第Ⅳ章は、サイレントの時代より現代にいたるまで、いわゆるイエスのビオピック(伝記映画)の代表的な作品を取り上げ、それぞれ異なる視点から分析と記述を試みる。具体的には章の順に、サイレント映画、パゾリーニの『奇跡の丘』、1970年代以降の多様化するイエス像、マリアの出産シーン、そして名脇役としての「裏切り者」ユダと「娼婦」マグダラのマリア、である。映画におけるイエスの表象が、たんなる歴史(物語)の挿絵ではなくて、いろんな意味で、いかにアクチュアルにしてかつ解決困難な問題系を引きずってきたかが明らかになるだろう。/さらに第Ⅶ章から第Ⅸ章までの三つの章では、固有名詞としてのイエスその人というよりも、「油を塗られた人」すなわち「メシア」としてのキリストのイメージが投影されている作品が対象となる。〔・・・〕数ある作品に篩をかけながら、「キリスト」との同一化――その可能性と限界」がいかに映像化され、そこにいかなる意味が託されているかが問われるだろう。最後の章は、神学上のみならず、社会的で政治的でもあるキリスト教内部の問題をパロディやアイロニーも交えつつ鋭くえぐりだす作品に捧げられている」(はじめに)。


★また岡田さんはこう書いてもいらっしゃいます。「現代は、近代における宗教の「世俗化」にたいして、「ポスト世俗化」の時代と呼ばれることもある。もちろん映画もこの状況と無関係ではありえない。/さらにこうした現況下、哲学者たちも近年、開かれたキリスト教の可能性(とその限界)を新たに模索しはじめている。代表的な名前だけを挙げるなら、ジャン=リュック・ナンシー、ジョルジョ・アガンベン、ジャンニ・ヴァッティモ、ジョン・カプートらがいるが、本論でわたしは、必要とあれば彼らの議論にも応答しようと試みた」(おわりに)。


★『HUMAN LAND 人間の土地』はリブロポートより1987年に刊行された、奈良原一高さんのデビュー作となる写真集の復刊。被写体はまだ人が住んでいる時代の「緑なき島」軍艦島と、鹿児島県の桜島東部に位置する「火の山の麓」黒神村(現在は黒神町)。いずれも1950年代に写されたものです。復刊ドットコムのウェブサイトより購入すると、非売品のポストカード1枚が付いてきます。作家性の強い写真集は絶版になると古書価が高くなりなかなか手が届きにくいので、ぜひ今後も復刊ドットコムさんには写真集復刊の分野でぜひ頑張っていただきたいです。


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