『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』プラトン著、朴一功/西尾浩二訳、
京都大学学術出版会、2017年8月、本体3,000円、四六変判上製278頁、ISBN 978-4-8140-0095-1
『不当な債務――いかに金融権力が、負債によって世界を支配しているか?』フランソワ・シェネ著、長原豊/松本潤一郎訳、芳賀健一解説、作品社、2017年8月、本体2,200円、46判上製244頁、ISBN978-4-86182-620-7
★『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』は「西洋古典叢書」2017年第3回配本(G101)。『エウテュプロン』西尾浩二訳、『ソクラテスの弁明』朴一功訳、『クリトン』朴一功訳、の三篇を収録。目次詳細および正誤表は書名のリンク先をご覧ください。同シリーズでのプラトン新訳は、『ピレボス』山田道夫訳(G044、2005年6月)、『饗宴/パイドン』朴一功訳(G054、2007年12月)、『エウテュデモス/クレイトポン』朴一功訳(G084、2014年6月)に続く4点目です。帯文(表4)に曰く「敬虔とは何かをめぐり、その道の知者を自負する人物と交わされる対話『エウテュプロン』。不敬神と若者を堕落させる罪で告発された老哲学者の裁判記録『ソクラテスの弁明』。有罪と死刑の判決を受けて拘禁中の彼が、脱獄を勧める竹馬の友を相手にその行為の是非について意見を戦わす『クリトン』。ソクラテス裁判を中心に、その前後の師の姿を描いたプラトンの3作品が鮮明な新訳で登場」と。付属の「月報129」は須藤訓任さんによる「ソクラテスを廻る切れ切れの思い」と、連載「西洋古典雑録集(3)」として國方栄二さんによる「エウタナシアー」の解説を収載。「エウタナシアー」とは古代ギリシア語で「よき死」の意。次回配本はアンミアヌス・マルケリヌス『ローマ帝政の歴史1』山沢孝至訳。
★ソクラテスに対する告訴状にはこう書かれていました。「ソクラテスは国家の認める神々を認めず、別の新奇なダイモーン(神霊)のたぐいを導入する罪を犯している。また若者たちを堕落させる罪も犯している。究明は死刑」。告発者である無名の青年の後ろ盾には政治家や弁論家がいました。裁判員(30歳以上)は500名で、票決は「有罪」とするものが280票、「無罪」が220票。さらに量刑については「死刑」とするものが360票、「罰金」が140票。
★ソクラテスはこう述べます。「私が真実を語るのに憤慨しないでください。実際、あなたがたに対してであれ、他のどんな多数者に対してであれ、本気になって反対して、国家のうちに多くの不正や違法が生じるのをどこまでも阻止しようとすれば、世の人々のなかで生きのびられるような人はだれもいないのです。むしろ、正しいことのために本当に戦おうとする者は、たとえわずかの時間でも生きのびようとするなら、私人として行動すべきであって、公人として行動すべきではないのです」(「ソクラテスの弁明」103頁)。「実際、もしあなたがたが人を殺すことによって、あなたがたに生き方が正しくないとだれかが非難するのをやめさせようと思っているなら、その考え方は適切ではないのです。〔・・・〕他人を押さえつけるのではなく、自分自身ができるかぎりすぐれた者になるよう心がけることこそ、最も美しく、最も容易なのです」(127~128頁)。
★『不当な債務』は発売済。原書は『Les dettes illégitimes : Quand les banques font main basse sur les politiques publiques』(Raisons d'Agir, 2011)です。シェネ(François Chesnais;『別のダボス――新自由主義グローバル化との闘い』〔柘植書房新社、2014年〕では「シェスネ」)はフランスの経済学者でパリ第13大学の名誉教授。ATTACの学術顧問も務めておられます。かつてカストリアディスやルフォールらが創設し、一時期リオタールらが参加していたグループ「社会主義か野蛮か」のメンバーだったとも言います。多くの著書がありますが、日本語訳は本書が初めてです。主要目次を列記しておきます。はじめに|第Ⅰ章 金融権力、その現実における組織的な土台と形態|第Ⅱ章 ヨーロッパの債務危機と世界的危機|第Ⅲ章 正当性なき公的債務|おわりに 借金棒引き――最終的には、欧州規模の社会運動へ?|用語解説|「訳者後書き」に扮して――ユビュ王とギゾー首相の「金持ち」(長原豊)|日本語版解説 国家の債券市場への隷従――財政赤字、国債、中央銀行(芳賀健一)。解説者の芳賀さんは本書について「先進国とくにフランスの政治債務が「汚れた債務」である所以を分析し、その解決策とそれを実現する政治・社会運動の結集を説得的に訴えている」と評しています。増え続ける日本の公的債務と今こそ向き合うための必読書かと思われます。
★「多くの国が債務というきわめて重大な課題に直面している。そうした事態にまだ直面していない国々も、遅かれ早かれ、直面することになるだろう」(171頁)とシェネは警告します。「本書の狙いは、今日、新自由主義を標榜する西欧諸国への従属を強いられている人びとが、自分たちの生産手段と交換手段(したがってまた、ユーロ)を民主的に共有するといったスタイルで管理するという目標に向かって社会的・経済的闘争をおこなうための結集軸を創り上げることに寄与すること、これである」(32頁)。「欧州連合とは「異なる(私たちの)ヨーロッパ」の構築という展望のもとで、例えば債務を返済しないこと、欧州中央銀行を含めた銀行を組み伏せること、そして銀行を効果的に統御するために社会化すること、これらを共通目標として掲げることができるのではないだろうか」(同)。
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★このほか、まもなく発売となる注目新刊には以下のものがあります。
『プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』アレクサンダー・R・ギャロウェイ著、北野圭介訳、人文書院、2017年8月、本体3,800円、4-6判並製420頁、ISBN978-4-409-03095-0
『フランスを問う――国民、市民、移民』宮島喬著、人文書院、2017年8月、本体2,800円、4-6判上製258頁、ISBN978-4-409-23058-9
『日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』栗原康監修、河出書房新社、2017年8月、本体1,000円、A5判並製128頁、ISBN978-4-309-24820-2
『パルチザン伝説』桐山襲著、河出書房新社、2017年8月、本体1,800円、46判上製178頁、ISBN978-4-309-02600-8
『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』松下竜一著、河出書房新社、2017年8月、本体2,200円、46変形判並製272頁、ISBN978-4-309-02601-5
『サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』国立新美術館/森美術館/国際交流基金アジアセンター編、平凡社、2017年8月、本体3,600円、A4変判上製320頁、ISBN978-4-582-20711-8
★まずは人文書院さんの2点。『プロトコル』は『Protocol: How Control Exists after Decentralization』(MIT Press, 2004)の翻訳。ミシェル・フーコー以後の管理社会論の地平を拓く野心的な試みです。ギャロウェイ(Alexander R. Galloway, 1974-)はニューヨーク大学准教授で、哲学者、プログラマー、アーティストなどの肩書を持っています。『プロトコル』はギャロウェイの処女作にして初の訳書です。目次詳細は書名のリンク先をご覧下さい。巻頭の序言「プロトコルは、その実行のただなかでこそ存在する」はギャロウェイとの共著があるユージン・サッカー(Eugene Thacker; タッカーとも)によるもの。サッカーはこう書いています。「すべてのネットワークがそもそもひとつのネットワークであるのは、それがプロトコルによって構成されているからである。〔・・・ネットワークには〕諸々の属性が出現することを可能にする下部構造がある〔・・・〕。ネットワークではない。プロトコルなのだ。/このことを踏まえると、『プロトコル』を政治経済についての書物として読むことができるだろう」(13~14頁)。このあとサッカーはフーコーに言及しつつ「プロトコルにかかわる生政治の次元は、今後取り組むべき課題として開かれている」(17頁)と書いています。「生物学と生命科学がますますコンピュータやネットワーク化したテクノロジーに統合されていくにつれて、身体とテクノロジーのあいだに引かれた馴染みのある境界線、すなわち生物体と貴会のあいだに引かれた馴染みのある境界線は、一群となった諸変容を被り始めている」(同)。
★序章でギャロウェイは本書の目的についてこう書いています。「君主=主権による中心的な管理にも、監獄や工場における脱中心的な管理にももとづいていない〔・・近代以後の〕この第三の歴史の波がもつ固有性を、そこで生じたコンピュータ技術の管理=制御に焦点をあわせることによって具体化して論じることである」(35~36頁)。ギャロウェイは近代から現代への歴史的推移を、中心化(君主=主権型社会)から脱中心化(規律=訓練型社会)へ、さらに分散化(管理=制御型社会)へ、と捉えており、「プロトコルとは歴史的には脱中心化の後に生じるマネジメントのシステムである」(60頁)と指摘しつつ、「プロトコル/帝国の論理にもとづくネットワークの制御をきわめて容易にしているもの」こそが「分散型のアーキテクチャ」なのだと言います(66頁)。本書はここから七章に渡って本論を展開していき、「中心化され秩序付けられた権力と分散化された水平的なネットワークとのあいだ」にある「現行の世界規模での危機」(334頁)と向き合おうとしているように見えます。訳者あとがきで北野さんは「プロトコルをめぐる考察が及ぶ範囲はかなり広い」と指摘し、本書について次のように評しておられます。「単に抽象度が高い話をするという素朴なレヴェルでの哲学的思惟ではなく、個別具体的なものへの思考を活性化させてくれる仕事、しかも優れて今日的なテーマ――インターネットのみならず、人工知能から、生命操作にいたるまで――をめぐる思考を弾力化させる仕事であるだろう」(414頁)。
★ギャロウェイの活躍については、千葉雅也さんによるギャロウェイ本人へのインタヴュー「権威〔オーソリティ〕の問題――思弁的実在論から出発して」(小倉拓也/千葉雅也訳)を「現代思想」2016年1月号(特集=ポスト現代思想)でもご確認いただけます。
★宮島喬『フランスを問う』は、現代フランス社会の「現状を批判的に捉え返し、移民の統合と多文化(多民族)共生への道を見出すことができるのか」(「はじめに」iv頁)を問うもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。収録された8つの論考のうち、「同時的に起こっているヨーロッパの危機と変動」「ナショナルポピュリズムとそれへの対抗力――フランス大統領選の社会学から」「オリジンを問わないということ――フランス的平等のディレンマ」「フランスの移民政策の転換――“選別的”政策へ?」「デラシネとしての移民?――バレース、デュルケム再考、ノワリエルを通して」の5本が書き下ろしで、3本は各誌に近年発表済の論考に加筆したもの。「共存、共生してきて、これからもそれを続けていくほかない人々を、不確かな根拠の下に「彼ら」化、「他者」化し、排除、または交わらぬ並行関係に追いやろうとする(日本でも、それに近いことは最近の小政治グループの誕生によって起こりそうである)」(「あとがき」241頁)。ナショナル・ポピュリズムの台頭が懸念される日本社会を考える上で示唆となる一冊です。
★次に河出書房新社さんの3点。『日本のテロ――爆弾の時代60s-70s』はまさに書名通りの歴史と人物、参考文献について簡潔に教えてくれる手頃な一冊です。歴史解説は「ですます調」で書かれ、人物紹介はイラスト付きで柔らかく、巻末のブックガイドは丁寧で、何より廉価なので、若い読者にも親しみやすいのではないかと思います。同時期に河出さんでは桐山襲『パルチザン伝説』と、松下竜一『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』の2点を復刊。前者『パルチザン伝説』は「文藝」誌に掲載後に単行本化が中断され、他社から刊行されたいわくつきの作品(詳細は省略します)で、30数年ぶりの初出版元への回帰となります。友常勉さんが解説を担当されています。後者『狼煙を見よ』は1974年に起きた「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破事件前後の軌跡を追ったもの。解説は斎藤貴男さんがお書きになっておられます。この3点はいわば新刊セットなので店頭でバラバラに扱うのはあまり意味がありません。戦後を考える視座として、避けて通れないものがあります。
★最後に平凡社さんの『サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の設立50周年を記念して国立新美術館と森美術館で開催中の東南アジア現代美術展の展覧会図録です。「時代の潮流と変動を背景に発展した東南アジアにおける1980年代以降の現代アートを、9つの異なる視点から紹介する、史上最大規模の展覧会」とのこと。展覧会について以下に概要を特記しておきます。リンク先では9つのセクションや出展作家、見どころなどについて確認できます。
◎サンシャワー――東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで
会期:2017年7月5日(水)~10月23日(月)
会場(2館同時開催):
国立新美術館 企画展示室 2E(東京都港区六本木7-22-2)
開館時間:10:00~18:00(毎週金曜日・土曜日は21:00まで)※入場は閉館の30分前まで
休館日:毎週火曜日
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階)
開館時間:10:00~22:00(毎週火曜日は17:00まで)※入場は閉館の30分前まで
会期中無休
主催:国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター
巡回:2017年11月3日(金・祝)~12月25日(月)/福岡アジア美術館
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