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注目新刊:クセナキス『音楽と建築』新編新訳版、ほか

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音楽と建築

ヤニス・クセナキス著 高橋悠治編訳
河出書房新社 2017年7月 本体2,800円 46判上製184頁 ISBN978-4-309-27618-2
帯文より:「音楽が知性だった。建築は力だった。もう世界の終わりなき流動を怖れる必要はなかった。感じ考えていたのは世界だったのだから」(岡崎乾二郎)。高度な数学的知識で論じられる音楽と建築のテクノロジカルな創造的関係性。コンピュータを用いた現代における表現の、すべての始原がここに――。伝説の名著、新編・新訳。


目次:
訳者まえがき(高橋悠治)
音楽
 1 確率論と作曲
 2 三つのたとえ
 3 メタミュージックに向かって
 4 音楽の哲学へ
  一般事例
  事例《ノモス・アルファ》の分析
  《ノモス・ガンマ》――《ノモス・アルファ》の一般化[英語版から]
  天命の指針
建築
 5 フィリップス展示館――建築の夜明け
 6 「電子的運動表現」覚書
 7 宇宙都市
 8 見るための音楽《ディアトープ》
ヤニス・クセナキスの軌跡(高橋悠治)


★発売済。巻末特記によれば「本書は、1975年に全音楽譜出版社から刊行された同タイトルの書籍を、増補・改訳したものです」と。より詳しくは巻頭の「訳者まえがき」で説明されています。「この本は基本的には1975年に全音楽譜出版社から出した『音楽と建築』の再版だが、音楽についての第1部はフランス語の原文『Musique Architecture』(Casterman, 1976)と『Formalized Music』(Pendragon, 1975)中の英訳から、建築に関する第2部は『Music de l'architecture』(Éditions Parenthèse, 2006)のフランス語原文と『Music and Architecture』(Pendragon, 2008)の改訂版英訳から選択し、フランスワーズ・クセナキスとシャロン・カナークの了解のもとに、クセナキス入門とも言える独自の日本語版とした。《ディアトープ》についての講演と、そこで参照されたプラトン、パスカルなどの文章を新しく訳した」とのことです。


★参考までに旧版(底本はCastermanより刊行された『Musique Architecture』の初版1971年版。1976年版は増補新版)の目次を列記しておきます。


日本語版への序
序 「音列音楽の危機」より
第1部 音楽
 第1章 確率論と作曲
 第2章 三つのたとえ
 第3章 作曲の形式化と公理
 第4章 三つの結晶核
 第5章 超音楽へ
 第6章 音楽の哲学へ
  一般の場合
  特殊の場合――「ノモス・アルファ」の分析
  「ノモス・ガンマ」――「ノモス・アルファ」の一般化
  運命指示計
第2部 建築
 「電子詩」1958――ルコルビュジェ
 第1章 フィリップス館
 第2章 電子的身振りについて
 第3章 宇宙都市
年表ヤニス・クセナキス
訳者あとがき(高橋悠治)


★河出書房新社さんから再刊するにあたり「訳文を最初から作り直」したとのことで、底本も同一ではありませんから、旧版を持っている方も今回の「新編・新訳」版は購読された方がいいと思います。新版にあって旧版にないものは新たに訳出されたクセナキスの「見るための音楽《ディアトープ》」と、高橋さんによる「訳者まえがき」および「ヤニス・クセナキスの軌跡」です。逆に旧版にあって新版にないものは「日本語版への序」「序 「音列音楽の危機」より」「三つの結晶核」「「電子詩」1958――ルコルビュジェ」、そして「年表ヤニス・クセナキス」「訳者あとがき」です。これらのことを勘案すると、図書館さんにおかれましては今回の新版を配架したからといって旧版を除籍するのは妥当ではありません。


★高橋さんは「訳者まえがき」で本書の背景に「古代ギリシャ哲学、現代ギリシャの政治状況、独裁体制やファシズムとたたかった地下活動体験、亡命者の孤独のなかから作り出した思想と方法がある」とお書きになっています。「デモや武装闘争の記憶、複雑な自然現象や社会の暴力の経験から創られた独自の音楽や建築には、確率論や統計数学をはじめとする数学を使って、多数の粒子が一見無秩序に飛び交う空間、乱流やノイズを、意志と方向をもって統御している。安定した社会のいままでの音楽や建築が知らなかった、揺れ動く不安な社会、さまざまな文化がぶつかりあう難民や亡命者の世界が作り出した芸術のあたらしいかたちのひとつといえるだろう」。


★新訳「三つのたとえ」(1958年)から印象的な文章を引きます。「思想やエネルギー活動、人間にあたえられ人間が担う物理的現実を反映する精神過程と心理現象の光と影があり、音楽はそれらすべてのマトリックスだ。世界観の表現としては、波動、樹木、人間だけでなく、理論物理学・抽象論理学・現代代数学などの基礎理論もそこに入っている。哲学であり、存在するものの個的・普遍的側面でもある。闘争と対比、諸存在と現在進行中のプロセスとの折り合う地点は、19世紀の人間(神)中心主義的発想とは遠い。思考様式には物理学やサイバネティクスなどの現代的精神に支配されている。〔・・・〕音楽こそどんな芸術にも増して、抽象的頭脳と感性的実践とが、人間的限界内で折り合う場なのだ。音楽は世界の調和だとは個人の言い草だが、現代思想からもおなじことが言える。〔・・・〕20世紀前半の思想とプロセスの嵐に揉まれた後で、音楽的探究や実現の範囲を拡大することが絶対必要だ。伝統の息詰まる温室から出して、野外に解放しよう」(21頁)。


★河出書房新社さんの今月の再刊本では、本書のほかに、以下の新装版が刊行されています。


カオスモーズ 新装版
フェリックス・ガタリ著 宮林寛/小沢秋広訳
河出書房新社 2017年7月 本体3,800円 46判上製224頁 ISBN978-4-309-24816-5


帯文より:「生活とは、たくさんの異質な流れが絡み合ったものである。その複雑さを捉えるには、従来の学問では足りない。だからガタリは、独自の抽象思考に踏み出した。生活の細部に分け入ること、それが人間の未来像を見ることなのだ」(千葉雅也)。「フェリックスは稲妻だった」(ドゥルーズ)。没後25年、時代はようやくガタリに追いついた――その思考と実践のすべてを注ぎ込んだガタリの遺著にして代表作、復活。


目次:
1 主体感の生産をめぐって
2 機械性異質発生
3 スキゾ分析によるメタモデル化
4 スキゾなカオスモーズ
5 機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー
6 美の新しいパラダイム
7 生態哲学〔エコゾフィー〕の対象
原注
訳者あとがき


★初版が2004年刊ですからもう13年も経過しているのですね。今回の再刊にあたり、特に追記等はありません。原書は『Chaosmose』(Éditions Galilée, 1992)であり、同年に死去したガタリの遺著です。河出さんでは関連書として昨年末、上野俊哉さんの『四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考』を出版されています。


★ガタリは「機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー」で現代社会のありようと課題を次のように述べています。「現在の世界は、環境論的にも人口論的にも都市論的にも行き詰っていて、それらを揺さぶっている技術や科学の驚くべき変貌を、人類の利益と両立可能なかたちで引き受けることができないでいます。深い奈落か根本的な更新かのあいだで、目もくらむような競争が始まっています。経済的、社会的、政治的、道徳的、伝統的な分野で磁石の針はすべて一つまた一つと狂いつつあります。価値の軸、人間関係や生産関係の基本的な目的を立て直すことが至上命令になっています」(146頁)。ガタリが構想した生態哲学〔エコゾフィー〕はこうした危機への果敢な挑戦です。「一般エコロジーもしくは生態の哲学〔エコゾフィー〕は、生態系の科学として、政治的再生を賭して作業しますが、同時に、倫理的、美的かつ分析的な行為参加としても作用します。それは新しい価値付けシステム、生に対する新しい嗜好、男と女の間、世代間、種族や民族間における新しくかつ優しい在り方を目指すのです」(146~147頁)。


★カオスとコスモスとオスモーズ(浸透)を一つにつないだものと訳者が説明する「カオスモーズ」は非常に興味深い概念です。例えば「美の新しいパラダイム」にはこんな記述があります。「無限の速度による連続的往還によって、多種多様な実体が、存在論的に異質な複合において互いに差異化しあうこと、同一の「在る-否-在る」の反復のなかで、姿かたちの雑多性を破棄しながら均質化しつつ、カオス化すること〔・・・〕。多様な実体たちはここで、外的な参照系や座標系とのつながりを失う混沌とした臍の地帯に向けた投身を繰り返しながら、その臍の地帯から新たな複雑性を充填して再び現れることができるわけです」(176~177頁)。


★本書の末尾でガタリは次のように書いています。「精神分析、制度論的分析、映画、文学、詩、革新的な教育法、都市整備、建築、クリエーター、これらの専門分野はすべて、それぞれにおける創造性を結集し、地平線上に現れつつある野蛮、精神の内部崩壊、カオスモーズ的な痙攣という試練を、打ち払い、不可知の豊かさと喜びに変えるという使命を担っています」(212頁)。専門性に閉じこもることなく横断し交流することを訴えるガタリの動き続ける魂が本書から今もなお立ち昇っています。


★ちなみに帯文にある千葉雅也さんの推薦文は、ガタリの思想を端的に表現しているとともに、千葉さんの『勉強の哲学』に続くことが予想される理論的著作への扉ともなっているように読めます。千葉さんは今月末発売された『現代思想』2017年8月号の特集「「コミュ障」の時代」で、「コミュニケーションにおける闇と超越」という討議を國分功一郎さんと行なっておられます(53~69頁)。先月創刊された、「芸術(体験)と言葉」を掲げた雑誌「NOUMU」の創刊号の主題が「不可能なコミュニケーション」でしたが、こうした一種の主題的共振は同時代性において不可避のものです。私事で恐縮ですが「多様体」第零号(八重洲BC本店「月曜社フェア」ノベルティ、2016年7月)所収の拙文「シグマの崩壊」で書いたこともこうした同時代性の磁場の内にあるものです。


★國分さんは討議で「「言葉の力」を訴えることは、ある種の精神的な貴族性を肯定することにつながると思うんです。〔・・・〕僕は今そのことばかり考えています。〔・・・〕僕にとって貴族的なものというのはずっとテーマとしてあって、『暇と退屈の倫理学』も一言で言うと、全員で貴族になろうという本だったんですね」(59頁)と発言されています。この貴族性、貴族的なものという言葉はこの討議のキーワードの一つになっていて、同時代の様々な議論と接続していく回路になっていると感じます。これはいわゆる「貴族階級そのもの」ではなく、「権威主義なき権威」(國分)や、「高貴な民衆」(千葉)といった問題圏と接しています。千葉さんは「貴族的なるものの再発明を旧来の既得権益の継承とは別のかたちで」考えること(63頁)を問うておられます。國分さんは「貴族的なものを僕は「徳」だと考える」(同)と。私自身の関心に変換して言うとそれは民主主義の発展形としての「アリストアナーキズム(貴族的無政府主義)」という圏域への困難だけれども必要な旅、ということになります。


★なお千葉さんと國分さんはガタリについて次のようにも語っておられます。千葉「最近僕もガタリを読み返していて、現代的に深読みができるなと思っています」。國分「ドゥルーズがそこに気づいて面白がっていたということなのでしょうね。ある意味では時代がガタリに追いついてきた」。帯の文言と一致していますが、これも一種の不可避な共振であり、共謀なき同意かと思います。


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★このほか最近では作品社さんの次の新刊2点(いずれも発売済)との出会いがありました。


『クルアーン的世界観――近代をイスラームと共存させるために』アブドゥルハミード・アブー・スライマーン著、塩崎悠輝/出水麻野訳、塩崎悠輝解説、作品社、2017年7月、本体2,400円、四六判上製310頁、ISBN978-4-86182-644-3
『ウィッシュガール』ニッキー・ロフティン著、代田亜香子訳、作品社、2017年7月、本体1,800円、四六判上製246頁、ISBN978-4-86182-645-0



★『クルアーン的世界観』の原書は『The Qur'anic Worldview: A Springboard for Cultural Reform』(International Institute of Islamic Thought, 2011)です。著者のアブー・スライマーン(AbdulHamid AbuSulayman, 1936-)はサウジアラビアの穏健派知識人で現在「国際イスラーム思想研究所」の代表であり、「米国児童育成基金」の代表でもあります。本邦初の訳書となる本書は「ムスリムの共同体が過去に持っていた世界観と歴史上の様々な段階を多様な側面から顧みる。そしてイスラーム文明の最初期における飛躍の根本的な原因をつきとめる。本書はまた、ムスリムの共同体が持つようになったさまざまな観念に影響した重要な原因と、現在直面している危機を示す」(4頁、「はじめに」より)ものです。


★目次を以下に列記しておきます。
日本語版へのメッセージ

はじめに
アラビア語版への序文
第一章 クルアーン的世界観と人類の文化
第二章 クルアーン的世界観で具体的に示された諸原則
第三章 クルアーン的世界観――改革と建設の基礎、出発点、インスピレーション
第四章 イスラーム的世界観と人道的倫理の概念
第五章 国際イスラーム思想研究所による大学カリキュラムの発展に向けた計画
付録Ⅰ 改革のための教育
付録Ⅱ 信仰――理性に基づくものなのか、奇跡に基づくものなのか
原註
解説「イスラーム独自の近代は可能か?」(塩崎悠輝)
訳者あとがき




★『ウィッシュガール』の原書は『Wish Girl』(Razorbill, 2015)で、アメリカの作家ロフティン(Nikki Loftin, 1972-)の初めての訳書です。冒頭部分を引用します。「十三歳になる前の夏、ぼくはあまりにもじっとしていたせいで、死にかけた。/ぼくは昔からずっと、静かだった。練習していたほどだ。息を殺して、頭のなかの考えさえ、そっとしとく。静かにしてることは、ぼくがだれよりもうまくできるだったひとつの得意分野だった。だけどたぶん、そのせいでぼくはへんなやつだと思われていた。家族は、ききあきるほどいってた。「ピーターは、どうかしたのかな?」/どうかしてるとこなんて、たくさんある。だけどいま、いちばん深刻な問題は、足の上にガラガラヘビがいることだ。/ぼくは、はじめて家を勝手にぬけだしてきた。もしかしたらこれが最後になるかもしれない・・・そう考えながら、地面をじっと見つめてた。ゆっくりとまばたきをする。目を閉じればヘビが消えてくれるみたいに」(5頁)。


★作品社さんのシリーズ「金原瑞人選オールタイム・ベストYA」は同書をもって第一期全10巻完結とのことです。言うまでもありませんがYAというのはヤングアダルトのこと。「1970年代後半、アメリカで生まれて英語圏の国々に広がっていった」ジャンル(「選者のことば」より)で、若い読者、高校生や大学生を主な対象としており、いわば児童書と文学書をつなぐブリッジの役目があります。ジュヴナイルやラノベ(ライトノベル)とも関連しており、大きな市場だと言えます。


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