弊社既刊書に寄せていただいたここ3ヶ月の書評や紹介記事を列記いたします。
◎ウィリアム・ウォルターズ『統治性』阿部潔ほか訳、2016年7月刊
『佛大社会学』第41号(2017年3月30日発行)「書評」欄で社会学部専任講師の山本奈生さん曰く「本書ではフーコーの思想に内在して統治性概念が、他の「生権力」「主体化/服従化」「規律訓練型権力」などとどういった関連にあるのかが検討されるのではなく、あくまでも統治性概念の広がり、そしてこれを用いる際の批判的観点に主眼が置かれているが、これが手際よく整理されて心憎いほどである」。また、「「もうすぐ絶滅すると言われる紙の書物」を粘り強く支える編集者と著者らの作品リストを時系列で眺めてみるとき、出版社もまたウォルターズの方法と同じように「対抗的記憶」と「忘れられた闘争」に寄り添って政治的なものの境界線に挑戦し続けていることに気づかされる」と激励の言葉もいただきました。山本先生、ありがとうございます。
◎荒木経惟+荒木陽子『東京は、秋』2016年12月刊
『FUDGE』2017年2月号(1月12日発売)「PICK UP NEW BOOKS 今月の新刊&注目作」欄で山本アマネさん曰く「「要するに街のディテールを撮るのが好きなんだよね」と得意げに話す荒木と、作為なしにユーモラスで愛情のある返答をする陽子にほほが緩む」。
『men's FUDGE』2017年3月号(1月24日発売)「BOOKS」欄で同じく山本アマネさん曰く「一見して何処なのか分からないそれらの写真には、その場所や時代ならではの人々の生活が染み込んでいる。そこには魅力的な街とともに、そのときの荒木自身の気持ちが記録されている」。
『母の友』2017年5月号(福音館書店)「polyphony/Books」欄に曰く「実はこの本、今回が三度目の刊行となるのだが、何度も復刊されるのは、この夫婦対話の魅力も大きいだろう。実に“いい”加減なのだ。仲が良いが、べたべたせず、適度な距離感もある」。
◎カッチャーリ『抑止する力』上村忠男訳、2016年12月刊
「週刊読書人」2017年3月31日号、中村勝己さん(中央大学兼任講師)による書評「「カテコーン」の概念の解釈を主題に――〈世界の再宗教化〉をどう捉えどう向き合うべきか」に曰く「イタリア現代思想には、シュミットの「カテコーン」論を再考する解釈史の流れがある。その前史はドイツのヤーコプ・タウベス『パウロの政治神学』(岩波書店、1993)だが、評者が知る限りでは、これを承けてジョルジョ・アガンベン『残りの時』(岩波書店、2000)、ロベルト・エスポジト『インムニタス[免疫]』(未邦訳、2002)、カッチャーリ、トロンティ共著『歴史の十字路にある神学と政治学』(未邦訳、2007)、パオロ・ヴィルノ『ポストフォーディズムの資本主義』(人文書院、2008)、ネグリ=ハート『コモンウェルス』(NHKブックス、2009)、そして本書『抑止する力』(原著、2013)などがある。政治神学的な観点からカテコーンの解釈について最も熱を込めて主題的に論じているのは、もちろんカッチャーリの本書である」。
◎佐野方美写真集『SLASH』2017年2月刊
『アサヒカメラ』2017年4月号「TOPICS/BOOK」欄「写真に封じ込められた一瞬の集積――時代の空気を写しとめた新作写真集を読む」(解説=山内宏泰、聞き手=池谷修一)に曰く「写真そのものも編集もデザインセンスにあふれています。20世紀以降のすぐれた表現者は必ずデザイナー的資質を持っている。彼女もそのひとりでしょう」。
◎松江泰治写真集『Hashima』2017年2月刊
『CANON PHOTO CIRCLE』2017年4月号(3月15日発行)「今月の新刊」欄に曰く「世界遺産登録をきっかけに30年の時を経て振り返り、その記録性に面白みを感じたという写真群を、自身の手によってデジタルリマスターした諧調豊かなモノクロームは、見る者に当時の軍艦島の空気感を伝えます」。
「信濃毎日新聞」2017年3月26日(日)付「読書欄」に曰く「晴天下、シャープなピントで撮られた作品群は、すでに現在の著者のスタイルが感じられて面白い」。
◎ウィリアム・ウォルターズ『統治性』阿部潔ほか訳、2016年7月刊
『佛大社会学』第41号(2017年3月30日発行)「書評」欄で社会学部専任講師の山本奈生さん曰く「本書ではフーコーの思想に内在して統治性概念が、他の「生権力」「主体化/服従化」「規律訓練型権力」などとどういった関連にあるのかが検討されるのではなく、あくまでも統治性概念の広がり、そしてこれを用いる際の批判的観点に主眼が置かれているが、これが手際よく整理されて心憎いほどである」。また、「「もうすぐ絶滅すると言われる紙の書物」を粘り強く支える編集者と著者らの作品リストを時系列で眺めてみるとき、出版社もまたウォルターズの方法と同じように「対抗的記憶」と「忘れられた闘争」に寄り添って政治的なものの境界線に挑戦し続けていることに気づかされる」と激励の言葉もいただきました。山本先生、ありがとうございます。
◎荒木経惟+荒木陽子『東京は、秋』2016年12月刊
『FUDGE』2017年2月号(1月12日発売)「PICK UP NEW BOOKS 今月の新刊&注目作」欄で山本アマネさん曰く「「要するに街のディテールを撮るのが好きなんだよね」と得意げに話す荒木と、作為なしにユーモラスで愛情のある返答をする陽子にほほが緩む」。
『men's FUDGE』2017年3月号(1月24日発売)「BOOKS」欄で同じく山本アマネさん曰く「一見して何処なのか分からないそれらの写真には、その場所や時代ならではの人々の生活が染み込んでいる。そこには魅力的な街とともに、そのときの荒木自身の気持ちが記録されている」。
『母の友』2017年5月号(福音館書店)「polyphony/Books」欄に曰く「実はこの本、今回が三度目の刊行となるのだが、何度も復刊されるのは、この夫婦対話の魅力も大きいだろう。実に“いい”加減なのだ。仲が良いが、べたべたせず、適度な距離感もある」。
◎カッチャーリ『抑止する力』上村忠男訳、2016年12月刊
「週刊読書人」2017年3月31日号、中村勝己さん(中央大学兼任講師)による書評「「カテコーン」の概念の解釈を主題に――〈世界の再宗教化〉をどう捉えどう向き合うべきか」に曰く「イタリア現代思想には、シュミットの「カテコーン」論を再考する解釈史の流れがある。その前史はドイツのヤーコプ・タウベス『パウロの政治神学』(岩波書店、1993)だが、評者が知る限りでは、これを承けてジョルジョ・アガンベン『残りの時』(岩波書店、2000)、ロベルト・エスポジト『インムニタス[免疫]』(未邦訳、2002)、カッチャーリ、トロンティ共著『歴史の十字路にある神学と政治学』(未邦訳、2007)、パオロ・ヴィルノ『ポストフォーディズムの資本主義』(人文書院、2008)、ネグリ=ハート『コモンウェルス』(NHKブックス、2009)、そして本書『抑止する力』(原著、2013)などがある。政治神学的な観点からカテコーンの解釈について最も熱を込めて主題的に論じているのは、もちろんカッチャーリの本書である」。
◎佐野方美写真集『SLASH』2017年2月刊
『アサヒカメラ』2017年4月号「TOPICS/BOOK」欄「写真に封じ込められた一瞬の集積――時代の空気を写しとめた新作写真集を読む」(解説=山内宏泰、聞き手=池谷修一)に曰く「写真そのものも編集もデザインセンスにあふれています。20世紀以降のすぐれた表現者は必ずデザイナー的資質を持っている。彼女もそのひとりでしょう」。
◎松江泰治写真集『Hashima』2017年2月刊
『CANON PHOTO CIRCLE』2017年4月号(3月15日発行)「今月の新刊」欄に曰く「世界遺産登録をきっかけに30年の時を経て振り返り、その記録性に面白みを感じたという写真群を、自身の手によってデジタルリマスターした諧調豊かなモノクロームは、見る者に当時の軍艦島の空気感を伝えます」。
「信濃毎日新聞」2017年3月26日(日)付「読書欄」に曰く「晴天下、シャープなピントで撮られた作品群は、すでに現在の著者のスタイルが感じられて面白い」。