★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』『到来する共同体』)
★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
昨年イタリアで刊行されたばかりのアガンベンさんの最新刊『哲学とは何か』の訳書が早くも上村忠男さんによって実現されました。書誌情報を以下に掲出しますが、目次を含めた詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお、上村さんは来月、グラムシ『革命論集』を講談社学術文庫より上梓されます。2月10日発売予定、本体1,680円です。弊社の12月新刊、カッチャーリ『抑止する力』を合わせると、3か月連続でイタリア思想の訳書を世に送り出したことになります。
哲学とはなにか
ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳
みすず書房 2017年1月 本体4,000円 四六判上製224頁 ISBN978-4-622-08600-0
帯文より:音声を奪われて文字と化した知の弱さ、無調律の政治風景。哲学は今日、音楽の改革としてのみ生じうる。言葉の始原=詩歌女神〔ムーサ〕たちの場所へと、思考を開く。
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なお『抑止する力』と『哲学とはなにか』をめぐっては、文化人類学者の真島一郎さん(東京外国語大学大学院国際協力講座教授)がブログ「真島一郎研究室」1月21日付エントリー「カッチャーリ 『抑止する力』 / アガンベン 『哲学とはなにか』 」で論及してくださっています。
「現実の歴史のうちでカテコーンの抑止的な力が危機を迎えるとき、 当のカテコーンによって維持されていたプロメーテウス的秩序が、エピメーテウス(プロメーテウスの弟)の時の到来により復讐されることになるというのが、著者カッチャーリの予測です。とりわけ、世界の現在と未来を展望する本書末尾の一文は、読み手を戦慄させることになるかもしれません。「プロメーテウスは引退してしまった。あるいはふたたび岸壁に縛りつけられてしまった。そしてエピメーテウスがわたしたちの地球を徘徊してはパンドラの壺の蓋をつぎつぎに開けて回っている」(159頁)。エピメーテウスが扉をひらいてしまう永続的な危機の時とは、かつて『政治神学』のシュミットが、「例外状況」についてふれたのち鮮やかに描いてみせた、ドイツロマン派の「永遠の対話」と、そしてあの「純粋決定/決意」の対立と、どこまで交叉した問題系を形成しうるのか、大いに興味を惹かれるところです」。
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いっぽう最近、弊社11月既刊書、森山大道×鈴木一誌『絶対平面都市』に書評が2本寄せられています。ひとつは「キネマ旬報」2017年2月上旬号「映画・書評」欄に掲載された上野昂志さんによる書評「急かされ。考えさせられる」です。
「『遠野物語』に書かれた森山の言葉を引いた鈴木が、「現実世界のあちら側に、写され、コピーされ、印刷されたものたちの別世界がかたちづくられている」というのは「単なる比喩ではないんですね」と問い、森山が「比喩ではすまない感じ」といい「おびただしい印刷物の世界。コピーされたものの反乱〔ママ〕のなかに人々はいますから」と応えるというような刺激的な応酬が随所にある」(本書294~295頁参照)。
もうひとつは「朝日新聞」2017年1月22日付読書欄の、大竹昭子さんによる書評です。
「森山の発言はつねにブーメランのように同じ場所に戻ってくる。「なにも写さなかったんじゃないか」という自問と「こうしちゃいられない」という焦り。〔・・・〕無意識と自意識のはざまを行き来する言葉の彼方から、写真の不思議さが立ち上がってくる。世界を理解するのではない。世界が謎の集積であることを可視化するのが写真なのだと」。
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アガンベン『哲学とはなにか』ほか、書評情報
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