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注目新刊:カヴェル『悲劇の構造』春秋社、ほか

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悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学
スタンリー・カヴェル著 中川雄一訳
春秋社 2016年10月 本体4,500円 四六判上製448頁 ISBN978-4-393-32351-9

帯文より:悲劇は懐疑論の解釈である! 神も、知識も、愛も、すべての基盤を喪失した世界で人はいかに生きるか? リア王、マクベス、ハムレットといったシェイクスピア劇が問いかける懐疑論的課題を剔抉し、人間の真実を突きつけるアメリカ哲学の巨人カヴェルの思索。シェイクスピア没後400年。

★発売済。原書は『Disowning Knoledge: In Seven Plays of Shakespeare』(Cambridge University Press, 1987; Updated edition, 2003)です。訳者によれば原題は『知識と縁を切ること――七つのシェイクスピア劇をめぐって』と。目次は以下の通りです。序文や訳者あとがきでの情報を参照し、丸括弧内に順番で、扱っているシェイクスピア劇、発表年もしくは先行する掲載書とその掲載書の刊行年、を示しておきます。

序文と謝辞
増補版への序文
第1章 序論(アントニーとクレオパトラ、本書初版1987年初出)
第2章 愛の回避――『リア王』を読む(リア王、『言ったとおりの意味でなければならないか』第10章1969年)
第3章 オセローと他者の賭け金(オセロー、『理性の声』結論部分1979年)
第4章 『コリオレイナス』と政治の解釈(コリオレイナス、『学校外の主題』1984年)
第5章 ハムレットの立証責任(ハムレット、1984年発表、本書初版1987年収録)
第6章 損得勘定を数え直す――『冬物語』を読む(冬物語、1984年発表、本書初版1987年収録、『日常的なものの探求』1988年収録)
第7章 マクベスの恐怖(マクベス、1992年及1993年発表、増補版2003年初収録)
原註
訳注
訳者あとがき

★訳者は次のようにあとがきで述べておられます。「本書の体裁は「シェイクスピア論集」であるが、序論と第5章と増補された第7章を覗けば、カヴェルの著書からの転載である。カヴェルの出世作『言ったとおりを意味しなければならないか』〔Must We Mean What We Say?: A Book of Essays, Charles Scribner's Sons, 1969; Reissued with a new preface, Cambridge University Press, 1976〕や主著『理性の声』〔The Claim of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy, Oxford University Press, 1979〕が邦訳される見込みは絶望的であるというほかない(と思われる)。本書は幸運にも亮著の「むすび」の部分を訳出している。カヴェルの全貌というにはほど遠いが、カヴェル哲学の真髄を垣間見ることができるだろう。〔・・・〕ほぼ三十年に亘るカヴェルの思索の変遷をも垣間見ることができる」(434頁)。

★カヴェルは序論で「シェイクスピアのなかに〔近代哲学の誕生としての〕懐疑論が現れる」(19頁。43頁も参照)と自らの直観を披瀝します。「シェイクスピアがシェイクスピアであるのは〔・・・〕、彼の作品が彼の文化のもつ哲学的関心事に深くかかわるときにかぎられる」(16~17頁)。「地盤〔根拠〕なき世界でどう生きるかという問題〔・・・〕。シェイクスピア劇が懐疑論的問題圏を繰り返し解釈するということは、とりもなおさず、劇が懐疑論の問題に対する揺るぎない解決を見出していない、とりわけ神に対する私たちの知識に満足していないということを意味する。〔・・・〕シェイクスピア劇は、いわば哲学的問題圏を取り込むとき、哲学を験〔ため〕し同時に哲学にとって験される」(18~19頁)。また、第6章にはこんな言葉があります。「シェイクスピア劇は人間の劇であるが、すべてはそこに懸かっている」(345頁)。カヴェルは本書で人間学としての〈シェイクスピアの哲学〉とでも言うべきものを見事に描出しえているように感じます。

◎スタンリー・カヴェル(Stanley Cavell, 1926-)単独著既訳書
『センス・オブ・ウォールデン』齋藤直子訳、法政大学出版局、2005年
『哲学の〈声〉」――デリダのオースティン批判論駁』中川雄一訳、春秋社、2008年
『眼に映る世界――映画の存在論についての考察』石原陽一郎訳、法政大学出版局、2012年
『悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学』中川雄一訳、春秋社、2016年


描かれた病――疾病および芸術としての医学挿画
リチャード・バーネット著 中里京子訳
河出書房新社 2016年10月 本体3,800円 A4変形判上製256頁 ISBN978-4-309-25564-4

帯文より:医学と社会をめぐる衝撃のイメージ博物誌! 写真が誕生する以前、疾病を記録した細密イラストが雄弁に語りかける――人々はいかに病気と闘っていたか、患者が社会からどのように見られていたのか。

目次:
はじめに――脱魔術化された肉体
Ⅰ 皮膚病――肉体の境界線
Ⅱ ハンセン病――皮相などとは言えない病
Ⅲ 天然痘――議会制定法が作った水ぶくれ
Ⅳ 結核――白い死
Ⅴ コレラ――病の自由貿易
Ⅵ がん――カニの爪
Ⅶ 心臓疾患――冠と雑音
Ⅷ 性感染症――死ぬまで続く水銀治療
Ⅸ 寄生生物――寄生虫に植民地化された入植者
Ⅹ 痛風――ファッショナブルな激痛
参考文献
関連施設とその所在
挿画の出典
索引
謝辞

★発売済。原書は『The Sick Rose: Disease and the Art of Medical Illustration』(Thames & Hudson, 2014)です。1頁目にウィリアム・ブレイクの『経験の歌』より「病の薔薇」がカラーで掲げられており、書名はここから採ったものと思われます(壽岳文章訳「病むバラ」、『有心〔うしん〕の歌』、『無心の歌、有心の歌――ブレイク詩集』角川文庫、1999年、123-124頁)。同書は「ブリティッシュ・ブック・デザイン・アンド・プロダクション・アワード」の最優秀作品賞を受賞したそうで、大判でなおかつ全頁フルカラーであるにもかかわらず本体3,800円というのはかなりお買い得です。基本的に閲覧注意。一昔前には書店さんで見かけることがあった「バッド・テイスト(悪趣味)」の書棚を復権させるにふさわしい歴史的芸術的アーカイヴです。著者のリチャード・バーネットはケンブリッジ大学ペンブローク校で教鞭を執っている文化史家で、特に科学史や医学史がご専門。幅広いご活躍は著者のウェブサイトでご確認下さい。

★本書からの触発をさらに拡張するためには、バーネットによる姉妹編『Crucial Interventions: An Illustrated Treatise on the Principles & Practices of Nineteenth-Century Surger』(Thames & Hudson, 2015)や、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ヒステリーの発明――シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(上下巻、谷川多佳子ほか訳、みすず書房、2014年) などがお薦めかもしれません。また、視覚的に優れた史的アーカイヴとしては、ウンベルト・エーコ編著による『芸術の蒐集』(川野美也子訳、東洋書林、2011年)や『醜の歴史』(川野美也子訳、東洋書林、2009年)が参考になります。あるいは、理論的にはカール・ローゼンクランツ『醜の美学』(鈴木芳子訳、未知谷、2007年)や、ヴィンフリート・メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(竹峰義和ほか訳、法政大学出版局、2010年)などを参照してもいいかもしれませんし、さらにハードコアに振り切れたい方には、カント『判断力批判』(熊野純彦訳、作品社、2015年)や、ヴェサリウス『ファブリカ 第Ⅰ巻・第Ⅱ巻』(島崎三郎訳、うぶすな書院、2007年)あたりをお薦めします。

★なお河出書房新社さんでは今月、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授の西谷大さんによる『見るだけで楽しめる! ニセモノ図鑑――贋造と模倣からみた文化史』という新刊もお出しになっています。また、来月には画集『ベクシンスキー 1929-2005』も同社より発売予定。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『塹壕の戦争 1914-1918』タルディ著、藤原貞朗訳、共和国、2016年11月、本体3,300円、A4変型判上製188頁、ISBN978-4-907986-12-4 
『ラングザマー――世界文学でたどる旅』イルマ・ラクーザ著、山口裕之訳、共和国、2016年11月、本体2,400円、四六変型判上製216頁、ISBN978-4-907986-21-6

★タルディ『塹壕の戦争』はまもなく発売。原書は『C'était la guerre des tranchées』(Casterman, 1993)です。タルディ(Jacques Tardi, 1946-)はフランスのバンド・デシネ界における巨匠の一人。2013年にはレジオン・ドヌール勲章の受勲を拒否して話題になったと言います。本書は「第一次世界大戦の《リアル》を徹底的に描き出して、「コミックのアカデミー賞」と呼ばれるアイズナー賞を受賞した」代表作(裏表紙紹介文より)。著者はまえがきでこう書いています。「『塹壕の戦争』は「歴史書」ではない。第一次世界大戦の歴史を語った漫画なのではなく、戦争にもてあそばれ、泥沼に陥った人間の営みを語った物語である。私はその物語を、時系列をも無視して切々と描いた。〔・・・〕戦争という名の痛ましい集団的「冒険」には、「英雄」も「主人公」もいない。名もなき人たちの言葉にしようもない苦悩の叫びがあるだけだ。〔・・・〕私の関心は、人間とその苦悩の軌跡であった。だからこそ、私は大きな憤りを覚えたのだ。〔・・・〕サラエボから20世紀と殺人の産業化が始まった。「第一次世界大戦」、当時それはワクワクさせる発想だったに違いない。毒ガスは、未来の扉を開いて新たな思想を育むのに違いない高度に「近代的なもの」、と信じられていたのだ・・・。こうした思想こそ、クロマニヨン人の時代から人間の心に深く刻まれていたものである。それが、人間が持ち続けている野獣性なるものなのだ」(6-7頁)。なお、共和国さんでは本書の続編である『汚れた戦争(Putain de guerre!)』(Casterman, 2008/2009; 2014)も刊行される予定だそうです。ちなみに既刊書ではタルディの挿画は『ブタ王子――ルーマニアのむかしばなし』(西村書店、1991年)で見ることができます。河出文庫版のセリーヌ『なしくずしの死』(全2巻、2002年、品切)のカバーを飾っていた印象的なイラストもタルディによるものです。

★ラクーザ『ラングザマー』はまもなく発売。共和国さんの新シリーズ「境界の文学」の第二弾。原書は『Langsamer!』(Literaturverlag Droschl, 2012)です。著者のイルマ・ラクーザ(Iluma Rakusa, 1946-)はソロヴェニア出身で現在はスイス・チューリヒ在住の小説家。既訳としては共編著や、アンソロジーに収録された短編小説などがありますが、単独著が邦訳されるのは初めてのことです。カヴァー紹介文は以下の通りです。「国際的な作家であり翻訳家、そして世界文学のしたたかな読み手である著者が、本を読むことによって「ラングザマー(もっとゆっくり)」とした時間の回復を試みる、極上の世界文学ガイド/読書論」。作家の多和田葉子さんが巻末にエッセイ「日常を離れた時間の流れの中で」を寄せておられます。「メディアから流れ出る情報は、爆撃、テロ、殺人の行われた場所と死者の数を次々投げつけてくるだけで、自分が何をしたらいいのかをじっくり考える時間は奪われ、ふりまわされ、疲れるだけの日常からどうやって逃れたらいいのかわからなくなる。/そんな中、過去に書かれた言葉を注意深く読むことで、自分の時間の流れをつくることができる。ゆっくりとした時間、ゆっくりしているけれども過去へ未来へと何千年も跳躍できる力強い『遅さ』である。文学を読むことによってそういう時間が得られるのだ、という当たり前のようで難しいことを、この本はしっかり伝えてくれる」(95-96頁)。ラクーザ自身は本書の巻頭におかれた「はじめに」で次のように書いています。「ここで語られるのは、徒歩で進んでいくことであり、ゆったりした時間や悠然とした心持ちである。〔・・・〕それは、タイムマネージメントやザッピング、もしくはイベントに夢中になってトレンドを追い求めることとは正反対のものである。ここで語ろうとしているのは、一時手を休めること、〈いま・ここで〉という経験である」(15-16頁)。スローライフのど真ん中にスローリーディングがある――そのけっして小さくない大切さが胸に沁みる本です。

『「西遊」の近代』尾高修也著、作品社、2016年10月、本体2,300円、46判上製292頁、ISBN978-4-86182-600-9

★発売済。「鴎外、漱石、藤村、芙美子、茂吉、荷風……。日本の近代は日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった。洋行体験で直面した努力と葛藤は彼らの文学に何をもたらしたか」(帯文より)。目次を列記しておきます。「西遊」ことはじめ――岩倉使節団と成島柳北|国費留学生森鴎外と夏目漱石|有島武郎と永井荷風の「放浪」|島崎藤村の「洋行」|斎藤茂吉の「遠遊」|正宗白鳥の「漫遊」|林芙美子と横光利一の「巴里日記」|「西遊」の時代おわる――中村光夫・吉田健一・森有正|後記。「日本の近代は、日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった」(7頁)。「日本の近代化はほとんど拙速に進められ、文学はその速すぎる変化をあと追いしながら、いわば穴の多い道を地ならしするようにして機能していく。〔・・・〕その精神的地ならしの独力を、作家たちの西洋体験をつうじてできるだけリアルに浮かび上がらせたいと思っている」(22頁)。「いまや明治維新後百五十年。日本がみずから西洋化を進めた歴史は、ある意味で惨憺たるものであった。が、そのあげく、現在独特な混交文化が熟しつつある。日本の試行錯誤の歴史が生んだ新文化である。ほとんど他に例がないものとして、そのありようが注目されるという時が来ているのかもしれない。そんな現状を用意した特異な西洋化の歴史の一面を、過去の「西遊」の文学が、こまかく実感的に証言してくれている。歴史の「肉感」の記録ともいうべき文学がそこにはあって、いまなお新鮮な読みものでありつづけている。それらの文章をつうじて、過去の日本人の経験の膨大な集積が浮かびあがるようである」(289頁)。


『連邦制の逆説?――効果的な統治制度か』松尾秀哉・近藤康史・溝口修平・柳原克行編、ナカニシヤ出版、2016年9月、本体3,800円、A5判上製330頁、ISBN978-4-7795-1105-9

★発売済。帯文に曰く「連邦制は対立と分離をもたらす統治制度なのか。あるいは対立を解消し、統合をもたらすものなのか。統合と分離という二つのベクトルに注目しながら、現代におけるその意義を問う」。収録論考は書名のリンク先をご覧ください。理論編と事例編の二部構成で、後者では連邦制(federalism)や地方分権化、自治州国家や二重帝国の事例として、ベルギー、スペイン、イギリス、オーストリア、オーストリア=ハンガリー、ロシア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マレーシア、インドネシア、カナダ、アメリカ、フィリピンなどが論じられています。序章にはこう書かれています。「本書は連邦制や地方分権政策の起源、さらにそれらが効果的に機能する条件もしくは機能不全に陥る条件を、それぞれの事例にお維持て提供する。単に欧米の「逆説」議論に追従するわけでもなく、しばしば「地方消滅」などが叫ばれるわが国でも議論される道州制導入の是非など、実践的課題を見直す機会の書となれば幸いである」(8頁)。逆説、というのは、「連邦制の導入によって、国家の民族的異質性を連邦構成体内の同質性に転化でき、社会的多元性を減少させることができるので、民族間対立を解消できる」(アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』勁草書房、2005年参照)はずが、東欧のチェコ、ユーゴ、ソ連は消滅し、カナダのケベック・ナショナリズム、ベルギーの地域間対立、スペインやイギリスでの分離独立運動など、様々な問題と課題が生まれている事態を指しています。編者が指摘する通り、日本の今後を考える上で無関心ではいられない議論ではないでしょうか。


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