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注目新刊:エルヴェシウス『精神論』京都大学学術出版会、ほか

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★まず注目新刊既刊を列記します。



『精神論』エルヴェシウス(著)、森岡邦泰/菅原多喜夫(訳)、近代社会思想コレクション:京都大学学術出版会、2024年7月、本体7,400円、四六判上製772頁、ISBN978-4-8140-0529-1
『黒人法典――フランス黒人奴隷制の法的虚無』ルイ・サラ=モランス(著)、中村隆之/森元庸介(訳)、世界人権問題叢書:明石書店、2024年6月、本体3,800円、4-6判上製488頁、ISBN978-4-7503-5761-4

『家の哲学――家空間と幸福』エマヌエーレ・コッチャ(著)、松葉類(訳)、勁草書房、2024年6月、本体2,500円、4-6判上製196頁、ISBN978-4-326-15488-3

『教育の超・人類史――サピエンス登場から未来のシナリオまで』ジャック・アタリ(著)、林昌宏(訳)、大和書房、2024年6月、本体3,000円、四六判上製496頁、ISBN978-4-479-79809-5

『教理講話』新神学者シメオン(著)、大森正樹/谷隆一郎(訳)、知泉学術叢書:知泉書館、2024年6月、本体6,300円、新書判上製552頁、ISBN978-4-86285-410-0

『意識と無意識――ETHレクチャー(2)1934
』C・G・ユング(著)、E・ファルツェーダー(編)、河合俊雄(監修)、猪股剛/宮澤淳滋/長堀加奈子(訳)、創元社、2024年6月、本体4,000円、A5判並製224頁、ISBN978-4-422-11734-8

『ビジュアル図鑑 魔導書の歴史』オーウェン・デイヴィス(著)、辻元よしふみ/辻元玲子(訳)、河出書房新社、2024年5月、本体5,900円、A4変形判上製256頁、ISBN978-4-309-22905-8



★『精神論』は、京都大学学術出版会の素晴らしいシリーズ「代社会思想コレクション」の第36弾。18世紀フランスの哲学者で啓蒙思想家クロード=アドリアン・エルヴェシウス(Claude-Adrien Helvétius, 1715-1771)の主著『De l'esprit』(1758年)の全訳です。底本はシャンピオン版全集第1巻(2016年)とのこと。聖書に反する、という理由から教会や宮廷から「激しい批判を浴び、教会に断罪された問題の書」(帯文より)。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。


★本文より印象的な箇所を引きます。「陰謀家は、人間というものを知らない。それを知っていても、彼には役に立たないであろう。彼の目的は公衆の歓心を買うことではなく、何人かの権力者たち、そしてしばしば限られた人々に気に入られることである。過度の才覚は、この意図を損なうであろう。凡庸な人々に気にいられるためには、一般的に、ありふれた誤りに順応し、慣習に従い、みなに似る必要がある。高度な精神は、そこまではりくだることができない。彼は、水の流れのままに漂う軽い小枝であるよりも、むしろ、決壊することになっていたとしても、急流に抵抗する堤防であることをの好む」(第四論説「精神に与えられたさまざまな名称について」第十三章「振る舞いの才覚」、670頁)。


★エルヴェシウスの訳書が刊行されるのは、彼の死去の翌年、1772年に刊行された『人間論(De l'homme)』の、根岸國孝さんによる二度にわたる抄訳以来で、約58年ぶりです。原著全10巻のうち、第1~3巻の初訳が『人間論(上)』(世界古典文庫、日本評論社、1949年)で、巻頭の訳者付記によれば、主たる底本はロンドンで1781年に出版された全集の第Ⅲ~Ⅴ巻。『人間論』の研究は「東京商科大学フランス唯物論研究会同人によって始められた」(26頁)とのことです。興味深いエピソードなので、もう少し訳者付記より引用します。


★「同人たちの共同のテーマは、「ただに既存の政治的諸制度にたいする闘争でありまた既存の宗教や、神学にたいする闘争であったばかりでなく、同じくまたそれは、十七世紀の形而上学にたいする、また一般にあらゆる形而上学にたいする一つの公然と名乗りをあげての闘争でもあった」(カール・マルクス『神聖家族』)といわれるフランス唯物論の思想構造、その思想史的系譜およびその物質的基礎を究明することにあった。この訳書は、同研究会の成果でもある。同人であった長谷川正安、平田清明、上野裕也の諸氏のご努力がなかったならば、この訳書は日の目をみなかったであろう」(同頁)。


★その後、明治図書の創業50周年記念出版である「世界教育学選集」の第37巻として、改訳版の『人間論』が1966年に刊行されます。こちらは原著の第1巻、第2巻(抄訳)、第5巻、第10巻の本文を訳出したもの。第3巻は収録されていません。底本は世界古典文庫版と変わりありません。選書という性格もあって、初訳出版に至る上記のエピソードは省略されています。


★『黒人法典』は、フランスの哲学者ルイ・サラ=モランス(Louis Sala-Molins, 1935-)の代表作『Le Code noir ou le Calvaire de Canaan』(PUF, 1987)の全訳。底本にはPUFのカドリージュ叢書版第6版(2018年)が用いられています。「黒人法典」というのは、ルイ14世治世下の1685年に発布された法文書で、奴隷貿易と奴隷制へのフランスの関与を示す史料です。「本書がフランスにおける黒人法典の認知に貢献した文献であるのは疑いようがない。原著が刊行された1987年当時、黒人法典は一部の歴史家のあいだで知られる程度のものであり、奴隷貿易と奴隷制の歴史のなかの一コマにすぎなかった。原著のなによりもの貢献は、古文書や古い専門書のなかに埋もれていた黒人法典というテクストを復刻し、だれもが読めるようにしたことにある」(訳者解説より、452頁)。


★もう少し訳者解説から引きます。「著者は、黒人法典の発掘を通じて、奴隷貿易と奴隷制をめぐる問題群を発見し、これらをフランスの思想史のなかに導入したのである。なぜフランスはアンティル諸島の黒人奴隷を黒人奴隷として正当化する法律を制定したのか。なぜ1658年に制定された黒人法典は、人権や平等をうたう啓蒙主義の時代を平然と生き延びて160年以上も続いてきたのか。こうした問いに答えるためには、たんに黒人法典を復刻するだけでは十分ではなく、黒人法典が成立する以前にまでさかのぼり、フランスで黒人がどのように当時の言説のなかで表象され、論じられてきたのかをたどる必要があったのである」(453~454頁)。


★なお同書では全面帯が採用されているのが印象的です。サラ=モランスの既訳書には、『ソドム――法哲学への銘』(原著1991年;馬場智一/柿並良佑/渡名喜庸哲訳、月曜社、2010年)があり、14年ぶりの待望の新刊となります。
https://getsuyosha.jp/product/978-4-901477-74-1/


★『家の哲学』は、イタリア出身の哲学者で現在フランスの社会科学高等研究院(EHESS)准教授をつとめるエマヌエーレ・コッチャ(Emanuele Coccia, 1976-)の著書『Filosofia della casa: Lo spazio domestico e la felicità』(Einaudi, 2021)の、仏訳版『Philosophie de la maison : L'espace domestique et le bonheur』(traduit par Léo Texier, Rivage, 2021)からの全訳。訳者あとがきによれば「著者自身がフランス語で著述でき、訳にもみずから目を通していること、元のコラムや講演がフランス語であること、仏伊語版がほぼ同時に出版されていることからも、原著との異同や解釈不一致の類はほぼないと思われる」。


★序論から引きます。「哲学にとって、家を忘れることは、みずからを不幸にすること、つまり幸福を都市と政治とに従わせることで、思考不可能にしてしまうことを意味する。哲学は、家を家系図と財産という力に任せてしまうことで無理やり切り縮め、家を解剖学的な身体と混同し、幸福のしるしをもつすべてを壁のかなから都市へと追い出してしまった。幸福が実体をもたない影絵となったとすれば、その理由は、家の敷地――そのなかにはもはや幸福のための場所はない――から切り出されたことで、幸福が政治的な事柄となり、都会にしかない存在であると偽ってきたからだ。反対に、近代的な街とは、もはや自分の家で作り出すことができない自由と幸福とを生み出すために、家の秩序に逆らって建築されたちぐはぐな場所、技術、装置の総体であり、たぐいまれな発明にほかならない。街の労働、消費、教育、文化あるいは娯楽をつうじて、わたしたちは自然に、よく考えないまま、この奇妙な見て見ぬふりの状態をやりすごすようになったのである」(7~8頁)。


★「近代において哲学は、都市にすべてを位置づけた。しかし、わたしたちの惑星の未来は家のなかにしか存在しえないのだ。わたしたちは家を考えなければならない。というのも、わたしたちは、この惑星から本当の、品来の住まいを作ること、あるいは、わたしたちの住居から真の惑星、つまりみなを迎え入れることのできる空間を作るよう強いられながら暮らしているからだ。都市をグローバル化しようという近代の計画は、わたしたちのアパートを開放して地球と一致させるという計画に置き換わったのだ」(11頁)。




★『教育の超・人類史』は、フランスの思想家ジャック・アタリ(Jacques Attali, 1943-)の著書『Histoires et avenirs de l'éducation』(Flammarion, 2022)の訳書。巻頭には「日本の読者へ」という一文が加えられています。「これまで私はさまざまな分野において、過去を分析することによって未来を予測する書籍を多数上梓してきた。本書もそうした試みの一冊だ」(2頁)。「世界の他の地域と同様、日本においても、外国の教育事例に精通し、性別や出自にかかわらず、生徒、若者、大人に教育の機会を均等に保証し、インターネットやビデオゲームの中毒に抗い、読書と手書きを奨励し、競争の激化を緩和し、個人のテスト結果に重きを置きすぎず、将来必要とされる資質を育成することが急務なのだ」(3頁)。主要目次を以下に転記しておきます。


日本の読者へ
序章 教育の歴史から未来を予測する
第一章 教育のはじまり――ホモ・サピエンス登場から2000年前まで
第二章 一神教による教育の支配――紀元一世紀から1448年まで
第三章 印刷技術の発達と宗教改革で広がる知識――1448年から1700年まで
第四章 権力者と理想の教育――1700年からフランス革命まで
第五章 教育の発達と経済――1800年から1900年まで
第六章 すべての人が教育を受ける時代――1900年から2022年まで
第七章 これからの教育――ホモ・バルバリクスあるいはホモ・ハイパーサピエンスのシナリオ
筆を置く前に
謝辞


★日本の事例は第五章での「日本:徹底した西洋化」と第六章での「日本:まもなく子供のいなくなる国の過酷な競争」をはじめ、節題に日本と書かれていなくても言及があります。巻末の「筆を置く前に」では、世界に向けた20の提言、フランスに対する20の具体的な提言、読者に向けた20の具体的な提言、が箇条書きで書かれていますので、時間のない読者はまずここから読んでもいいかもしれません。


★『教理講話』は、「知泉学術叢書」の第32弾。東方正教会の聖人であり、小アジア(現在のトルコ)で苦難の人生を歩んだ、新神学者シメオン(Συμεὼν ὁ Νέος Θεολόγος, 949-1022)の主著『カテケーシス』の全訳。底本はフランスのCerfが刊行しているシリーズ「Sources Chrétiennes」で1963年から1965年にかけて出版された第96巻、第104巻、第113巻です。シメオンの著作は平凡社版『中世思想原典集成』や新世社版『フィロカリア』などに翻訳が収録されたことがありますが、アンソロジー以外でまとまった著作が一冊の独立した書籍として翻訳出版されるのは、本書が初めてになります。


★カバー裏紹介文に曰く「東方教会で「神学者」の名称を与えられた三人のうち最後の人「新神学者シメオン」(949-1022)は10-11世紀に活躍した,霊性史上特異な存在であった。この「新」とは彼の新奇さや異様さを示し,教会の制度を超えて神と人間との直接の交わりを強調したことによる。/本書は彼が修道士たちに向けて,修道生活の細かい注意や生活指針から始まり祈りと信仰の真実まで,修道士の霊性を高めるために行った講話の全訳である」。なお、三人の神学者のうちシメオンに先行する二人というのは、福音記者ヨハネと、ナジアンゾスのグレゴリオスのこと。


★『意識と無意識(1934)』は、スイス連邦工科大学で行われたユングによる講義の記録である「ETHレクチャー」の第2巻。既刊には、2020年の第1巻『近代心理学の歴史(1933-1934)』と、2023年8月の第6巻『ヨーガと瞑想の心理学(1938-1940)』があり、今回で3点目となります。原著は『Consciousness and the Unconscious』(2022)。帯文は以下の通り。「ユング心理学の概念を入門的にわかりやすく紹介した基礎講座。大学に復帰した2年目、1934年に行われた講義の記録。ユングみずからが「意識と無意識」「思考・感情・感覚・直観」「タイプ」「言語連想検査」「夢の臨床」など、ユング心理学を知るための入口となる基礎的な概念を一つ一つていねいに説く。入門の書であり、ユングの精髄が秘められた一冊」。全12講。


★「私の経験からすると、たいてい、基本となる用語が原因で理解が困難となるようです。そこで、今学期はより素朴なものごと――つまり、基本的な用語と方法――についてお話しすることにしました。この話を通じて、私が扱っている概念たちがどのように生まれてきたのかを、みなさんにご説明したいと思います」(第1講、3頁)。「無意識の機能は、意識の機能とは、いくぶん異なる〔…〕。思考プロセスや感情プロセスの無意識的なあり方は、古風であるという点で、明確に異なっています。その機能の特徴は、古代的で、大衆の信念に近いものです。無意識はより原始的で、そのためその結論は、私たち自身の推論とは一致しません。それはむしろアナロジーによって動いていきます」(第4講、32頁)。


★『ビジュアル図鑑 魔導書の歴史』は、英国の歴史家でハートフォードシャー大学教授のオーウェン・デイヴィス(Owen Davies, 1969-)の著書『Art of the Grimoire: An Illustrated History of Magic Books and Spells』(2023)の訳書。米国のYale University Pressから刊行されている版をネットでは見かけますが、訳書の奥付を見る限り、著作権は英国のQuarto Publishingにあるようです。版元ウェブサイトの単品頁にも「原書はビジュアルに定評のあるイギリスのクオルト社、アメリカ版は名門イエール大学出版局から刊行」とあります。帯文に曰く「人類の想像力が結晶した魔導書の、妖しくも美しい世界を、250点超の図版とともにたどる」と。


★帯表4に記載されている「本書の特徴」も転記しておきます。「1.魔導書の歴史を網羅した、初めてのビジュアル図鑑。2.西洋だけでなく、アジア、アフリカ、南米など世界の魔導書を解説。3.魔導書の歴史とともに、筆記や印刷の発展史もわかる。4.日本の妖怪やアニメも登場。5.重要なポイントはコラムで詳しく解説」。図版はオールカラーで美しいです。デイヴィスの既訳書には、『世界で最も危険な書物――グリモワールの歴史』(原著2009年;宇佐和通訳、柏書房、2010年;著者名表記は「オーウェン・デイビーズ」)があります。


★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『而今而後〔ジコンジゴ〕――批評のあとさき(岡﨑乾二郎批評選集 vol.2)』岡﨑乾二郎(著)、亜紀書房、2024年7月、本体3,900円、A5判上製516頁、ISBN978-4-7505-1838-1
『ロシア文学の怪物たち』松下隆志(著)、書肆侃侃房、2024年7月、本体1,800円、四六判並製200頁、ISBN978-4-86385-629-5



★『而今而後』は、造形作家で批評家の岡﨑乾二郎(おかざき・けんじろう, 1955-)さんの批評選集の第2巻で、完結巻となります。。第1巻『感覚のエデン』(亜紀書房、2021年)は毎日出版文化賞(文学・芸術部門、第76回)を受賞されています。帯文に曰く「而今而後(=いまから後、ずっと先も)の世界を見通し、芸術・社会の変革を予見する。稀代の造形作家の思想の軌跡を辿り、その現在地を明らかにする、比類なき批評集」。全五章で、各章巻末に著者自身の談話による解題が加えられています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。なお帯文には、柄谷行人さんの推薦文も記載されています。「岡﨑乾二郎は稀有な存在である。彼にあっては、芸術制作と哲学的認識、自身の生活と社会運動が一つになっている」。


★「而今而後」の出典は『論語』泰伯第八です。「曽子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子」(曾子、疾あり。門弟子をよびて曰く、予が足をひらけ、予が手をひらけ。詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如しと。今よりして後、吾免かるるを知るかな、小子)。版元プレスリリースによれば「この言葉には〔…重度の脳梗塞からの〕「恢復」の過程が重ねられています」とのこと。


★書名にもなっている巻頭に置かれた文章「而今而後」は、編集部のノートによれば、もともとは2015年に著者が還暦を迎えるにあたって制作された私家版の冊子『而今而後』で発表されたもの。「連続する時間の中でただ一回きりのはずの出来事-死が、再び、いまこの私の内に起こる。その死はもはや私のものである。誰にも代理できない痛みを持って私は、その死とともに再び生まれる、而今而後」(15頁)。著者が脳梗塞を患ったのはその6年後の2021年です。「入院後に読み返して、こちらも、脳梗塞後に経験していることが予告的に書かれていることに自分でも驚きました」(第Ⅰ章著者解題より、90頁)。


★『ロシア文学の怪物たち』は、岩手大学准教授で現代ロシア文学・文化がご専門の松下隆志(まつした・たかし, 1984-)さんによる書き下ろし。帯文に曰く「ロシア文学は現実の不確かさを読者に突きつけ、世界の裂け目に開いた深淵を露わにする。『青い脂』(ソローキン)や『穴持たずども』(マムレーエフ)など“怪作”を翻訳してきた著者による「悪」のロシア文学入門」。木澤佐登志さんが推薦文を寄せておられます。「虚無的な現実を覆う皮膜の下で蠢く怪物たちの饗宴。間違いない、本書は毒にも劇薬にもなりうる」。


★取り上げられている書目を列記すると、ゴーゴリ『外套』、ゴンチャロフ『オブローモフ』、ドストエフスキー『地下室の手記』、トルストイ『イワン・イリイチの死』、チェーホフ『六号室』、ザミャーチン『われら』、マムレーエフ『穴持たずども』、ソローキン『マリーナの三十番目の恋』、ペレーヴィン『ジェネレーション〈P〉』、エリザーロフ『図書館大戦争』、の計10点に1章ずつ割かれ、最後の第11章では、ナールビコワ『ざわめきのささやき』/トルスタヤ『クィシ』/スタロビネツ『むずかしい年ごろ』の3点が取り上げられています。『クィシ』は抄訳のみですが、そのほかは訳書があります。


★「危うい魅力に満ちたロシア文学の古典や、いずれ古典と呼ばれるようになるだろう現代の重要な作品について、自分なりに物語ろうと思う。古典と言うと、ややもすると古臭くて退屈なものを想像するかもしれないが、安心してほしい。ロシア文学には、誇りをかぶって大人しく本棚に収まっているような作品はひとつとしてないのだから」(はじめに、4頁)。「世界の深淵と対峙することを怖れないロシア文学の作家たちを、私は畏怖の念を込めて「怪物」と呼ぶことにしよう」(5頁)。「この本は〔…〕いわば、ロシア文学の怪物たちとのごく私的な対話である」(同頁)。巻末にはブックガイドが配されています。

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