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注目新刊:『ヴォルテール回想録』『反マキアヴェッリ論』、ほか

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『ヴォルテール回想録』福鎌忠恕訳、中公クラシックス、2016年10月、本体1,800円、新書判308頁、ISBN978-4-12-160169-8
『反マキアヴェッリ論』フリードリヒ二世著、大津真作監訳、京都大学学術出版会、2016年8月、本体4,200円、四六上製600頁、ISBN978-4-8140-0041-8

★福鎌忠恕訳『ヴォルテール回想録』の親本は1989年に大修館書店より刊行された同名の単行本で、大修館書店本は『ヴォルテール自叙伝』(元々社、1954年)の増補改訳版です。大修館書店版からは回想録の全18章と追記Ⅰ~Ⅲ、参考文献としてコジモ・コッリーニ『フランクフルト事件の詳細』とフリードリッヒ大王『ヴォルテール頌辞』の訳が解説と訳注を付して併載されています。親本の訳者解説とあとがきも収録。再刊にあたり、巻頭に中条省平さんよる解説「波乱の人生が鍛えあげた実践的哲学」が置かれています。

★本書の帯文はこうです。「フリードリッヒ大王との愛憎半ばする交友関係を軸にリシュリュー、ポンパドゥール夫人、マリーア・テレージア等、当代代表的人物を活写」と。なお、本書に収められたフリードリッヒ大王『ヴォルテール頌辞』は、8月に刊行されたフリードリヒ二世『反マキアヴェッリ論』でも「フリードリヒによるヴォルテール讃」として訳出されています。このところヴォルテールは『寛容論』(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2016年5月)や、『カンディード』(堀茂樹訳、晶文社、2016年6月)などの新訳が続いており、再読の機運が高まっているように感じます。

★「近代社会思想コレクション」の第17弾『反マキアヴェッリ論』は、18世紀におけるプロイセンの啓蒙専制君主として名高いフリードリヒ二世が王太子時代にフランス語で著し、監修者ヴォルテールの序文を添えてオランダで1740年に出版された『Anti-Machiavel ou Examen du Prince de Machiavel』の全訳です。凡例によれば底本には「ヴォルテールによる削除、補足、訂正を盛り込んだガルニエ版と1834年のハンブルク版を用い、その他、1741年版、1750年版、さらには直筆訂正版である1789年版などを参照した」とのことです。出版に至るいささかこみいった経緯については巻末の解説に詳しいです。

★「国家のために奉仕する国家理性の体現者としての君主像」(解説より)を、王としての即位以前に率直に綴った本書は、マキャヴェリズムへの解毒剤として読むことができ、当時の欧州でベストセラーとなったと言います。「人びとの善意につけ込み、悪意を隠し、下劣な術策を用い、裏切り、誓いを破り、暗殺すること――これが、この悪辣な博士が怜悧と呼ぶものである。〔・・・〕あなたがたには、犯罪のなかで抜きん出る利点鹿残されていないし、あなたがたと同じくらい人でなしの怪物に対して、その犯罪のなかで抜きん出る道を教えたという栄誉しか残されていないことを恐れよ」(84~86頁)とフリードリヒ二世は書きます。大王自身はその後、理想と現実の板挟みの中で生き、ヴォルテールとの交流には紆余曲折が多々生まれます。それらについては前出の『ヴォルテール回想録』にヴォルテール側から見た王の横顔として記されています。大王はヴォルテールと決裂する場面もかつてあったものの、彼の死に際して最大の賛辞を送りました。ただし、かつて敬愛してやまなかったはずの相手であるヴォルテールを利用しようした節も見受けられるだけに、権力者の素顔の複雑さを感じます。

★フリードリヒ二世の著書は20世紀前半に何度か翻訳されています。そのいくつかが石原莞爾の監修によって公刊されているというのは興味深いことです。第二次世界大戦中には国民社より『フリードリッヒ大王全集』が刊行開始となったようですが、国会図書館で調べる限り、第3巻『七年戦争史 第1部』(外山卯三郎訳、国民社、1944年)しか確認できません。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『多としての身体――医療実践における存在論』アネマリー・モル著、浜田明範/田口陽子訳、水声社、2016年9月、本体3,500円、四六判上製286頁、ISBN978-4-8010-0196-1
『作家、学者、哲学者は世界を旅する』ミシェル・セール著、清水高志訳、水声社、2016年10月、本体2,500円、四六判上製227頁、ISBN978-4-8010-0198-5
『小説読本』三島由紀夫著、中公文庫、2016年10月、本体700円、文庫判248頁、ISBN978-4-12-206302-0
『現代思想』2016年11月臨時増刊号「総特集=木村敏――臨床哲学のゆくえ」青土社、2016年10月、本体2,200円、A5判並製278頁、ISBN978-4-7917-1331-8
『ナムジュン・パイク――2020年 笑っているのは誰 ?+?=??』ワタリウム美術館編著、平凡社、2016年10月、A4変判並製176頁、ISBN978-4-582-20689-0

★モル『多としての身体』は9月刊行、叢書「人類学の転回」第4回配本。原書は、The Body Multiple: Ontology in Medical Practice (Duke University Press, 2002)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アネマリー・モル(Annemarie Mol, 1958-)は、オランダ・アムステルダム大学教授。訳者あとがきで、モルは「アクター・ネットワーク・セオリーの騎手の一人として知られ、ブルーノ・ラトゥール〔Bruno Latour, 1947-〕や、ジョン・ロー〔John Law, 1946-〕とともに、科学技術論と人類学を架橋する仕事を行ってきた」と紹介されています。

★さらに本書については訳者は次のように説明します。「オランダの大学病院における調査をもとに、実践としての生物医療における存在論がどのようなものであるのかを探究したものである。〔・・・〕実践やプロセスに注目することによって、通常一つだと考えられている疾病に複数のヴァージョンがあることを暴き出し、さらに、それらが断片化するのではなく、どのような関係を伴いながら共在しているのかを民族誌的手法を用いながら記述するという構成をとっている。科学技術論や実験室の民族誌における実践や翻訳への注目という手法を用いながらアクターとそのネットワークに注目するのみならず、逸材そのものが「実行」されるという主張を打ち出すことで、実在の複数のヴァージョンが共在していることを明確にしたことが、本書の最大の貢献であろう」。

★セール『作家、学者、哲学者は世界を旅する』は今月刊行、叢書「人類学の転回」第5回配本。原書は、 Écrivains, savants et philosophes font le tour du monde (Le Pommier, 2009)です。目次を列記すると、序章「三つの世界旅行」、第一章「われらがトーテミストの系譜」、第二章「魂は皆のために、衣服はおのおののために」、第三章「私、モナド、アナロジスト」、第四章「自然と文化の婚姻」終章「幹」です。巻末の訳者解説で本書は次のように紹介されています。「数あるミシェル・セールの書物のうちでも、記念碑的な作品の一つであるといえるだろう。さして大著ではないが、これは今日振り返って見ると、21世紀になってあらたに勃興してきた、モノやノン・ヒューマンを巡るさまざまな施策や、近年の人類学のいわゆる存在論的転回〔オントロジカル・ターン〕とも深く絡み合う側面を持ち、また諸学問の歴史にまつわる知見の膨大な蓄積を背景にして、彼自身の思想の画期的な新展開が語られたという意味でも、まさに驚くべき仕事なのだ」。

★また、現代フランス思想界の長老であるセール(Michel Serres, 1930-)については次のように説明しておられます。「驚くべきことに、80歳をとうに超えた現在でもまったく現役であり、毎年のように様々な主題の書物を発表し続けている。そればかりか、とりわけ彼の思想的な系譜を継いだブリュノ・ラトゥールが、人類学や、グレアム・ハーマンらのオブジェクト指向哲学、新しい唯物論ろいった最新の思想潮流に決定的な影響を及ぼしていることから、その現代性があらためて認識されるにいたっている。2016年7月になって、クリストファー・ワトキン〔オーストラリア・モナシュ大学上級講師〕が『今日のフランス哲学』と題した本を出版し、バディウ、メイヤスー、マラブー、ラトゥールとともに、セールを現代フランス思想の《新世代》として紹介する、といった事件すら、今なお進行しているのである」。

★叢書「人類学の転回」の続刊予定には以下の書目が挙がっています。トリン・T・ミンハ『フレイマー・フレイムド』、マイケル・タウシグ『模倣と他者性』、アルフレッド・ジェル『アートとエージェンシー』、フィリップ・デスコラ『自然と文化を超えて』。

★三島由紀夫『小説読本』は発売済。親本は2010年に中央公論新社より刊行されたオリジナル・アンソロジー。文庫化にあたって、平野啓一郎さんによる解説「混沌を秩序化する技術」と、索引(人名・作品名)が加わっています。収録されているテクストを列記すると、「作家を志す人々の為に」「小説とは何か」「私の小説の方法」「わが創作方法」「小説の技巧について」「極く短い小説の効用」「法律と文学」「私の小説作法」「法学士と小説」「法律と餅焼き」「私の文学」「自己改造の試み」「「われら」からの遁走」。カバー裏紹介文はこうです。「小説家はなりたくてなれるものではない――。小説の原理を追究した長篇評論「小説とは何か」を中心に、「私の小説の作法」「わが創作方法」など、自ら実践する作法を大胆に披歴した諸篇を収める。作家を志す人々に贈る、三島由紀夫による小説指南の書。待望の文庫化」。中公文庫ではこれまでに三島の「文学読本」三部作として『文章読本』を刊行、今回が第二弾で、来月には『古典文学読本』が発売予定とのことです。

★『現代思想』臨時増刊号「総特集=木村敏」は発売済。収録されている討議、論考、エッセイは書名のリンク先をご覧ください木村先生ご自身は森田亜紀さん(著書『芸術の中動態――受容/制作の基層』萌書房、2013年)との討議「臨床哲学/芸術の中動態」(8~25頁)に参加されています。木村さんとの対談本『生命と現実』(河出書房新社、2006年)を上梓されている檜垣立哉さんは、内海健さんとの討議「存在・時間・生命――木村敏との対話」 のほか、「木村敏と中井久夫――臨床とイントラ・フェストゥム」という論考を寄せておられます。なお、木村先生の近年の出版物には『臨床哲学の知――臨床としての精神病理学のために』(今野哲男=聞き手、洋泉社、2008年、品切)、『精神医学から臨床哲学へ』(ミネルヴァ書房、2010年)、『あいだと生命――臨床哲学論文集』(創元社、2014年)などがあり、著作集全8巻は弘文堂から刊行されています(現在は品切)。

★『ナムジュン・パイク』は、現在神宮前のワタリウム美術館で後半が開催中の展覧会「没後10年 ナムジュン・パイク展 2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」の図録を兼ねた出版でまもなく発売。ナムジュン・パイク(Nam June Paik, 白南準, 1932-2006)は言わずと知れた韓国系アメリカ人の現代美術家。フルクサスの一員で、ビデオアートの先駆者です。今回の展覧会の展示室の内容にそのまま対応している主要目次は以下の通り。「フルクサスとの出会いからビデオアートの誕生まで 1956-78」「VIDEAいろいろ 1980-83」「サテライトTV ビデオアートの世界同時配信へ 1984-88」「パイク地球論 1990-」「ユーラシアのみちと永平寺 1993-」「ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイク 1961-2006」「2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」。巻末に年譜あり。近年ではパイクの伴侶だった久保田成子(くぼた・しげこ:1937-2015)さんへのインタヴュー本『私の愛、ナムジュン・パイク』(平凡社、2013年)も刊行されています。


メモ(5)

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「新文化」2016年10月25日付記事「トーハン子会社、あおい書店(東京)の全株式を取得」および、「文化通信」同日付記事「トーハン、あおい書店の全株式を子会社が譲受」によれば、取次大手トーハンの100%子会社で中間持株会社である有限会社ブックス・トキワが、株式会社あおい書店の発行済全株式を譲り受けるという株式譲渡契約を本日締結した、とのことです。「新文化」記事によれば、「あおい書店(東京)は9月1日、名古屋市熱田区に本社を置く株式会社あおい書店から分割により設立。資本金1000万円。同社は東京、愛知、神奈川、京都、岐阜、静岡に19店舗を展開。売上高は約50億円という。一方、名古屋に本社を置くあおい書店は3店舗を運営」と。トーハンからはあおい書店(東京)に代表取締役社長を派遣して経営を行うとのことです。取次による書店の子会社化はいったいどこまで進むのでしょうか。

ジュンク堂書店池袋本店が大阪屋帳合からトーハン帳合に一本化され、トーハンが八重洲BCの半数の株式を取得し社長とスタッフを派遣して日販とのダブル帳合からトーハンに一本化となり、戸田書店がMARUZEN&ジュンク堂と提携し、日販が文教堂の筆頭株主となってトーハンから日販に帳合変更・・・と昨今目まぐるしい変化が業界紙を賑わせていますが、一般読者の皆さんにはどう映っているでしょうか。

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メモ(6)

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ついに「銀座蔦屋書店」の情報が本日リリースとなったようです。来春(2017年4月20日)、銀座6丁目の複合施設「GINZA SIX」内に開店。枚方T-SITEのオープンで2010年代における書店の進化形態の極点へと到達し、これ以上やることなどないのではとすら思われた蔦屋書店/CCCですが、次の一手はなんと銀座進出でした。ファミリー路線からハイブランド路線への決定的転回というべきでしょうか。今回の店舗は京都岡崎蔦屋書店などと同様に今まで以上にアート推しで、なおかつ他支店に類を見ないほどイベント推しなのですけれども、弊社のような弱小メーカーとしては芸術書だの催事だのってそんなに儲かってたっけ、と実はぼやきたくなる今日この頃です。帳合は日販。関連記事は以下の通り。

「Fashionspap.com news」2016年10月26日付記事「銀座エリア最大の商業施設「GINZA SIX」来年4月20日に開業 ラグジュアリーメゾンが出店」に曰く「アートのための蔦屋書店」。

「FASHION PRESS」2016年10月26日付記事「銀座最大の商業施設「ギンザ シックス」エリア最大241ブランド、サンローラン・ディオールの旗艦店も」に曰く6階には「銀座 蔦屋書店」が開店。本を買うためだけでなく、そこで過ごす時間を楽しんで欲しいという願いを込めて、書籍だけでなく文具・雑貨、カフェ、ギャラリーと様々な機能を果たしていく」。

「WWD JAPAN NEWS」2016年10月26日付記事「「ギンザ シックス」の全241テナントを紹介」に曰く「6階-アート・ブック&カフェ、レストラン・・・銀座 蔦屋書店、スターバックス コーヒー、ほか」。テナント明細は森ビルの2016年10月26日付プレスリリースPDF「GINZA SIX店舗リスト」でも確認できます。カテゴリーは「ブック&カフェ」で、「「アートと本とアートの本」に溢れた蔦屋書店です。カフェやギャラリーを併設し、文具・雑貨のコーナーも充実。日本の文化や美意識を発信するとともに、アートとともに暮らす生活を提案します」と紹介されています。

なお、銀座蔦屋書店のイベントスペースの案内では、「アートと本とアートの本に満ちた銀座 蔦屋書店の中央にある、一際目を引く「書物櫓」。ここは、「知性」「アート」「ライフスタイル」をキーワードに、新しい情報を「イベント」というスタイルで発信する基地です。吹き抜け空間にそびえる書架に囲まれ、書物に包まれるように過ごす時間が、特別なクリエイションを生み出します。ご利用に関しては、銀座 蔦屋書店イベントコンシェルジュまでお問い合わせください」とあります。58坪、2階吹き抜け、シーティング150名、スタンディング200名、とのことです。

また、同店のオープニングスタッフの採用情報によれば、「アート、文化、クリエイションを愛し、誰かに提案したいと思っている仲間を100人求めています」とのこと。募集職種は、書店、イベント、EC/WEB、カフェの四部門。書店部門の仕事内容と募集する人材は「アート、日本文化、写真、建築、デザイン、ファッションなどを通してのライフスタイル提案に高い意欲のある方を募集します。/本や雑貨の担当として商品企画や仕入れ、売り場作りを行い、実際に接客もしていただきます。/書店経験、美術館の学芸員の経験、文具雑貨の商品開発や企画の経験、接客経験のある方歓迎します」とのことです。募集しているのは、正社員、契約社員(年棒制)、アルバイト、業務委託。採用説明会は来月3日から複数回あるようです。

アート推しということはグループ会社の美術出版社さんなどの出番だったりするのかなと思い、CCCの100%子会社である「カルチュア・エンタテインメント株式会社」(2014年設立)のグループ会社一覧を確認していたら、CCCメディアハウスや美術出版社だけでなく、ネコ・パブリッシングも復刊ドットコムも光村推古書院もFujisanもグループ会社なのですね。すごいです。

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注目新刊:カヴェル『悲劇の構造』春秋社、ほか

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悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学
スタンリー・カヴェル著 中川雄一訳
春秋社 2016年10月 本体4,500円 四六判上製448頁 ISBN978-4-393-32351-9

帯文より:悲劇は懐疑論の解釈である! 神も、知識も、愛も、すべての基盤を喪失した世界で人はいかに生きるか? リア王、マクベス、ハムレットといったシェイクスピア劇が問いかける懐疑論的課題を剔抉し、人間の真実を突きつけるアメリカ哲学の巨人カヴェルの思索。シェイクスピア没後400年。

★発売済。原書は『Disowning Knoledge: In Seven Plays of Shakespeare』(Cambridge University Press, 1987; Updated edition, 2003)です。訳者によれば原題は『知識と縁を切ること――七つのシェイクスピア劇をめぐって』と。目次は以下の通りです。序文や訳者あとがきでの情報を参照し、丸括弧内に順番で、扱っているシェイクスピア劇、発表年もしくは先行する掲載書とその掲載書の刊行年、を示しておきます。

序文と謝辞
増補版への序文
第1章 序論(アントニーとクレオパトラ、本書初版1987年初出)
第2章 愛の回避――『リア王』を読む(リア王、『言ったとおりの意味でなければならないか』第10章1969年)
第3章 オセローと他者の賭け金(オセロー、『理性の声』結論部分1979年)
第4章 『コリオレイナス』と政治の解釈(コリオレイナス、『学校外の主題』1984年)
第5章 ハムレットの立証責任(ハムレット、1984年発表、本書初版1987年収録)
第6章 損得勘定を数え直す――『冬物語』を読む(冬物語、1984年発表、本書初版1987年収録、『日常的なものの探求』1988年収録)
第7章 マクベスの恐怖(マクベス、1992年及1993年発表、増補版2003年初収録)
原註
訳注
訳者あとがき

★訳者は次のようにあとがきで述べておられます。「本書の体裁は「シェイクスピア論集」であるが、序論と第5章と増補された第7章を覗けば、カヴェルの著書からの転載である。カヴェルの出世作『言ったとおりを意味しなければならないか』〔Must We Mean What We Say?: A Book of Essays, Charles Scribner's Sons, 1969; Reissued with a new preface, Cambridge University Press, 1976〕や主著『理性の声』〔The Claim of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy, Oxford University Press, 1979〕が邦訳される見込みは絶望的であるというほかない(と思われる)。本書は幸運にも亮著の「むすび」の部分を訳出している。カヴェルの全貌というにはほど遠いが、カヴェル哲学の真髄を垣間見ることができるだろう。〔・・・〕ほぼ三十年に亘るカヴェルの思索の変遷をも垣間見ることができる」(434頁)。

★カヴェルは序論で「シェイクスピアのなかに〔近代哲学の誕生としての〕懐疑論が現れる」(19頁。43頁も参照)と自らの直観を披瀝します。「シェイクスピアがシェイクスピアであるのは〔・・・〕、彼の作品が彼の文化のもつ哲学的関心事に深くかかわるときにかぎられる」(16~17頁)。「地盤〔根拠〕なき世界でどう生きるかという問題〔・・・〕。シェイクスピア劇が懐疑論的問題圏を繰り返し解釈するということは、とりもなおさず、劇が懐疑論の問題に対する揺るぎない解決を見出していない、とりわけ神に対する私たちの知識に満足していないということを意味する。〔・・・〕シェイクスピア劇は、いわば哲学的問題圏を取り込むとき、哲学を験〔ため〕し同時に哲学にとって験される」(18~19頁)。また、第6章にはこんな言葉があります。「シェイクスピア劇は人間の劇であるが、すべてはそこに懸かっている」(345頁)。カヴェルは本書で人間学としての〈シェイクスピアの哲学〉とでも言うべきものを見事に描出しえているように感じます。

◎スタンリー・カヴェル(Stanley Cavell, 1926-)単独著既訳書
『センス・オブ・ウォールデン』齋藤直子訳、法政大学出版局、2005年
『哲学の〈声〉」――デリダのオースティン批判論駁』中川雄一訳、春秋社、2008年
『眼に映る世界――映画の存在論についての考察』石原陽一郎訳、法政大学出版局、2012年
『悲劇の構造――シェイクスピアと懐疑の哲学』中川雄一訳、春秋社、2016年


描かれた病――疾病および芸術としての医学挿画
リチャード・バーネット著 中里京子訳
河出書房新社 2016年10月 本体3,800円 A4変形判上製256頁 ISBN978-4-309-25564-4

帯文より:医学と社会をめぐる衝撃のイメージ博物誌! 写真が誕生する以前、疾病を記録した細密イラストが雄弁に語りかける――人々はいかに病気と闘っていたか、患者が社会からどのように見られていたのか。

目次:
はじめに――脱魔術化された肉体
Ⅰ 皮膚病――肉体の境界線
Ⅱ ハンセン病――皮相などとは言えない病
Ⅲ 天然痘――議会制定法が作った水ぶくれ
Ⅳ 結核――白い死
Ⅴ コレラ――病の自由貿易
Ⅵ がん――カニの爪
Ⅶ 心臓疾患――冠と雑音
Ⅷ 性感染症――死ぬまで続く水銀治療
Ⅸ 寄生生物――寄生虫に植民地化された入植者
Ⅹ 痛風――ファッショナブルな激痛
参考文献
関連施設とその所在
挿画の出典
索引
謝辞

★発売済。原書は『The Sick Rose: Disease and the Art of Medical Illustration』(Thames & Hudson, 2014)です。1頁目にウィリアム・ブレイクの『経験の歌』より「病の薔薇」がカラーで掲げられており、書名はここから採ったものと思われます(壽岳文章訳「病むバラ」、『有心〔うしん〕の歌』、『無心の歌、有心の歌――ブレイク詩集』角川文庫、1999年、123-124頁)。同書は「ブリティッシュ・ブック・デザイン・アンド・プロダクション・アワード」の最優秀作品賞を受賞したそうで、大判でなおかつ全頁フルカラーであるにもかかわらず本体3,800円というのはかなりお買い得です。基本的に閲覧注意。一昔前には書店さんで見かけることがあった「バッド・テイスト(悪趣味)」の書棚を復権させるにふさわしい歴史的芸術的アーカイヴです。著者のリチャード・バーネットはケンブリッジ大学ペンブローク校で教鞭を執っている文化史家で、特に科学史や医学史がご専門。幅広いご活躍は著者のウェブサイトでご確認下さい。

★本書からの触発をさらに拡張するためには、バーネットによる姉妹編『Crucial Interventions: An Illustrated Treatise on the Principles & Practices of Nineteenth-Century Surger』(Thames & Hudson, 2015)や、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ヒステリーの発明――シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(上下巻、谷川多佳子ほか訳、みすず書房、2014年) などがお薦めかもしれません。また、視覚的に優れた史的アーカイヴとしては、ウンベルト・エーコ編著による『芸術の蒐集』(川野美也子訳、東洋書林、2011年)や『醜の歴史』(川野美也子訳、東洋書林、2009年)が参考になります。あるいは、理論的にはカール・ローゼンクランツ『醜の美学』(鈴木芳子訳、未知谷、2007年)や、ヴィンフリート・メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(竹峰義和ほか訳、法政大学出版局、2010年)などを参照してもいいかもしれませんし、さらにハードコアに振り切れたい方には、カント『判断力批判』(熊野純彦訳、作品社、2015年)や、ヴェサリウス『ファブリカ 第Ⅰ巻・第Ⅱ巻』(島崎三郎訳、うぶすな書院、2007年)あたりをお薦めします。

★なお河出書房新社さんでは今月、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授の西谷大さんによる『見るだけで楽しめる! ニセモノ図鑑――贋造と模倣からみた文化史』という新刊もお出しになっています。また、来月には画集『ベクシンスキー 1929-2005』も同社より発売予定。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『塹壕の戦争 1914-1918』タルディ著、藤原貞朗訳、共和国、2016年11月、本体3,300円、A4変型判上製188頁、ISBN978-4-907986-12-4 
『ラングザマー――世界文学でたどる旅』イルマ・ラクーザ著、山口裕之訳、共和国、2016年11月、本体2,400円、四六変型判上製216頁、ISBN978-4-907986-21-6

★タルディ『塹壕の戦争』はまもなく発売。原書は『C'était la guerre des tranchées』(Casterman, 1993)です。タルディ(Jacques Tardi, 1946-)はフランスのバンド・デシネ界における巨匠の一人。2013年にはレジオン・ドヌール勲章の受勲を拒否して話題になったと言います。本書は「第一次世界大戦の《リアル》を徹底的に描き出して、「コミックのアカデミー賞」と呼ばれるアイズナー賞を受賞した」代表作(裏表紙紹介文より)。著者はまえがきでこう書いています。「『塹壕の戦争』は「歴史書」ではない。第一次世界大戦の歴史を語った漫画なのではなく、戦争にもてあそばれ、泥沼に陥った人間の営みを語った物語である。私はその物語を、時系列をも無視して切々と描いた。〔・・・〕戦争という名の痛ましい集団的「冒険」には、「英雄」も「主人公」もいない。名もなき人たちの言葉にしようもない苦悩の叫びがあるだけだ。〔・・・〕私の関心は、人間とその苦悩の軌跡であった。だからこそ、私は大きな憤りを覚えたのだ。〔・・・〕サラエボから20世紀と殺人の産業化が始まった。「第一次世界大戦」、当時それはワクワクさせる発想だったに違いない。毒ガスは、未来の扉を開いて新たな思想を育むのに違いない高度に「近代的なもの」、と信じられていたのだ・・・。こうした思想こそ、クロマニヨン人の時代から人間の心に深く刻まれていたものである。それが、人間が持ち続けている野獣性なるものなのだ」(6-7頁)。なお、共和国さんでは本書の続編である『汚れた戦争(Putain de guerre!)』(Casterman, 2008/2009; 2014)も刊行される予定だそうです。ちなみに既刊書ではタルディの挿画は『ブタ王子――ルーマニアのむかしばなし』(西村書店、1991年)で見ることができます。河出文庫版のセリーヌ『なしくずしの死』(全2巻、2002年、品切)のカバーを飾っていた印象的なイラストもタルディによるものです。

★ラクーザ『ラングザマー』はまもなく発売。共和国さんの新シリーズ「境界の文学」の第二弾。原書は『Langsamer!』(Literaturverlag Droschl, 2012)です。著者のイルマ・ラクーザ(Iluma Rakusa, 1946-)はソロヴェニア出身で現在はスイス・チューリヒ在住の小説家。既訳としては共編著や、アンソロジーに収録された短編小説などがありますが、単独著が邦訳されるのは初めてのことです。カヴァー紹介文は以下の通りです。「国際的な作家であり翻訳家、そして世界文学のしたたかな読み手である著者が、本を読むことによって「ラングザマー(もっとゆっくり)」とした時間の回復を試みる、極上の世界文学ガイド/読書論」。作家の多和田葉子さんが巻末にエッセイ「日常を離れた時間の流れの中で」を寄せておられます。「メディアから流れ出る情報は、爆撃、テロ、殺人の行われた場所と死者の数を次々投げつけてくるだけで、自分が何をしたらいいのかをじっくり考える時間は奪われ、ふりまわされ、疲れるだけの日常からどうやって逃れたらいいのかわからなくなる。/そんな中、過去に書かれた言葉を注意深く読むことで、自分の時間の流れをつくることができる。ゆっくりとした時間、ゆっくりしているけれども過去へ未来へと何千年も跳躍できる力強い『遅さ』である。文学を読むことによってそういう時間が得られるのだ、という当たり前のようで難しいことを、この本はしっかり伝えてくれる」(95-96頁)。ラクーザ自身は本書の巻頭におかれた「はじめに」で次のように書いています。「ここで語られるのは、徒歩で進んでいくことであり、ゆったりした時間や悠然とした心持ちである。〔・・・〕それは、タイムマネージメントやザッピング、もしくはイベントに夢中になってトレンドを追い求めることとは正反対のものである。ここで語ろうとしているのは、一時手を休めること、〈いま・ここで〉という経験である」(15-16頁)。スローライフのど真ん中にスローリーディングがある――そのけっして小さくない大切さが胸に沁みる本です。

『「西遊」の近代』尾高修也著、作品社、2016年10月、本体2,300円、46判上製292頁、ISBN978-4-86182-600-9

★発売済。「鴎外、漱石、藤村、芙美子、茂吉、荷風……。日本の近代は日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった。洋行体験で直面した努力と葛藤は彼らの文学に何をもたらしたか」(帯文より)。目次を列記しておきます。「西遊」ことはじめ――岩倉使節団と成島柳北|国費留学生森鴎外と夏目漱石|有島武郎と永井荷風の「放浪」|島崎藤村の「洋行」|斎藤茂吉の「遠遊」|正宗白鳥の「漫遊」|林芙美子と横光利一の「巴里日記」|「西遊」の時代おわる――中村光夫・吉田健一・森有正|後記。「日本の近代は、日本人が欧米を旅する「西遊」の歴史でもあった」(7頁)。「日本の近代化はほとんど拙速に進められ、文学はその速すぎる変化をあと追いしながら、いわば穴の多い道を地ならしするようにして機能していく。〔・・・〕その精神的地ならしの独力を、作家たちの西洋体験をつうじてできるだけリアルに浮かび上がらせたいと思っている」(22頁)。「いまや明治維新後百五十年。日本がみずから西洋化を進めた歴史は、ある意味で惨憺たるものであった。が、そのあげく、現在独特な混交文化が熟しつつある。日本の試行錯誤の歴史が生んだ新文化である。ほとんど他に例がないものとして、そのありようが注目されるという時が来ているのかもしれない。そんな現状を用意した特異な西洋化の歴史の一面を、過去の「西遊」の文学が、こまかく実感的に証言してくれている。歴史の「肉感」の記録ともいうべき文学がそこにはあって、いまなお新鮮な読みものでありつづけている。それらの文章をつうじて、過去の日本人の経験の膨大な集積が浮かびあがるようである」(289頁)。


『連邦制の逆説?――効果的な統治制度か』松尾秀哉・近藤康史・溝口修平・柳原克行編、ナカニシヤ出版、2016年9月、本体3,800円、A5判上製330頁、ISBN978-4-7795-1105-9

★発売済。帯文に曰く「連邦制は対立と分離をもたらす統治制度なのか。あるいは対立を解消し、統合をもたらすものなのか。統合と分離という二つのベクトルに注目しながら、現代におけるその意義を問う」。収録論考は書名のリンク先をご覧ください。理論編と事例編の二部構成で、後者では連邦制(federalism)や地方分権化、自治州国家や二重帝国の事例として、ベルギー、スペイン、イギリス、オーストリア、オーストリア=ハンガリー、ロシア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マレーシア、インドネシア、カナダ、アメリカ、フィリピンなどが論じられています。序章にはこう書かれています。「本書は連邦制や地方分権政策の起源、さらにそれらが効果的に機能する条件もしくは機能不全に陥る条件を、それぞれの事例にお維持て提供する。単に欧米の「逆説」議論に追従するわけでもなく、しばしば「地方消滅」などが叫ばれるわが国でも議論される道州制導入の是非など、実践的課題を見直す機会の書となれば幸いである」(8頁)。逆説、というのは、「連邦制の導入によって、国家の民族的異質性を連邦構成体内の同質性に転化でき、社会的多元性を減少させることができるので、民族間対立を解消できる」(アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』勁草書房、2005年参照)はずが、東欧のチェコ、ユーゴ、ソ連は消滅し、カナダのケベック・ナショナリズム、ベルギーの地域間対立、スペインやイギリスでの分離独立運動など、様々な問題と課題が生まれている事態を指しています。編者が指摘する通り、日本の今後を考える上で無関心ではいられない議論ではないでしょうか。

注目新刊:「コメニウス・セレクション」第3弾、第2期「ライプニッツ著作集」第2巻、ほか

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『覚醒から光へ――学問、宗教、政治の改善』J・A・コメニウス著、太田光一訳、東信堂、2016年10月、本体4,600円、A5判上製366頁、ISBN978-4-7989-1388-9
『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[2]法学・神学・歴史学――共通善を求めて』G・W・ライプニッツ著、酒井潔+長綱啓典+町田一+川添美央子+津崎良典+佐々木能章+清水洋貴+福島清紀+枝村祥平+今野諒子訳、工作舎、2016年10月、本体8,000円、A5判上製452頁、ISBN978-4-87502-477-4
『隷従への道』フリードリヒ・ハイエク著、村井章子訳、日経BPクラシックス、2016年10月、本体2,800円、4-6変型判536頁、ISBN978-4-8222-5173-4

★上記3点はすべて発売済。コメニウス『覚醒から光へ』は『地上の迷宮と心の楽園』(藤田輝夫訳、東信堂、2006年)、『パンパイデイア』(太田光一訳、東信堂、2015年)に続く「コメ二ウス・セレクション」の第3弾。遺稿『人間に関わる事柄の改善についての総合的熟議〔De rerum humanarum emendatione consulatio cacholica〕』全7部のうち、総序「ヨーロッパの光である人々へのあいさつ」(『パンパイデイア』掲載の訳文を再掲)、第1部「パンエゲルシア 普遍的覚醒」、第2部「パンアウギア 普遍的光」を全訳したもの(昨年配本の『パンパイデイア』は第4部「普遍的教育」の全訳)。底本はコメニウスの死後300年を経て初めて公刊された1966年のチェコスロバキア科学アカデミー版。訳者の太田さんは巻頭のはしがきでコメニウスについて「世界が戦争をやめて平和になり、すべての人が賢くなるという願望は、教育を普及させるという希望は、誰よりも強かった。彼はパネゲルシアの第五章でこう断言する、哲学、政治、宗教の目的は、平和である」〔57頁〕と」(ii頁)。帯文はこうです、「従来のイメージを一新する先駆的社会改革者像」。

★『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[2]法学・神学・歴史学』は書名の通り工作舎版ライプニッツ著作集第Ⅱ期の第2回配本となる第2巻です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。カバーソデ紹介文にはこうあります。「数学・論理学の「理性の心理(必然的心理)」とともに、自然史・生命史をふくむ歴史などの「事実の心理(偶然的心理)」を重視したライプニッツの法学・神学・歴史学をめぐる多彩な探究プロセスが、300年の時空を超えて本邦初公開される」。より良い世界の建設をめぐるコメニウス(1592-1670)とライプニッツ(1646-1716)の新刊が立て続けに刊行されたことは非常に印象的です。なおライプニッツ著作集第Ⅱ期の最終巻である第3巻の書名は「技術・医学・社会システム――豊饒な社会の実現に向けて」と予告されています。

★村井章子訳『隷従への道』は、一谷藤一郎訳『隷従への道――全体主義と自由』(東京創元社、1954年;第二版、1979年;改訳新装版、一谷藤一郎+一谷映理子訳、東京創元社、1992年)、西山千明訳『隷属への道』(春秋社、1992年;新装版、ハイエク全集新版第Ⅰ期別巻、2008年)に次ぐ新訳です。巻頭にはブルース・コールドウェルによる序文が置かれているほか(ちなみに春秋社新装版ではミルトン・フリードマンによる「1994年版への序文」を読むことができます)、「初版序文」「1956年アメリカ・ペーパーバック版序文」「1976年版序文」の三つも訳出されています。ハイエクの主著であるだけでなく、20世紀における社会主義批判の古典としても名高い『The Road to Serfdom』(1944年)ですが、アメリカでは三社の版元から断られたそうです。結果的に同国ではベストセラーとなっています。コールドウェルの序文はその経緯を明かしていて、興味深いです。出版社がボツにしたからと言って駄作とは限らないのは、近年のより一般的な例では『ハリー・ポッター』シリーズが示しているのは周知の通りです。

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★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』花田菜々子+北田博充+綾女欣伸編、朝日出版社、2016年11月、本体1,600円、四六変型判並製280頁、ISBN978-4-255-00963-6
『竹山道雄セレクション(I)昭和の精神史』竹山道雄著、平川祐弘編、藤原書店、本体4,800円、四六判上製576頁、ISBN978-4-86578-094-9

★『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』は、1年前に花田さんと北田さんが制作された同名の無料ZINEの続編ともいうべき1冊。「まだどこにも紹介されたことのない日本全国のおもしろい本屋22店を現役の書店員22名が文章で案内」と帯にあります。聞いたことのないユニークな本屋の数々に驚いていると本書の最後に一言、「本書に掲載されている本屋はすべて架空のものです」と。本屋ガイドは数あれど、取り上げているすべての書店が実在しないガイドブックというのはもはや新しいジャンルと言っていいかもしれません。22の書店とその紹介者はこちらの一覧をご覧ください。このほか版元2名、取次1名、印刷所1名の寄稿もあります。朝日出版社の綾女欣伸さんによる「夢の編集 インペリアルプレス」、ミシマ社の渡辺佑一さんによる「夢の営業 アツアツ・バーニング」、日本出版販売の有地和毅さんによる「夢の取次 ギタイ化する本」、藤原印刷の藤原章次さんによる「夢の印刷 印刷物責任法」。たしか有地さんは日販傘下のあゆみBOOKSご出身でしたっけ。

★平川祐弘編『竹山道雄セレクション』は全4巻予定で今月第I巻「昭和の精神史」が発売。「昭和の精神史」「一高と戦争」「ナチス・ドイツを凝視する」「戦後日本の言論空間」の四部構成。収録作については書名のリンク先をご覧ください。巻末には秦郁彦さんによる解説「「竹山史観」の先駆性」と牛村圭さんによる読解(「竹山道雄を読む」と銘打たれています)「竹山道雄にめぐり会えて」が併載されています。竹山さんはニーチェの翻訳家として、また小説『ビルマの竪琴』の作家として著名。1983年に福武書店より『竹山道雄著作集』全8巻が刊行されていますが絶版となっており、『竹山道雄セレクション』は新しいスタンダードになるのではないかと思われます。同セレクションは以後、第Ⅱ巻「西洋一神教の世界」、第Ⅲ巻「美の旅人」、第Ⅳ巻「主役としての近代」と続く予定。編者の平川さんには竹山道雄さんの女婿(長女の夫)にあたり、2013年に藤原書店より評伝『竹山道雄と昭和の時代』を上梓されています。今月から勉誠出版より『平川祐弘決定版著作集』全34巻の刊行が開始される予定で、第5巻「西欧の衝撃と日本」と第6巻「平和の海と戦いの海――二・二六事件から「人間宣言」まで」が近日発売と聞きます。

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★最後にまもなく発売となる近刊書の中からご紹介します。

『nyx 第3号:マルクス主義からマルクスへ/なぜベートーヴェンか』堀之内出版、2016年11月、本体1,800円、A5判並製284頁、ISBN978-4-906708-70-3
『論理哲学入門』エルンスト・トゥーゲントハット+ウルズラ・ヴォルフ著、鈴木崇夫+石川求訳、ちくま学芸文庫、2016年11月、本体1,300円、文庫判並製368頁、ISBN978-4-480-09762-0
『乾浄筆譚――朝鮮燕行使の北京筆談録 1』洪大容著、夫馬進訳注、東洋文庫、2016年11月、B6変判上製函入286頁、ISBN978-4-582-80860-5
『徂徠集 序類 1』荻生徂徠著、澤井啓一+岡本光生+相原耕作+高山大毅訳注、東洋文庫、2016年11月、本体2,800円、B6変判上製函入362頁、ISBN978-4-582-80877-3

★『nyx 第3号』は明日、11月7日発売予定。第一特集「マルクス主義からマルクスへ」(主幹=マルクス研究会)、第二特集「なぜベートーヴェンか――音と思想が交叉する音楽家」(主幹=岡田安樹浩)の二本立て。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。各特集の口上にはこう書かれています。第一特集は「マルクス研究会のメンバーが中心となり、MEGAにもとづいた最新の文献情報を元にして、マルクスの思想をもう一度吟味し、国内と海外の研究を一般の読者に紹介することを目的としている。晩期マルクスのエコロジーやジェンダー論のような、これまであまりなじみのないテーマを扱うだけでなく、初期マルクスや恐慌論など先行研究の多いテーマにも新たな光を当てていきたい。そこから浮かび上がるのは、生涯にわたって多岐にわたる学問的探究を行った、専門への細分化の時代が始まる直前の、いわば「最後の」知識人として、『資本論』の完成を目指したカール・マルクスの姿である」(7頁)。第二特集は「ベートーヴェンのさまざまな側面に触れていただけるよう、音楽家、音楽学者、哲学・ドイツ思想の専門家による多岐にわたる内容を配した。〔・・・〕この作曲家が西洋音楽の枠組みを超えて議論されてきた歴史的経緯や音楽学からのベートーヴェンとその作品へのアプローチ、そして現代の音楽家の思想に触れていただくことで、音楽と思想が交叉する瞬間の目撃者となっていただければと思う」(177頁)。次号は第一特集が「開かれたスコラ学(仮)」、第二特集が「政治哲学のフロンティア――分析系政治哲学と大陸系政治哲学をめぐって(仮)」と予告されています。

★トゥーゲントハット+ヴォルフ『論理哲学入門』は9日発売予定。原書は『Logisch-semantische Propädeutik〔論理学・意味論への序説〕』(Reclam, 1983)で、親本は晢書房より1993年刊行。訳者の鈴木さんによる「ちくま学芸文庫版への訳者あとがき」によれば、「今回の再版にあたっては、誤記や誤植のたぐいの訂正と、ごく一部の訳語の変更を除いて、旧版をそのまま踏襲した。〔・・・〕巻末の「参考文献一覧」については、一部補充してある」とのことです。目次は下段で列記しておきます。鈴木さんは本書の独創性について「まったく色褪せていない」として、以下の3点を挙げておられます。1)問題の核心が何か、そしてその問題についてどのような思考が紡がれてきたのかを説明する際の目配りの確かさ。2)主題の啓明における思索の徹底性。3)論述の平明さ。

序言
第1章 「論理学」とは何か
第2章 文、言明文、言明、判断
第3章 論理的含意と論理的真理――分析性とア・プリオリ性
第4章 矛盾律
第5章 伝統的論理学の基本性格――判断論と三段論法
第6章 単称文と一般文の構造に関する現代の考え方――論理的・意味論的形式と文法的形式
第7章 複合文
第8章 一般的名辞、概念、クラス
第9章 単称名辞
第10章 同一性
第11章 存在
第12章 存在〔ある〕、否定、肯定
第13章 真理
第14章 必然性と可能性
参考文献一覧
訳者あとがき
ちくま学芸文庫版への訳者あとがき

★洪大容『乾浄筆譚 1』は14日発売予定。東洋文庫の第860巻です。全2巻予定の第1巻で、帯文は以下の通り。「18世紀朝鮮時代の実学派儒者・洪大容が北京に赴き、中国の若き儒者たちと縦横無尽に語り合った筆談の記録。数奇な個性との出会いと、国境を越えた知識人の奔放な交友の記録」。第1巻では1766年正月30日までのごく短い前段と、2月1日~16日までの記録が収められています。地図、注、解説つき。2月16日に以下のような興味深いやりとりがあります(169~170頁参照、発言以外の部分は刈り込んであります)。注によれば金在行は当時49歳だったとのことで、会話に年輪がにじみ出ている気がします。

厳誠「貧乏し苦労する中で著述することも、まあまあ悪くはありません。それもだめなら、新でから名を残すより、いま一杯の酒をやった方がましです」
金在行「死んだあとは貴賤がありません。官位を獲得できなくても、本当のものが身についておれば不朽です。ただ(私は)本当のものが身についておりません」
潘庭筠「努力して著述すれば、自然と不朽になりますよ」
厳誠「きっと伝わります、きっと伝わりますよ」
金在行「不朽だからといって、何のいいところがありますか。死んでしまえば、一つの“虚”となるだけです。ですから私は養虚を自分の号としているのです。〔・・・〕文章は作るかもしれませんが、これも後世に伝えようとは思いません。とりあえず生前一杯の酒を楽しむことこそ、養虚の極意です」

★『徂徠集 序類 1』も14日発売予定。東洋文庫第877巻です。全2巻予定の第1巻。の帯文はこうです、「「序」とは書籍に対するもののほか、ある人物を祝ったり、その旅立ちに送る文章を指す。『徂徠集』収録の40点の成立順に配列、丹念に訳注を施し、古文辞学の生成過程をたどり直す」。第1巻には「秦君の五十を賀するの序」から「子和の三河に之きて書記を掌るに贈るの序」までの21篇を収録。第2巻には19篇が収められる予定です。1篇ごとに現代語訳、訳注、原文、書き下し、という順番の構成。以下では第14篇「雨顕允を送るの序」から少し引きます。

「不朽の事業として世の中の人々に重んじられるためには、詩にまさるものはありません。/孔子は「詩を学ばなければ、なにも言えない」と述べています。そもそも六経はすべて言葉であるのに、どうして孔子は詩だけを選んだのでしょうか。詩の教えは「温厚和平」にあって、その言葉は人情に従っていて、事の宜しきにかなっており、これを教化に用い、人々の習俗に施すことができ、比興、喩えや仮託といった表現は、こまやかであやをなしており、なごやかである〔・・・〕。「温厚和平」によって詩は作られているのですよ。そのため、詩は、上は宗廟・朝廷から下は庶民の住む村や街、内は閨房、外は諸侯の外交儀礼で用いられるのですが、[詩の表現は婉曲なので]これを口にしても罪に問われることはなく、これを聞いた人も怒ることがないのです。ひしひしと心に感じ、のびのびと楽しみ、すっきりと理解し、まるで大河の流れのような、止めることはできないのです。詩は、すぐれた言葉の第一だと言えるでしょう」(230~231頁)。

★東洋文庫次回配本は12月、『渡辺崋山書簡集』別所興一訳注、とのことです。

注目新刊:デリダ『信と知』未來社

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弊社出版物でお世話になっている著者の最近の訳書をご紹介します。

★ジャック・デリダさん(著書『条件なき大学』)

信と知――たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉
ジャック・デリダ著 湯浅博雄/大西雅一郎訳
未來社 2016年11月 本体1,800円 四六判上製186頁 ISBN978-4-624-93268-8

「ポイエーシス叢書」第68弾です。原書は1994年にデリダとヴァッティモのディレクションでカプリ島にて開催された討論会の記録論集『La religion』(Seuil, 1996)所収の論考『Foi et savoir: Les deux sources de la ' religion ' aux limites de la simple raison』です。同じくSeuilから2000年に単行本として刊行されたものとの間に異同はないとのことです。未来社さんでは近刊としてデリダの『嘘の歴史 序説』(西山雄二訳)が予告されています。

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PR: 守ってる?自転車利用の交通ルールとマナー-政府広報

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自転車側が加害者になるケースが増加!安全利用五則と運転者講習制度はこちら

取次搬入日決定及書影公開及催事案内:『絶対平面都市』

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森山大道×鈴木一誌対談集『絶対平面都市』の取次搬入日が決まりました。日販、トーハン、大阪屋栗田、いずれも明日11月11日(金)です。書店店頭での発売はおおよそ、11月15日(火)以降になるものと思われます。書影を下段に貼っておきます。

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なお、本書の刊行を記念して以下の通りトークイベントが行われます。

◎「写真家 森山大道 1996 路上の犬は何を見た?」――『絶対平面都市』『Osaka』出版刊行記念トーク&上映会
 
出演:森山大道×鈴木一誌×岩間玄(日本テレビ・プロデューサー)
日時:2016年11月25日[金] 19:00-21:00 ※トーク終了後サイン会
会場:NADiff a/p/a/r/t(東京都渋谷区恵比寿1-18-4-1F)
定員:60名
料金:1,000円 / 当日『絶対平面都市』か森山大道本を3,000円以上ご購入の方は無料
予約方法:ご希望日、ご参加を希望される方のお名前、お電話番号、ご参加人数を明記の上、メール(リンク先をご覧ください)にてご予約ください。お電話でも承っております。TEL : 03-3446-4977

内容:この度NADiff a/p/a/r/tでは、写真家・森山大道とブックデザイナー・鈴木一誌の共著『絶対平面都市』(月曜社)、森山大道最新写真集『Osaka』の刊行を記念したイベントを開催いたします。今回のイベントはトークと上映会の二部構成でお届けします。前半では、大阪での森山大道の撮影を取材したドキュメンタリー番組「写真家 森山大道 1996 路上の犬は何を見た?」(1996年2月24日放送)を上映いたします。58歳、ブレイク直前の森山大道の撮影&暗室作業等をご覧頂ける稀少映像は必見です。後半のトークでは番組のプロデューサーを務めた岩間玄氏を迎え、森山大道、鈴木一誌の三氏によって、森山大道の写真家としての原点、「大阪」の街を、そして「絶対平面都市」へと向かう森山大道の歩みをお話し頂く予定です。是非この機会にご来場ください。

森山大道(もりやま・だいどう)写真家。1938年生まれ。最近の作品集・著書に、『Osaka』(月曜社、2016年9月)、『NORTHERN』(普及版、図書新聞、2016年3月)、『犬と網タイツ』(月曜社、2015年10月)、写真論・エッセイ集『通過者の視線』(月曜社、2014年10月)など。
 
鈴木一誌(すずき・ひとし)ブックデザイナー。1950年東京都立川市生まれ。東京造形大学を中退後、杉浦康平氏のアシスタントを12年間つとめ、1985年に独立。映画や写真の批評も手がけつつ、2001年よりデザイン批評誌『d/SIGN』を戸田ツトムとともに責任編集(2011年休刊)。著書に『画面の誕生』『ページと力』『重力のデザイン』『「三里塚の夏」を観る』。共著書に『知恵蔵裁判全記録』『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』『全貌フレデリック・ワイズマン』『1969  新宿西口地下広場』『デザインの種』がある。

岩間玄(いわま・げん)1966年生まれ、日本テレビ・プロデューサー。ドキュメンタリー系ドラマ、「ルーヴル美の迷宮へシリーズ」などの美術系の番組を制作。

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注目新刊:ジュネ『薔薇の奇跡』新訳、光文社古典新訳文庫

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弊社出版物でお世話になっている著者の最新の刊行物をご紹介します。

★ジャン・ジュネさん(著書『公然たる敵』)
自伝的小説『Miracle de la rose』(1946年)の待望の新訳が刊行されました。裏表紙側の帯文にこうあります。「同性愛者で泥棒であった作家ジュネ。「サルトルのジュネ論(中略)によって、ジュネはあたかも〈実存主義的な聖人〉であるかのように聖化されてしまった」(解説)。だが、精密な読みに基づくこの新訳により、まったく新しいジュネ像が見えてくる!」と。底本はガリマールの1951年版。ということは、全集第2巻ということで、既訳である堀口大學訳『薔薇の奇蹟』(新潮文庫、1970年)と同じ底本です。巻末には宇野さんによる詳細な解説があり、日本におけるジュネ受容史についても懇切に教えて下さいます。

新潮文庫版は村上芳正さんによる美しい挿画がカバーを飾っていましたが(下段に掲出した書影をご参照ください)、残念ながら品切。新潮文庫ではこのほかに『泥棒日記』(朝吹三吉訳、1968年)、『花のノートルダム』(堀口大學訳、1969年)、『黒んぼたち・女中たち』(白井浩司/一羽昌子訳、1972年)がありますが、現在も在庫があるのは『泥棒日記』のみです。ちなみに先の引用文中でのサルトルのジュネ論というのは『聖ジュネ』のこと。新潮文庫や人文書院からかつて上下巻で訳書が出ていましたが、現在は品切。

薔薇の奇跡
ジュネ著 宇野邦一訳
光文社古典新訳文庫 2016年11月 本体1,280円 文庫判並製584頁 ISBN:978-4-334-75344-3
帯文より:文学史上もっともスキャンダラスな作家の自伝的作品。60年ぶりの新訳、新しいジュネ像の誕生!

以下では本書冒頭の数行について、宇野さんによる新訳と、堀口さんによる既訳を並べてみたいと思います。

宇野訳(7頁):
フランスにあるすべての刑務所の中で、フォンロヴロー中央刑務所ほど僕の心をかき乱すところはない。ここは僕の心に強い悲惨と荒廃の印象を残した場所なのだ。そして僕は、この刑務所にいた他の囚人たちの中にも、その名を耳にするだけで、僕と同じような感動と戦慄を味わう者がいたことを知っている。/この名前が僕たちに及ぼした影響力の正体を、いちいち解明しようとは思わない。

堀口訳(5頁):
フランス全国にいくつもある中央刑務所のうち、わけて哀れの深いのがフォントブローのそれです。ほかのどこより深いわびしさをわたしが感じたのが、この刑務所内でした。わたしはまた知っています、ほかの刑務所のこともよく知っている囚徒でさえが、たんにこの刑務所の名を聞くだけで、わたし同様のやるせない深い思いをしたはずですと。わたしたち囚徒にとって、この刑務所が持つ、特異性をなす要素の分析を試みる気持ちは、いまのわたしにはありません、〔以下略〕。

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注目新刊:晢書房版『フィヒテ全集』完結、ほか

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フィヒテ全集 第14巻 一八〇五―〇七年の知識学
鈴木伸国/浜田郷史/伊勢俊介/長町裕司/高木駿/辻麻衣子/大橋容一郎訳
晢書房 2016年10月 本体8,500円 A5判上製570頁 ISBN4-915922-43-X

目次
一八〇五年の知識学――エルランゲン夏学期講義〔鈴木伸国訳〕
エルランゲン論理学講義(一八〇五年)〔浜田郷史/伊勢俊介訳〕
エルランゲン形而上学講義(一八〇五年)〔長町裕司訳〕
知識学の概念とその運命(一八〇六年)〔鈴木伸国/辻麻衣子訳〕
ケーニヒスベルク知識学(一八〇七年)〔高木駿訳〕

★発売済。本14巻の発売をもって、晢書房版『フィヒテ全集』全23巻、別巻1は完結したものと思われます。帯がなく、本巻には解説やあとがきも付されていませんので、奥付裏の全巻構成と、実際の書店店頭での現物を見る限り、本巻で完結したことは間違いなさそうです。カバーにはバーコードもなく、ISBNは10桁表記。表紙は黒のクロス装で背には橙色の地に金文字の箔が輝きます。その佇まいはどこまでもシンプルなクラシック・スタイルに貫かれ、新刊の中では異彩を放っています。晢書房さんはウェブサイトを開設されておらず、図書目録を出されたことがあったかどうかも、私自身思い出せません。本『フィヒテ全集』は1995年1月に第6巻「自然法論」と第19巻「ベルリン大学哲学講義1」の刊行でスタート。爾来20余年をかけてついに完結したことになります。その歩みは出版不況の20年間の最中にあっただけに、たいへんな挑戦であったことは確かです。編集委員を務められている5名のうち、 ラインハルト・ラウト(Reinhard Lauth, 1919-2007)さんと坂部恵(さかべ・めぐみ:1936-2009)さん、藤澤賢一郎(ふじさわ・けんいちろう:1948-1998)さんはすでに逝去されています。あとのお二方は、加藤尚武(かとう・ひさたけ:1937-)さん、隈元忠敬(くまもと・ただたか:1925-)さんです。そもそも『フィヒテ全集』全巻を陳列している書店さんの数はさほど多くはないものと思われますが、完結記念で何かしらの工夫をされている書店さんがおられましたらぜひお知らせください。宣伝させていただきます。【追記:地方・小出版流通センターさんがツイッターで11月1日に「【フィヒテ全集】が今回の〈第14巻 1805-07年の知識学〉で完結いたしました」と呟いておられることを確認しました。やはり完結で間違いないようです。】


身体諸部分の用途について1
ガレノス著 坂井建雄/池田黎太郎/澤井直訳
京都大学学術出版会 2016年11月 本体2,800円 四六変上製211頁 ISBN 978-4-8140-0033-3

★発売済。全4巻の第1回配本となる第1巻です。ローマ帝国期の医師ガレノス(後129-216)の主著『De usu partium corpolis humani』全17巻の訳書で、帯文に曰く「前身の解剖所見に基づき、あらゆる器官に無駄なものは何もないことを論じた医学書。本邦初訳」。凡例によれば、底本はヘルムライヒ版(ed. G. Helmreich, 2 vol., Lipsiae, 1907-09)で「底本は二分冊からなるが、本書邦訳は1-4の四分冊とし、第一~三巻を1、第四~七巻を2、第八~十一巻を3、第十二~十七巻を4とする」とのことです。今回発売となった第1巻では「理性的動物に特徴的な器官(上肢)と、直立二足歩行に適した器官(下肢)が取り扱われる」(帯文表4より)。巻末の「第一分冊解題」にはこんな言葉があります。「人体と疾患を分析する西洋医学の特徴は、ガレノスの解剖学と生理学説を乗り越える努力を通して、形作られていった。古代において完成度のきわめて高い解剖学と生理学説を作り上げたガレノスこそ、現代の医学をもたらした最大の功労者ではないだろうか」(201頁)。投げ込みの「月報124」には、土屋睦廣さんによる「ガレノスとアクスレピオス」や、連載「西洋古典名言集」第40回「ノモスとピュシス」(國方栄二=文)などが掲載されています。西洋古典叢書におけるガレノスの訳書は、種山恭子訳『自然の機能について』1998年、内山 勝利/木原志乃訳『ヒッポクラテスとプラトンの学説1』2005年、坂井建雄/池田黎太郎/澤井直訳『解剖学論集』2012年、に続く4点目。西洋古典叢書の次回配本はクインティリアヌス『弁論家の教育4』とのことです。全5分冊の第4回配本。


有閑階級の理論[新版]
ソースタイン・ヴェブレン著 村井章子訳
ちくま学芸文庫 2016年11月 本体1,200円 文庫判並製416頁 ISBN978-4-480-09750-7

★発売済。旧版『有閑階級の理論』(ソースティン・ヴェブレン著、高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998年)は、2015年7月に増補新訂版が講談社学術文庫から刊行されています。今回の新訳の訳者でいらっしゃる村井章子さんは先月ハイエクの『隷従への道』の新訳を日経BPクラシックスの1冊として上梓されたばかりです。ヴェブレンのデビュー作にして代表作である『有閑階級の理論』(1899年)は、かつて小原敬士訳が岩波文庫より1961年に刊行されていましたが、現在は品切。高哲男訳の旧版と増補新訂版を併せて、文庫で読める同書の2番目の翻訳と考えると、3番目の訳が今回の新訳本ということになります。巻頭にはガルブレイスの序文「ソースタイン・ヴェブレンと『有閑階級の理論』」が1973年版より訳出されています(5-39頁)。ガルブレイスはこの序文で「『有閑階級の理論』を一度も読んだことのないという人は、読書家とは言えない。最低限の教育しか受けていない人でも、出典は知らないままに「衒示的消費」「衒示的浪費」「金銭的競争」といった言葉を耳にしたことが一度ならずあるだろう」(8頁)と書いています。あれから40年(綾小路きみまろ)、ヴェブレンを読んだことがなくても読書家ではないと経済学者から責められることはありませんけれども、格差社会を形成するメンタリティの本質的側面を今なおヴェブレンに学ぶことができるのは事実ではないかと思われます。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

『過酷なるニーチェ』中島義道著、河出文庫、2016年11月、本体720円、文庫判並製224頁、ISBN978-4-309-41490-4
『曲がりくねった一本道――戦後七十年を生きて』徳永徹著、作品社、2016年11月、本体1,600円、46判並製238頁、ISBN978-4-86182-603-0
『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』アンドリュー・ロウラー著、熊井ひろ美訳、インターシフト発行、合同出版発売、2016年11月、本体2,400円、四六判上製368頁、ISBN978-4-7726-9553-4
『世界植物記 アジア・オセアニア編』木原浩著、平凡社、2016年11月、本体6,800円、A4変判上製288頁、ISBN978-4-582-54254-7

★中島義道『過酷なるニーチェ』は発売済。2013年に河出ブックスの一冊として刊行された『ニーチェ ニヒリズムを生きる』の改訂版で、目次等に変更はありませんが、巻末に香山リカさんによる解説が付されています。「ニーチェがもともと持っていた心理学的、生物学的な発狂の要素がその哲学を生んだのではなく、哲学の結果が発狂なのだ」(215頁)という刺激的なご指摘があります。中島さんは巻頭の「はじめに」でこう述べておられます。「不思議なことに、現代日本でニーチェはブームであり、まさにニーチェから「人生の教訓を学ぶ」ためのニーチェ入門書、解説書、研究書が氾濫している。彼らはニーチェが口を酸っぱくして罵倒していること、吐き気がするほど嫌悪し軽蔑していることを真っ向から受け止めようとしない。/そして、皮肉なことに、とくにわが国においてこれからもニーチェは、まさにこのようにしてのみ読まれ続けるであろう」(11頁)。「こうした実情において、一冊くらいは、「過酷なニーチェ」すなわち、誰の役にも立たず、ほとんどの人を絶望させ、苛立たせ、途方に暮れさせ、そればかりか、平等・基本的人権・平和主義・最大多数の最大幸福など、なかんずく弱者や苦しんでいる者への「同情」を峻拒する……というように、近・現代のあらゆる「価値あるもの」をなぎ倒し、近・現代人とまさに正反対の価値観を高らかに歌い上げるニーチェを語り出す善があってもいいのではないかと思う」(12頁)。

★徳永徹『曲がりくねった一本道』はまもなく発売(16日水曜日取次搬入予定)。帯文はこうです、「長崎の原爆体験から福島の原発事故まで。一人の基礎医学徒が体験した激動の同時代史」。著者の徳永徹(とくなが・とおる:1927-)さんは国立予防衛生研究所に長く奉職された医学者で、現在は福岡女学院名誉院長でいらっしゃいます。著書に『マクロファージ』(講談社、1986年)のほか、近年では『凛として花一輪――福岡女学院ものがたり』(梓書院、2012年)、『逆境の恩寵――祈りに生きた家族の物語』(新教出版社、2015年1月)、『少年たちの戦争』(岩波書店、2015年2月)など、味わい深い回想録を中心に執筆されておられます。実弟はアドルノ研究で高名な徳永恂(とくなが・まこと:1929-)さんです。徹さんは本書の序章でこうお書きになっておられます。「戦後七十年、日本は世界でも珍しい平和な国だった。戦争で死ぬ者は一人もいなかったし、また銃で他国の人を撃つ者もいなかった。そう言い切れる国がいったい今の世界にどれだけあるだろう。被爆国日本は、「戦後百年」「戦後二百年」と言い続けることができるように、と切に願った。/そして書き出したのが本書である。前著『少年たちの戦争』は、原爆と終戦という時点で稿を閉じているので、次は戦後七十年という時代の体験について書きたいと思った」(10~11頁)。最後に主要目次を列記しておきます。序章、第一章「戦後のはじまり(1945年8月~46年)」、第二章「冷戦の狭間で(1946年~1955年)、第三章「さまざまな国と時代の点描(1959年~1993年)、第四章「女子教育の現場で(1994年~2012年)」、第五章「いま、思うこと」、あとがき。

★ロウラー『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』はまもなく発売(17日頃)。原書は『 Why Did the Chicken Cross the World?: The Epic Saga of the Bird that Powers Civilization』(Atria Books, 2014)です。帯文は以下の通り。「ニワトリ無くして、人類無し! 神の使い・健康と医療・癒し・娯楽・食料・都市生活・・・恐竜の小さな末裔たちが物語る、大いなる文明論」。書名のリンク先で、目次、はじめに、解説の立ち読みができます。著者のアンドリュー・ロウラー(Andrew Lawler, 1961-)はライター/通信員/作家で、『サイエンス』『ナショナル・ジオグラフィック』『ニューヨーク・タイムズ』などの雑誌や新聞で活躍しておられ、本書は彼の第一作になります。巻頭の「はじめに ニワトリを見れば、世界が見える」にはこうあります。「ニワトリは昔もいまも、いわば羽の生えたスイス・アーミー・ナイフで、与えられた時間と場所に応じて必要なものを提供してくれる万能動物なのだ。この可塑性のおかげでニワトリは最も有益な家畜となったわけだが、その点は私たち自身の歴史をたどる上でも役に立っている。ニワトリは鳥の「カメレオンマン」のようなもので、私たちの変わりゆく欲望や目標や意図――立派な品物、真実の語り手、奇跡を起こす万能薬、悪魔の道具、悪魔祓いの祈祷師、途方もない富を生む財源――を映し出す無気味な鏡であり、人類の探検、発展、娯楽、信仰を示す標識なのだ」(11頁)。

★木原浩『世界植物記 アジア・オセアニア編』はまもなく発売(18日頃)。昨春刊行された『世界植物記 アフリカ・南アメリカ編』の姉妹編です。帯文は以下の通り。「まったく、とんでもない植物たちだった! ここ20年あまり、世界中に散らばる、不思議、巨大、世界一な植物を探して辺境を歩き回った。実際目にすると、その巨大さや異形ぶり、生活形態は、想像をはるかに超えていた。この本はその全記録の一端である」。取材地を列記しておくと、西表島/日本、四姑娘/中国四川省、ブータン王国、ヒマラヤ/ネパール、キナバル山/マレーシア、スマトラ島/インドネシア、西オーストラリア、ミルフォード・トラック/ニュージーランド、イスラエル。いずれも素晴らしい場所ばかりですが、特にミルフォード・トラックにはただならぬ気配を感じます。

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12月上旬発売予定:荒木経惟×荒木陽子『東京は、秋』

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2016年12月6日取次搬入予定新刊:芸術/写真集

東京は、秋
荒木経惟×荒木陽子【著】
月曜社 2016年12月 本体価格3,500円
A5判[天地225mm×左右152mm]並製208頁 ISBN:978-4-86503-036-5

東京との〈情交〉を私写した名作がワイド+ダブルトーンになって20余年ぶりに復刊!妻・荒木陽子との対話がアラーキーの原点と本質を引き出す。「1972年の季節はいつだったか忘れたが、電通をやめた。コマーシャルはやらないことにしたので、とーぜん仕事なんざあるはずがない。/初めから写真をやりなおそー、とゆーことで、50ミリレンズ付きのペンタックス6×7を三脚につけて、それをかついで街を歩き出した。/それは1972年の秋のことだった」。

*本書は、1984年に三省堂、1992年に筑摩書房から刊行された同書名の作品に、判型とレイアウトを変更し、エッセイ「「東京は、秋」の頃」(初出「アサヒカメラ」1983年7月増刊号)と英語訳(抄訳)を加えたものです。装幀:菊地信義

◆荒木経惟(あらき・のぶよし)1940年東京・三ノ輪生まれ。電通在職中に妻・陽子との旅行を写した『センチメンタルな旅』(1970年)を自費出版(2016年に河出書房新社より復刊)。2016年、ギメ東洋美術館(パリ)で作品数400点を越える規模で展覧会を開き、大きな反響を呼んだ。

◆荒木陽子(あらき・ようこ)1947年東京・千住生まれ。電通入社2年目、当時電通のカメラマンだった荒木経惟と出会い、1971年7月7日に結婚。1990年1月27日、子宮肉腫のために死去。夫・荒木経惟との共著に『愛情旅行』『10年目のセンチメンタルな旅』『東京日和』などがある。

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ブレポルス(Brepols)さんの日本サイトとオンラインストア

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手帳買い替えの季節ですね。当ブログでは2005年1月6日に「ブレポルス社製の手帳、インタープラン」、2012年12月29日に「ブレポルスのインタープラン」という記事を投稿しましたが、今回が3つ目の投稿です。ブレポルス(Brepols)さんの日本語サイトが開設されていたことに気づいたためです(開設は2015年9月頃だったご様子です)。運営は輸入ステーショナリーや雑貨を扱っている株式会社不二越さんです。製品紹介が充実していて、オンラインストア(Yahoo!ショッピング「DESCO ONLINE STORE」)へのリンクもはられています。

私はと言えば、同社のジェノヴァ(Genova)のインタープラン(Interplan)を長年愛用してきたのですが(時折、パレルモ(Parelmo)やラヴェンナ(Ravenna)を買っていたようです)、今年からすっぱりとリマ(Lima)のインタープランに乗り換えました。値段が三分の一になるという魅力のほかに、フカフカした合皮カヴァーが年々増えていくよりも硬くて薄い表紙の方が保管しやすく、毎年だいたい使わずに無駄にしていたアドレス帳も付属しない、という利点がありました。

リマを1年使ってみた感想としては、これで充分、という思いがある一方で、表紙の合皮が部分的にはがれることがあったり、へりがへたれたりすることもある、ということが分かりました。頁の開き具合も、むろんプラスティック・リングを使用した他のラインナップと比べれば、製本してあるのでフルフラットにはなりません。そうした消極的な要素はあるものの、2017年の手帳もリマをオンラインストアで購入しようと思います。しばらくはリマを使うことになるだろうと思います。

今まで日本ではブレポルスの製品は種類が多くなかったのですが、おそらく遅くとも一昨年あたりからでしょうか(2014年2月頃開設とも伺っています)、オンラインストアで色々な手帳が買えるようになったようです。特にクロコダイルプリントが美しいベレガンザ(Belleganza)は人気だろうと思いますし、ヴィンテージ(VIntage)や、スターク(Stark)も愛らしいですね。個人的にはベレガンザの白の2017年版が出たら、使用しなくても買ってしまいそうな予感がします。

メモ(7)

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「Yahoo!ニュース」2016年11月16日配信の三橋正邦さん(1961生:ライター/Yahoo!ニュース編集部)による記事「リアル書店は消えるのか、模索する現場の本音」では、工藤恭孝さん(丸善ジュンク堂代表取締役)、友田雄介さん(アマゾンジャパン合同会社Kindle事業本部コンテンツ事業部事業本部長)、内沢信介さん(TSUTAYA BOOK部部長)、田島直行さん(蔦屋書店事業本部本部長)、上林裕也さん(ヴィレッジヴァンガード書籍・コミック統括バイヤー)の四氏のインタヴューを読むことができます。業界人必読かと。

読んでみて思うのは、どなたの意見もそれぞれ納得できるものでそれぞれの会社の理念というものが如実に現れていると感じるものの、それぞれの発言の背景にある経験を推測すると、実際のところかなりお互いに「通じ合わない」別の言語で話しているのかもしれない、ということです。世代的に見て、工藤さんが一番上の世代で、その次が友田さん、さらにその下の世代が内沢さん、田島さん、上林さんになるかと想像します。一番下の世代の三氏が30代だとすれば、彼らが業界に入った時にはすでに出版不況が進行していたでしょう。

友田さんは三氏より上の世代でしょうけれども、別のインタヴュー記事(「ダ・ヴィンチニュース」2012年11月21日付「まつもとあつしのそれゆけ!電子書籍【第22回】Kindleとうとう国内サービス開始! アマゾン ジャパンの中の人に素朴な疑問を聞いてみた」)では「1994年、早稲田大学大学院理工学研究科卒業。住友商事(株)、ヤフー(株)を経て、2005年アマゾン ジャパン(株)入社。コンテンツ開発統括部長として書籍の立ち読みサービス「なか見! 検索」立ち上げ後、書籍事業本部長を歴任。2011年9月より現職」となっていますから、三氏と経験則はあまり変わらないかもしれません。つまり、出版不況がじわじわと始まっていく90年代前半の過渡期を業界人としては体験されていない。

工藤さんについてはウィキペディアで立項されていて「工藤 恭孝(くどう やすたか、1950年3月20日 - )は、兵庫県生まれの経営者・実業家。ジュンク堂書店の創業者で、株式会社丸善ジュンク堂書店の代表取締役社長。父はキクヤ図書販売の経営者だった工藤淳。/兵庫県立兵庫高等学校を経て、1972年に立命館大学法学部を卒業後[1]、実父の工藤淳が経営していたキクヤ図書販売に入社。その後1976年に独立し、株式会社ジュンク堂書店の立ち上げと同時に代表取締役社長に就任、神戸市三宮にジュンク堂書店1号店をオープンした」とある通り、業界が絶好調だった時もどんどん下降していったここ20年のこともご存知です。

業界の歴史を知っているか知っていないか、というのはプラスに働くこともマイナスに働くこともあるわけで、一概にどちらがいいとは言えませんが、経験はしていなくても知っておいた方がいいことは確かな気がします。なぜかと言えば人間は忘れっぽい動物であり、何度でも失敗を繰り返すからです。失敗すること自体が悪いというよりは、歴史に学ばないことは賢明ではない、と。とはいえ、絶対に正しい史観というものがあるのではなく、唯一の歴史があるのでもなく、誰もが何かしらのかたちで自らの立場の相対性を甘受しなければならないわけで、歴史を学んだり共有しようとすることの困難さが常に付きまといます。また、特定の歴史やしがらみから自由な場所でこそ暴力的な刷新が可能なのだ、とも考えうるでしょう。

そんなわけで、(様々な)歴史を知らない者はどんなにか洗練を装っても野蛮であり、(それぞれの)歴史を知る者はその相対性のうちに囚われる危険がある、と。一方で、野蛮な新参者や異なる世界観を持つ者にできることがあれば、他方では臆病な知恵者にしかできないこともある。私が言いたいのは、業界人は案外、壮大なディスコミュニケーションの中でそれぞれの仕事をしているのではないか、ということです。このディスコミュニケーションを認めないことこそが本当の野蛮であり、同質化の暴力ではないかと思うのです。ではそれぞれが勝手にやるしかないのか、というと、そうではない気がします。同質化の暴力を常に警戒しつつも、業界人が会社組織や立場の垣根を超えてともに意見を交わし、互いの経験に敬意を払い、業界外ともつながり合って(ここが一番それぞれの会社にとって大事ではあるのですが)、出版という世界の社会性を耕していくことが重要だろうと思います。不可能なる止揚。綺麗事ではあっても、それが真実ではないかと思います。

ちなみに内沢さんは三年前、カルチュア・コンビニエンス・クラブTSUTAYAカンパニー商品本部商品・調達部BOOKユニット運営支援チームチームリーダーでいらっしゃった時に、同社広報担当の高橋祐太さんと一緒にインタヴューに応じておられます。「CNET JAPAN」2013年3月27日付、編集部加納恵氏記名記事「リアル書店で売上1位--TSUTAYAがこだわる書店のあり方とこれから」。上記記事と合わせて読んでおきたいと思います。

注目新刊:本邦初のガタリ入門書、上野俊哉『四つのエコロジー』

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★上野俊哉さん(著書『アーバン・トライバル・スタディーズ』)
本邦初となる、書き下ろしのガタリ入門書がまもなく発売されます(11月24日頃予定)。「ガタリは「活動家」であり、運動屋の文章をそんなに真面目にこねくりまわして読む必要はない、単に使えるところを使えばいいというアクティヴィスト系の読者や、ガタリの悪文の抽象性は度をこしており、まともに相手にするにはアカデミックでないどころか、論理的な厳密さに欠け、ドゥルーズの精密な哲学的苦闘を安直な政治的概念化に走らせたのではないかといぶかる「正しい」左翼やまともな学究のどちらとも違う視角からガタリを読むことはできるのか? 本書はこの無謀に、真面目にとりくんでみた試みである」(あとがきより、370-371頁)。

四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考
上野俊哉著
河出書房新社 2016年11月 本体3,500円 46判上製376頁 ISBN978-4-309-24783-0

帯文より:自然、主体感、機械状アニミズム、カオスモーズ、地図作成、リトルネロ・・・難解なガタリの思想を解きほぐしながら、宇宙へと開かれたその思考の核心と可能性をさぐり、来たるべき分子革命としてのエコソフィー〔生成哲学〕を展望する〈全=世界〉リゾームの哲学。思考の前線とストリートを往還してきた〈思想の不良〉による未来へのマスターピース。

目次:
はじめに 『みどりの仮面』とエコロジー
序章 なぜエコロジーか? ガタリとは誰だったか?
第一章 自然を再考する
 第一節 仕組みとしての自然
 第二節 アンビエンスとしての主体感
 第三節 機械状アニミズムと反自然の融即
第二章 エコソフィーとカオソフィー
 第一節 分子革命からエコソフィーへ
 第二節 カオスとカオスモーズ
 第三節 潜在性と記号
第三章 分裂生成の宇宙
 第一節 美的なものと地図作製法
 第二節 DSM-V、あるいは発達原理の彼方に
 第三節 リトルネロと音楽のエコロジー
終章 ブラジルと日本を横切って・・・〈全=世界〉リゾームへ
あとがき

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★中平卓馬さん(写真集『都市 風景 図鑑』)
★森山大道さん(写真集『新宿』『新宿+』『ニュー新宿』『大阪+』『Osaka』『パリ+』『ハワイ』『NOVEMBRE』『にっぽん劇場』『何かへの旅』『オン・ザ・ロード』『カラー』『モノクローム』『犬と網タイツ』、著書『通過者の視線』、鈴木一誌さんとの共著『絶対平面都市』)
中平さんらが創刊し、森山さんが2号より参加した伝説的写真誌「Provoke〔プロヴォーク〕」(1~3号、1968~1969年)の縮小復刻を含む巨大なカタログ『PROVOKE』が、フランスのアートギャラリー「LE BAL」とドイツの出版社「Steidel」との共同で出版されました。これは、9月14日から12月11日までLE BALで催されている展覧会「Provoke : Entre contestation et performance - La photographie au Japon 1960-1975」の図録でもあります。同展はオーストリア、スイスなどを巡回済で、フランスの後は米国でも催されるのだとか。今回の図録はSteidlが2001年に刊行した『The Japanese Box』(『Provoke』1~3号、森山大道『写真よさようなら』、中平卓馬『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』の復刻セット)に比べるとやや趣きを異にしていますが、それでも近年の資料としては購入しておいて損はないと思われます。LE BALから直接購入できますが(書籍代は60ユーロ)、送料が高く、ABEBOOKS経由で買った方が若干お得なようです。ちなみに私自身はLE BALから直接購入しましたが似姿は簡素で、配送トラブルや角のダメージ(書影にある通り背の地部分)などに見舞われ、面倒臭かったです。同書はナディッフでも販売していましたが、現在は扱いなしのご様子。

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ちなみに日本のリアル書店や古書店、ネット書店では購入できないものの実はまだ発売元から直接買える、という貴重なアート系書籍と言えば、『ハンス・ウルリッヒ・オブリスト|インタヴュー Volume 1[上]』(前田岳究/山本陽子訳、ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダ発行、2010年1月)が思い浮かびます。同書は日本語版ではあるのですが、アーティストブックとして海外で発売されたため、日本での入手がたいへん困難でした。私は何年か前に発売元のBuchhandlung Walther Königから直接購入しました。書籍代は98ユーロ。まだ購入できるのかどうか、同社のサイトで検索してみたところ、まだ買い物カゴが残っているようです。同書は6年前の本なのですでに私が購入した時点でも一部本文紙の酸化や帯の経年劣化などが生じていましたが、今でも中身を読む分には問題ないはずです。オブリストのほかのインタヴュー集は日本でも既刊があり、ある程度認知されていますから、同書はあらためて日本の版元が再刊しても良いのではないかと思います。上巻だけが既刊なので、下巻も刊行されてほしいところです。

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注目新刊:カルプ『ダーク・ドゥルーズ』、グレーバー『負債論』、ほか

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ダーク・ドゥルーズ
アンドリュー・カルプ著 大山戴吉訳
河出書房新社 2016年11月 本体2,400円 46判上製232頁 ISBN978-4-309-24782-3

帯文より:ドゥルーズは喜びと肯定の哲学ではなく憎しみと破壊の哲学だ。暗黒のドゥルーズを召喚して世界の破壊を共謀する最も記念な哲学の誕生。ドゥルージアン4人による応答を併載。

目次:
イントロダクション
存在の絶滅
無に向って前進すること
崩壊、破壊、壊滅
〈外〉の呼びかけ
結論

解説(大山戴吉)
応答1 憎しみはリゾームを超えるか(宇野邦一)
応答2 反戦運動の破綻の後に――ダーク・ドゥルーズに寄せて(小泉義之)
応答3 破壊目的あるいは減算中継――能動的ニヒリズム宣言について(江川隆男)
応答4 OUT TO LUNCH(堀千晶)

★まもなく発売(11月28日予定)。原書は『Dark Deleuze』(University of Minnesota Press, 2016)です。アマゾン・ジャパンをご利用になっておられる読者の中には、この原書をドゥルーズ関連の和書へのレコメンド(この商品を買った人はこんな商品も買っています)としてご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。英語圏の非常に幅広く多様で自由なドゥルーズ読解の前線を形成する本の中でも、書名の通り暗いオーラを放っています。「何よりもアンドリュー・カルプという名を一躍有名にしたのは、本書『ダーク・ドゥルーズ』であろう。その企図は、光と喜びに満ちた肯定の哲学者ジル・ドゥルーズを、破壊と崩壊をもたらす否定のダーク・ヒーローとして(再-)創造すること、あるいは、ドゥルーズ自身と「苗字を共有するダーク・ドゥルーズという子供を生みつけること」(本書8頁)である。この挑発的な試みは大きな反響を呼び、今や多くの読者のあいだで賛否や好悪の感情を巻き起こしている」(162頁)、と訳者の大山さんは解説で説明されています。

★カルプは彼のデビュー作である本書を「ドゥルーズ自身が絶対に書くことはなかった書物」(123頁)だと表現します。「というのも、彼が生きた時代は、現在のようにポジティブさが強制され、管理が浸透し、息苦しいほどにすべてがオープンである時代ではなかったからだ。私の基本的な議論はこうである。もはやドゥルーズの時代〔カルプはこのフーコーの言葉を嫌味だと解釈しています〕ではない現在にあって、新たな反時代性は、彼の仕事によって導入されたものの、結局は維持できなかった否定というプロジェクト、つまり「この世界の死」を要請することで示される。/この世界の終わりは、一連の死のうちで三番目のものである。すなわち、「神の死」、「人間の死」。そして「この世界の死」である。もちろん、これは物理的な世界破壊を求めることではない」(同)。「「この世界の死」は、世界を救おうというかつての試みの不十分さを認め、その代わりに革命に賭ける。〔・・・〕この世界の死ということで私が主張したいのは、繋がりとポジティブさの強制とに対する批判であり〔・・・〕コミュニズムという共謀である」(124~125頁)であるとカルプは述べ、「モノたちによる毛細状連結の拡大に乗じて、全てを統合して唯一の世界を築き上げようとする」、「繋がり至上主義」(125頁)を批判します。そして「要点は現在に固執することではなく、永遠に続く息苦しい現在を終わらせる新しい方法を見つけること」(129頁)なのだと書きます。

★本書の冒頭近くでカルプは本書の三つの機能(論争・回復・創造)を次のようにまとめています。「第一に、私は、繋がりを素朴に肯定する思想家としてのドゥルーズを言祝ぐ「喜びの規範」に反駁する。第二に、私は「この世界に対する憎悪を滾らせることで、否定性がもつ破壊的な力を回復する。第三に、私は創造と言う喜びに満ちた任務の反意語である共謀を提案する」(8頁)。ドゥルーズ哲学の無害化に抗い、あえて野蛮な読解を実践する本書は、現代人がうんざりしているすべての現実と徹底的に訣別するための否定性を駆動させることを積極的に称揚することによって、見事に時代の空気を捕まえているように感じます。その意味で言えば、本書はドゥルーズ研究に一石を投じるものである以上に、カルプ自身が言及しているエリック・シュミットとジャレッド・コーエンによる『第五の権力――Googleには見えている未来』(櫻井祐子訳、ダイヤモンド社、2014年2月)への彼なりの応答でもあるのでしょう。コーエンは1981年生まれですが、カルプも学歴から推察しておそらく80年代半ば頃に生まれた若い世代です。 千葉雅也さんによる推薦文にある通り、本書は「革命のマニフェスト」だと言えます。前世代との断絶を高らかに宣言する鮮やかな本で、次回作に期待したいです。メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(千葉雅也/大橋完太郎/星野太訳、人文書院、2016年1月)に刺激を受けた読者がカルプをどう受け取るか、書店さんにとっても興味深い新刊だと思います。


負債論――貨幣と暴力の5000年
デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史監訳 高祖岩三郎/佐々木夏子訳
以文社 2016年10月 本体6,000円 A5判上製848頁 ISBN978-4-7531-0334-8

帯文より:『資本論』から『負債論』へ。現代人の首をしめあげる負債(=ローン)の秘密を、古今東西にわたる人文知の総結集をとおして貨幣と暴力の5000年史の壮大な展望のもとに解き明かす。資本主義と文明総体の危機に警鐘を鳴らしつつ、21世紀の幕開けを示す革命的な書物。刊行とともに重厚な人文書としては異例の旋風を巻き起こした世界的ベストセラーがついに登場。

★発売済。原著は『Debt: The First 5,000 Years』(Melville House Publishing, 2011; Updated & expanded edition, 2014)です。もともと原書でも大著ですが、訳書では束幅55ミリの大冊となりました。このヴォリュームで本体6,000円というのは版元さんの努力以外の何物でもありません。巻末には監訳者の酒井さんと訳者の高祖さんによる長編論考「世界を共に想像し直すために――訳者あとがきにかえて」が収められています。目次詳細やピケティ、ソルニット、米国有名紙での評判は書名のリンク先でご覧いただけます。ピケティと言えば彼の代表作のひとつ『Les hauts revenus en France au XXe siècle』(Grasset、2001)の日本語訳『格差と再分配――20世紀フランスの資本』(山本知子/山田美明/岩澤雅利/相川千尋訳、早川書房、2016年9月)が先々月発売されましたが、本体価格17,000円という高額本で、多くの読者を悶絶させたかと想像します(私自身購読できておらず、地元の図書館にも所蔵されていません)。ピケティの『21世紀の資本』を読んで次に読むべき本を探しておられた読者にはグレーバーの本書『負債論』を強くお勧めします(ちなみにグレーバーによるピケティ批判については巻末の酒井/高祖論考で言及されています)。

★第一章冒頭の、IMFをめぐる女性弁護士との対話は本書の導入部として非常に興味深く、最初の10頁でグレーバーの考察の率直さに惹かれた読者は本書の続きも堪能できるだろうと思います。「本書が取り扱うのは負債の歴史であう。だが本書は同時にその歴史を利用して、人間とはなにか、人間社会とはなにか、またはどのようなものでありうるのか――わたしたちは実際のところたがいになにを負っているのか、あるいは、このように問うことはいったいなにを意味するのか――について根本的に問いを投げかける」(30頁)。本書は経済史をめぐる文化人類学者の挑戦であり、その姿勢は次の言葉に端的に表れていると思います。「真の経済史とはまたモラリティの歴史でもなければならない」(582頁)。「負債は〔・・・〕複数のモラル言説のもつれ合い」(同)であり、「約束の倒錯にすぎない。それは数学と暴力によって腐敗してしまった約束なのである」(578頁)。「金銭は神聖なものではないこと、じぶんの負債を返済することがモラリティの本質ではないこと、それらのことはすべて人間による取り決めであること、そしてもし民主主義が意味をもつとするならば、それは合意によってすべてを違ったやり方で編成し直すことを可能にする力にあること」(577頁)。グレーバーによる道徳批判は、別様にもありえた世界への道筋を閉ざしてきた幻想の歴史的所在を解明しようとする、非常に強力な検証として私たちに多くのことを教えてくれます。

★酒井/高祖論考の末尾には本書の関連書についての構想が明かされていますが、ネタバレはやめておきます。なおグレーバーの既訳書には、『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)や『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』(高祖岩三郎訳、以文社、2009年)があります。

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★このほかに最近では以下の新刊との出会いがありました。

『古地図で見る京都――『延喜式』から近代地図まで』金田章裕著、作品社、2016年11月、本体3,200円、4-6判上製362頁、ISBN978-4-582-46819-9

★まもなく発売(11月28日予定)。著者の金田章裕(きんだ・あきひろ:1946-)さんは京都大学名誉教授で、人文地理学や歴史地理学がご専門です。近年の著書に『文化的景観――生活となりわいの物語』(日本経済新聞出版社、2012年4月)や、『タウンシップ――土地計画の伝播と変容』(ナカニシヤ出版、2015年2月)があります。今回の新著の帯文は次の通りです。「日本最古の地図から明治の近代測量図まで、京都市街地1200年の様相。平安京から現在の観光都市へとその姿を大きく変えていった、京都の深く長い歴史を古地図によって通覧する」。目次は以下の通り。

目次:
はじめに
第一章 宮廷人と貴族の平安京
 1 碁盤目状の街路と邸第――左京図と右京図】
 2 宮殿と諸院――宮城図と内裏図
第二章 平安京の変遷
 1 認識と実態/京の道、京からの道
 2 洛中の町と洛外の町
 3 御土居と間之町――外形と街路の変化
第三章 名所と京都
 1 洛外の名所
 2 コスモロジカルな京都――山と川に囲まれた小宇宙
第四章 観光都市図と京都
 多色刷りの京都図
 観光都市図の内裏と公家町
 多彩な観光地図――両面印刷と街道図の手法
 多彩な観光地図――鳥瞰図と新構成への試行
第五章 近代の京都図
 1 銅板刷りの京都図――京都と学区
 2 地筆と地番――地籍図
 3 近代測量の地図
 4 京都の近代化と地図
 5 大縮尺図と鳥瞰図
おわりに
あとがき

主要文献


『ハンナ・アーレント「革命について」入門講義』仲正昌樹著、作品社、2016年11月、本体1,800円、46判上製384頁、ISBN978-4-86182-601-6

★発売済。2015年6月から12月にかけて早稲田大学YMCA信愛学舎で行われた是6回の連続講義に加筆したもので、2014年5月に上梓された『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』の姉妹編です。帯文は次の通り。「権力の暴走を抑制し、政治の劣化を阻止する〈永続する政治体〉とは? ポピュリズム、排外主義の蔓延、世の中を「いますぐ変えたい」願望の台頭。そして民主主義が機能停止しつつある、今。『人間の条件』と双璧をなす主著を徹底読解。その思想の核心を丁寧に掴み取る」。目次を下段に掲出しておきます。なおアーレント『革命について』はちくま学芸文庫で志水速雄訳を読むことができます。原典は『On Revolution』(Viking, 1963)です。

目次:
[前書き]アーレントの拘り
[講義第一回]「革命」が意味してきたもの
  ――「序章 戦争と革命」と「第一章 革命の意味」を読む
[講義第二回]フランス革命はなぜ失敗なのか?
  ――「第二章 社会問題」を読む
[講義第三回]アメリカ革命はフランス革命と何が違うのか?
  ――「第三章 幸福の追求」を読む
[講義第四回]「自由の構成」への挑戦
  ――「第四章 創設(1)」を読む
[講義第五回]アメリカとローマ、法の権威
  ――「第五章 創設(2)」を読む
[講義第六回]革命の本来の目的とは何か?
  ――「第六章 革命的伝統とその失われた宝」を読む
『革命について』をディープに理解するためのブックガイド
『革命について』関連年表


京大生協「綴葉」誌にウォルターズ『統治性』の書評

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京都大学生協の書評誌「綴葉」352号(2016年11月)に、弊社7月刊、ウォルターズ『統治性』の書評「フーコーを使う、理論を使う」が掲載されました。評者はぷよまるさんです。「フーコーの理論を「知る」ことと、それを「使う」こととの間にあるギャップ。これを埋める手助けをしてくれるのが本書『統治性』である。統治性という主題はフーコーの議論においてきわめて断片的に現れたに過ぎないが、英語圏では統治性研究という一領域として確立するほどの研究蓄積がある。本書はその名の通り統治性に的を絞った内容だが、理論の「適用主義」に警鐘を鳴らす議論は汎用性が高い。経験的研究に理論を活かそうとする、すべての人に読んでほしい一冊である」と評していただきました。同誌は誌名のリンク先でPDFがダウンロードできます。充実した投稿誌で活気を感じます。

ソラリス年報より

ルソー『化学教程』連載第12回

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ルソー『化学教程』連載第12回をまもなく月曜社ウェブサイトで公開します。

第一部 第三章 物体の凝着原理と物体の透明原理について

1 〔A:33, F:43, C:86〕自然のあらゆる現象を説明するために実に多くの努力をなしてきた哲学者たちは、万物にもっとも普遍的に備わっているもの、かつまずもって説明すべきであろうものについて理に適った仕方で語ることなどかつてなかった。私が言っているのは、各物体の諸部分の凝着cohésionである。例えば、それは一定量の金化粒子corpuscules aurifiques(1)から一つの金の塊を作るような働き〔操作opération〕のことである。ある物体の諸部分が絶対的静止repos absolu(2)の状態にあるとき、〔C:37〕これらの部分が凝着することはありえないという説に基づいて、凝着原理は運動であるとライプニッツは主張した。この静止や運動という言葉でライプニッツはいったい何を言わんとしていたのだろうか。ペリパトス派の形相、デカルトの微細な物質matière subtile、ニュートンの引力ですら、凝着原理の説明としては不十分な仮説のように私には思われる。物質が持つこの〔普遍的な〕特性について無意味な断定を企てる前に、原質の粒子corpuscules Principesの形象とあらゆる性質をよく知っておかなければならないし、その粒子の表面同士が接触する場合どのような種類の接触がありうるのか、また粒子同士の関係や差異が何であるかをよく知っておかなければならない。〔A:34〕動植物といった有機体に関して言えば、有機体の部分的構造、すなわち繊維や脈管のお陰で、〔凝着原理という〕難問にぶつからずに済むとも言える。脈管や繊維はひとつの組織によって支配されており、この組織はそれらからまとまりcohérenceを形成するのである。しかし、〔F:44〕〔有機体のまとまりを持ちつつ〕最も硬いものでもある採掘物〔化石〕corps fossilesや、接着appositionによってしかその部分が結合しない石や金属に対しては、〔動植物のと〕同じような説明はまったく通用しない。他方で、水やその他の液体はその部分同士がまったく無媒介に結合しており、このことは液体の透明さtransparenceが示している。こういった水やその他の液体が流動的であるということは、両者の部分の結合が組織に由来するものではないということを明示している。
(1)物質は粒子から成るという粒子論の議論をルソーは引き合いに出している。ゆえに、金化粒子は金の微小物質というよりは凝着により物質としての金に成る粒子のことを意味する。
(2)「自然的には実体は活動なしにはあり得ず、運動していない物体さえも決してありはしない、と私は主張するのである。経験も既に私に味方しているし、このことを納得するには、絶対的静止に反対して書かれたボイル氏の著作を参照しさえすれば事足りる。けれども、〔絶対的静止に反対する〕理由はまだ他にもあると私は思うし、〔その理由は〕私が原子論を破るために用いる証明の一つなのである」(ライプニッツ『人間知性新論』米山優訳、みすず書房、1987年、9頁)。

2 だが、かりに〔物体の〕部分間の完全な接着が物体のまとまりや安定性を生み出すと仮定してみよう。〔例えば〕二つの大理石の塊が、研磨され完璧に平らになった表面同士でくっつけられると、両者はひとつの大理石となり、まさにひと塊の大理石を形づくることになるだろう。大理石の表面のすべての部分一つひとつが接し合うのに必要な十分に研磨された平面を大理石に与えることができた場合、その結果として大理石がひとつにまとまるということが成立するのである。これは何人かの哲学者が大胆にも主張したことでもある。しかしながら、これこそ「経験に仇なすchicaner contre l’expérience」と言うべきものではないだろうか。今度は、どれだけ各々の部分が隣接しているかに比例して大理石の一体性が増してゆくと仮定してみよう。〔この場合〕たとえ〔隣接する〕研磨面が不十分であるとしても、つねに相当数の接点を二つの大理石が持つことで、分割に対するかなりの抵抗力をこの大理石は持ったと見なすべきであろうか。〔C:88〕しかし、経験によれば、この〔隣接数に由来する〕抵抗力は二つの大理石それぞれが持つ固有の重さから生じる抵抗力〔引力〕を超えることはない。

・・・続きは月曜社ウェブサイトで近日公開いたします。

注目新刊:『終わりなきデリダ』法政大学出版局

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。

◆ジャック・デリダさん(著書『条件なき大学』)
◆西山雄二さん(訳書:デリダ『条件なき大学』、共訳:『ブランショ政治論集』)
◆宮崎裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
◆渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
◆馬場智一さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)

脱構築研究会とハイデガー研究会、レヴィナス研究会の共催によるワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」(2014年10月11日、早稲田大学)、さらに脱構築研究会と日本サルトル学会との共催によるワークショップ「サルトル/デリダ」(2014年12月6日、立教大学)の成果が一冊にまとめられ、論文集『終わりなきデリダ』として法政大学出版局より刊行されました。第一部「デリダ×ハイデガー」、第二部「デリダ×サルトル」、第三部「デリダ×レヴィナス」の三部構成。詳しい書誌情報と目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

西山さんと渡名喜さんは編者を務められています。西山さんは総序である巻頭の「はじめに」を執筆されているほか、第二部にご発表「ポスト実存主義者としてのジャック・デリダ」が収められています。渡名喜さんは第三部に「序」をお寄せになっているほか、第三部にご発表「デリダはレヴィナス化したのか──「暴力と形而上学」から『最後のユダヤ人』まで」が収められています。デリダさんの講演録「出来事を語ることのある種の不可能な可能性」(9~41頁)は1997年4月1日にモントリオールのカナダ建築センターで発表されたもの。訳者は西山さんと亀井大輔さんです。宮崎さんの発表は「人間/動物のリミトロフィー──ジャック・デリダによるハイデガーの動物論講義」として第一部に収録されています。馬場さんは第三部に収録されたオリエッタ・オンブロージさんのご論考「犬だけでなく──レヴィナスとデリダの動物誌」(「レ・タン・モデルヌ」誌2012年3-4月号「特集=デリダ――脱構築という出来事」)の翻訳を担当されています。

終わりなきデリダーーハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話
齋藤元紀/澤田直/渡名喜庸哲/西山雄二編
法政大学出版局 2016年11月 本体3,500円 A5判上製406頁 ISBN978-4-588-15081-4

帯文より:動物、現前性、暴力、他者、実存主義、文学、弁証法、ユダヤ性、贈与・・・現代哲学をつらぬく主題をめぐり強靱な思考を展開した四者の思想的布置を気鋭の研究者たちが論じる。

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注目新刊:レヴィ=ストロースの再刊2点、ほか

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★今回は以下の3点の再刊書に注目したいと思います。

『火あぶりにされたサンタクロース』クロード・レヴィ=ストロース著、中沢新一訳・解説、角川書店、2016年11月、本体1,800円、四六判上製124頁、ISBN978-4-04-400220-6
『神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳、みすず書房、2016年11月、本体2,400円、四六判上製112頁、ISBN978-4-622-08591-1
『心と身体/物質と記憶力――精神と身体の関係について』ベルクソン著、岡部聡夫訳、駿河台出版社、2016年11月、本体3,600円、B6判並製488頁、ISBN978-4-411-02241-7

★まずはレヴィ=ストロースの2点。『火あぶりにされたサンタクロース』は1995年にせりか書房から刊行されたものの新版で、巻頭に新たに置かれた「新版のための序文」によれば、「図版や写真や若干の表記を改めただけで、ほぼそのままのかたちで新しく出版し直す」とのことです。サルトルの依頼により「レ・タン・モデルヌ」誌77号(1952年3月)に寄稿された論考「Le Père Noël supplicié」の翻訳で、巻末にはせりか書房版と同様に、中沢さんの解説「クリスマスの贈与」が付されています。先述した新しい序文で中沢さんはこの論考について次のように紹介されています。「興味ふかい論文の中で、太陽の力が弱まる冬至をはさんでおこなわれた異教世界の死者儀礼が、どのようにしてキリスト教の祭りに組み入れられ、変形されていったかを、それまでにない斬新な着想にもとづいて明らかにしてみせている。とりわけ近代の資本主義化したヨーロッパが、いかにしてたくみにクリスマスを資本主義精神の表現者につくりかえていったかを、みごとに描き出してみせた。/資本主義という経済システムの深層には、「贈与」や「増殖」をめぐる人類のとてつもなく古い思考が埋め込まれている。クリスマスが図らずもそのことを露呈させる。つまりクリスマスとは、キリスト教的なヨーロッパが意識下に押し隠そうとした文明の「無意識」を、夢のようなしつらえをつうじて社会の表面に露呈させる、いささか不穏なおもむきをはらんだ祭りなのである。/レヴィ=ストロースはクリスマスのはらむその不穏なうごめきのようなものを、ヨーロッパ文明の本質をなす矛盾の表現と考えたのである」(2~3頁)。

★『神話と意味』は、1996年にみすずライブラリーの一冊として刊行されたものの新装版。再刊にあたって改訂があったのかどうかは特記されていませんが、訳者は1998年にお亡くなりになっています。原書は『Myth and Meaning』(University of Toronto Press, 1978; 2nd edition, Schocken Books, 1995)です。1977年12月にカナダのCBCラジオで放送された、神話をめぐる全5回の講話。帯文に曰く「ラジオでの講話を編集。『野生の思考』『神話論理』に対する質問に答える。率直かつ明快な、彼自身による入門書」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ウェンディ・ドニジャー(Wendy Doniger, 1940-)による「序」に付されたささやかな注でほのめかされている、レヴィ=ストロースとジーンズメーカーのリーヴァイ・ストラウス(レープ・シュトラウス)の「関係」については、どう理解するべきなのかよく分かりませんが、興味をそそられます。

★続いてベルクソンです。『心と身体/物質と記憶力』は、『物質と記憶――精神と身体の関係について』(駿河台出版社、1995年)の新版。巻末の「後記」によれば、旧版の「段落で見落としたところを補い、気づいた間違いは訂正し、また訳文もいくらか修正した」とのことです。また続けて「日本語として意味不明の訳文が、すべて誤訳であることはいうまでもない」ときっぱりとお書きになっておられ、その厳しいご姿勢に胸を打たれます。新版では新たに『精神的エネルギー』の第二論文「心と身体」の翻訳が掲載され、さらに巻末解説も一新されています。旧版では「脳と記憶――ベルクソンの失語論」(旧版345~362頁)と題されていましたが、新版では「自由な行為における記憶力と身体の関係について」(409~471頁)となっています。御参考までに新旧の訳者解説の詳細目次を以下に列記しておきます。旧版:Ⅰ「『物質と記憶』概観」、Ⅱ「局在論とその問題点」、Ⅲ「ベルクソンによる説明」、Ⅳ「形而上学の伝統的テーマについて」、後記。新版:第一部「記憶は脳のなかにある?」、第二部「心身関係――ベルクソンの場合」〔Ⅰ「記憶力の二つの形態について」、Ⅱ「再認の二つの形態について」、Ⅲ「イマージュの記憶から運動への移行について」〕、第三部「心脳関係――ペンフィルドの場合」、第四部「自由な行為と記憶力」、後記。なお、新版の刊行にあたって『物質と記憶』を『物質と記憶力』と改めたことについては、後記に「精神力の異名であるmémoireを「記憶力」あるいは「記憶力のはたらき」とし、souvenirを「記憶」あるいは「思い出」としたことによる」とお書きになっておられます。

★なお『物質と記憶』をめぐっては今月、注目すべき論文集が刊行されました。『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する――現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続』(平井靖史/藤田尚志/安孫子信編、書肆心水、2016年11月)。書名のリンク先で目次の閲覧と立ち読みができます。

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★このほか、最近では以下の書籍との出会いがありました。

『ジャック・デリダと精神分析――耳・秘密・灰そして主権』守中高明著、岩波書店、2016年11月、本体2,900円、四六判上製256頁、ISBN978-4-00-061157-2
『タイム・スリップの断崖で』絓秀実著、書肆子午線、2016年11月、本体2,300円、四六判並製312頁、ISBN978-4-908568-08-4
『マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』ロブ・デサール/スーザン・L・パーキンズ著、パトリシア・J・ウィン本文イラスト、斉藤隆央訳、紀伊國屋書店、2016年12月、本体2,000円、46判上製298頁、ISBN978-4-314-01144-0

★守中高明『ジャック・デリダと精神分析――耳・秘密・灰そして主権』は発売済。本書の企図について巻頭の序「「科学」の時代における精神分析」にはこう説明されています。「ジャック・デリダの思考とフロイトに始まる精神分析の思考をあらためて出会わせ、そのことを通して人間という謎に満ちた存在の全的理解が試されるいくつかの限界的場面にその知を向き合わせること、そして同時に、制度化され学としての体系性を手に入れる代償として精神分析が失ったものが何であるかを、デリダの思考を一種の触媒として明らかにすること、つまりは脱構築的読解の介入によって精神分析を変容させ、この知に新たな別種の射程をもたらすこと」(1頁)。序に続く本書の構成は以下の通りです。第Ⅰ部「耳について」〔第一章「脱構築と(しての)精神分析――不気味なもの」、第二章「ラカンを超えて――ファロス・翻訳・固有名」〕、第Ⅱ部「秘密について」〔第一章「告白という経験――フーコーからデリダへ」、第二章「埋葬された「罪=恥」の系譜学――クリプトをめぐって」〕、第Ⅲ部「灰について」〔第一章「終わりなき喪、不可能なる喪――アウシュヴィッツ以後の精神」、第二章「ヘーゲルによるアンティゴネー――『弔鐘』を読む」〕、第Ⅳ部「主権について」〔第一章「絶対的歓待の今日そして明日――精神分析の政治-倫理学」、第二章「来たるべき民主主義――主権・自己免疫・デモス」〕、註、あとがき。

★絓秀実『タイム・スリップの断崖で』は発売済。扶桑社の文芸誌「en-taxi」(2003年~2015年)の第5号(2004年春号)から休刊号となる第46号(2015年冬号)にかけて連載された時評「タイム・スリップの断崖で」に加筆訂正を加えたもの。帯文は以下の通りです、「小泉政権下でのイラク邦人人質事件から安保関連法案をめぐる国会前デモまで、そこに顕在化したリベラル・デモクラシーのリミット=断崖を照射する!」。奥付前の特記によれば、連載第一回目の「さらに、踏み越えられたエロティシズムの倫理――大西巨人の場合」は「文芸評論として書かれており、本書の時評集という性格から外れるため、これを収録しなかった」とのことです。また、絓さんが「本書最大の読みどころ」と絶賛されている、本書の10万字以上に及ぶという脚注は、長濱一眞さんによるものだそうです。

★デサール&パーキンズ『マイクロバイオームの世界』はまもなく発売。原書は『Welcome to the Microbiome: Getting to Know the Trillions of Bacteria and Other Microbes In, On, and Around You』(Yale University Press, 2015)です。訳者あとがきの文言を借りると、本書は「アメリカ自然史博物館で2015年11月から2016年8月まで開催されていた、マイクロバイオームをテーマとして展示会に合わせて制作されたものらしい。展示会はその後、アメリカ国内のみならず国外へもツアーをおこなう予定とのことなので、いずれ日本で開催されることもあるかもしれない」。同じく訳者あとがきによれば、マイクロバイオームとは「私たちの体の内部や表面のほか、家庭や学校などの生活の場のそれぞれに存在する微生物の集まり」であり、そうした微生物のもつ遺伝子の総体を指すこともあるとのことです。目次詳細や本書の概要については書名のリンク先をご覧ください。

★今夏に刊行されたアランナ・コリンによる『あなたの体は9割が細菌――微生物の生態系が崩れはじめた』(矢野真千子訳、河出書房新社、2016年8月)が話題を呼びましたが、この本が踏まえている議論こそが「ヒトマイクロバイオーム・プロジェクト」であり、その詳細を『マイクロバイオームの世界』が教えてくれます。マイクロバイオーム関連の新刊は今後もますます増えていくものと思われます。近年では理系や医学系の雑誌で幾度となく取り上げられてきましたし、マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』(山本太郎訳、みすず書房、2015年7月)や、今月刊行されたデイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と内臓――微生物がつくる世界』(片岡夏実訳、築地書館、2016年11月)など、単行本も増えています。『現代思想』2016年6月臨時増刊号「総特集=微生物の世界――発酵食・エコロジー・腸内細菌」などもその引力圏にあると言えるかと思われます。文理の別を問わない越境的な問題群に切り込む重要な鍵として書店さんの店頭をにぎわせていくことでしょう。

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