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注目新刊:マラブー『新たなる傷つきし者』河出書房新社、ほか

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新たなる傷つきし者――フロイトから神経学へ 現代の心的外傷を考える
カトリーヌ・マラブー著 平野徹訳
河出書房新社 2016年7月 本体3,400円 46判上製372頁 ISBN978-4-309-24767-0

帯文:アルツハイマー病、脳に損傷をうけた人々、戦争、テロ、いわれなき暴力の被害者たち……過去も幼児期も個人史もない、新しい人格が、脳の損傷からつくられる可能性を思考。フロイト読解をとおして、現代の精神病理学における、《性》から《脳》への交代現象の意義を問う画期的哲学書。

推薦文(千葉雅也氏):過去の痕跡が爆破され、私は別人になる。ストレスとダメージの時代に、徹底的に変身するとはどういうことか? フランス現代思想の根本テーマ「差異」「他者」をいちど爆破し、そして新たに造形する衝撃の書だ。

目次:
はしがき
序論
第一部 神経学の下位におかれる性事象
 序 因果性の「新しい地図」
 第一章 脳の自己触発
 第二章 脳損傷――神経学的小説から意識不在の劇場へ
 第三章 先行段階なき同一性
 第四章 精神分析の異議申し立て――破壊欲動なき破壊は存在しうるか
第二部 脳事象の無力化
 序 フロイトと《あらかじめ存在する亀裂の線》
 第五章 心的出来事とは何か
 第六章 「リビドー理論」そして性事象の自身に対する他性――外傷神経症と戦争神経症を問い直す
 第七章 分離、死、もの――フロイト、ラカン、出会いそこね
 第八章 神経学の異議申し立て――「出来事を修復する」
第三部 快楽原則の彼岸をめぐって――実在するものとしての
 序 治癒や緩解には最悪の事態を忘れさせるおそれがある
 第九章 修復の両義性――弾性から復元性へ
 第十章 反復強迫の可塑性へ
 第十一章 偶発事故の主体
結論
訳者あとがき
原注
文献
人名索引

★まもなく発売。原書は、Les nouveaux blessés : De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains (Bayard, 2007)です。カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou, 1959-)の単著の邦訳は、『わたしたちの脳をどうするか――ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(桑田光平・増田文一朗訳、春秋社、2005年6月;Que faire de notre cerveau ?, Bayard, 2004)、『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』(西山雄二訳、未來社、2005年7月;L'Avenir de Hegel : Plasticité, temporalité, dialectique, Vrin, 1994)に続く待望の3冊目。ポスト・デリダ世代の最重要哲学者の一人であり、哲学・精神分析・神経科学を横断する挑戦的な思想家であることは周知の通りですが、ここ十年近く訳書が出ていませんでした。とはいえ、フランス現代思想の日本受容において未邦訳のキーパーソンはほかにもいますから(マラブーに学び、本書に推薦文を寄せておられる千葉雅也さんが近年再評価されてきたフランソワ・ラリュエル〔François Laruelle, 1937-〕はその一人ですし、同じくLの欄には例えば人類学者のシルヴァン・ラザリュス〔Sylvain Lazarus, 1943-〕がいるでしょう)、マラブーへの関心がむしろ継続しているのは注目に値します。

★マラブーはこう書きます。「脳にはそれに固有の出来事がある」(54頁)。「脳にかかわる事象に対して、性事象はもはや特権的地位を享受できない〔・・・〕。何らかの音や外から察知できる信号を発することなく自己を触発し、事故をこうむった場合にのみあらわになる脳のありよう、すなわちその絶対的脆弱性においてのみ自身の無意識を露呈するという特異な脳のありよう、それが本書の分析の中心、フロイトなら差しむけたはずの批判を先取りしつつおこなわれることになる分析の中心となるだろう」(56頁)。「昔日の医学における悪魔憑きや狂人、精神分析における神経症者にとって代わるのは、脳損傷をうけた新たなる傷つきし者である」(42頁)。「精神分析に根底からの変化を迫る新しい事実」(317頁)に向き合おうとする本書の試みは、現代人にとって非常に示唆的です。

★「心の変容の決定因として傷に可塑的な力がそなわっているとするなら、さしあたって可塑性の第三の意味、爆発と無化という意味をあてるしかない。損傷後の同一性の想像があるなら、それは、かたちの破壊による創造ということになる。よってここで問題になっている可塑性は、破壊的な可塑性である。/このような可塑性は、逆説的ではあるが依然としてかたちの冒険である。例をあげるなら、アルツハイマー病者は、まさに傷の可塑性の典型であるといえる。この疾病のために同一性は完全に崩壊し、別の同一性が形成されるからだ。それはかつての形式を補う似姿ではなく、文字通り、破壊の形式である。破壊が形式をつくりだすということ、破壊がみずからの心の生活形式を構成しうるということの証しなのである。われわれがここで考えている、傷のもつ形成し破壊する可塑的力は、以下のように言いあらわすことができよう。あらゆる苦痛は、その苦痛を耐えるものの同一性の形成物である、と」(43頁)。

★「こうしたわけで、時間をかけて〈新たなる傷つきし者〉の相貌を描いてみせる必要があった。苦痛への同一化が、この検証作業の中核をなしている。現代の心的外傷の特徴――地政学でもあることが明らかとなった特徴――の描写は、あらゆる治療の試みに向けた準備的仕事である。/その原因が生物的要因であれ、社会・政治的要因であれ、破壊的出来事は、情動的な脳に不可逆的な転倒を、したがって、同一性の完全な変容をもたらす。それは、たえず私たちのだれをも脅かす実存的可能性としてあらわれている。私たちはいまこの瞬間にも、〈新たなる傷つきし者〉になりうるのだ。同一性の過去の形式との本質的つながりをたたれ、私たち自身の祖型と化してしまうことが、起こりうるのだ。こうした喪失をはっきり示すのは、アルツハイマー病である。この生の形式は、主体の過去のありようと訣別してしまう。/死へのこうした変容のかたち、過去を引き継がない生存は、重い脳損傷の症例にのみ見られるわけではない。それは、外傷のグローバル化した形式でもある。戦争、テロ、性的虐待、抑圧と奴隷化のあらゆる類型から帰結するものとしての形式なのだ。現代の暴力は、主体をその記憶の貯蔵庫から切り離すのである」(315~316頁)。

★「拙著『わたしたちの脳をどうするか』の結論部における議論を敷衍して、私が擁護しつづけてきた主張は、現在、哲学の唯一の方途は新たな唯物論をつくり上げることにある、というものだ。そしてこの唯物論は、脳と思考を、脳と無意識を、わずかにでも引き離すことを拒絶する。/したがって、本書で脳事象/脳の特性〔セレブラリテ〕を規定してきた唯物論は、新たな精神哲学の基礎であり、ニューロンの変形と結合の形成作用において明らかにされた価値論的原理である。〔・・・同一性や歴史が構築される、脳の自己触発の〕過程がラディカルに露呈されるのは、脳を破壊し、ひいては人格の心的連続性を切断しうる偶発事故〔アクシデント〕においてである。こうした脳の脆弱性が、現代の精神病理学の主要問題となっている。脳損傷の研究によって、新たなる傷、心的外傷の意味が明らかにされている。現在進行する心の苦痛を取り逃さないというのであれば、精神分析は、もはやこの成果を無視することはできないはずである」(314頁)。

★メイヤスー『有限性の後で』(人文書院)やシャヴィロ『モノたちの宇宙』(河出書房新社)で開示された唯物論の新次元や、ドイジ『脳はいかに治癒をもたらすか』(紀伊國屋書店)が明かす神経可塑性研究の最新成果、マラブーの師であるデリダの『精神分析のとまどい』(岩波書店)におけるフロイトとの対峙など、最近立て続けに出版された新刊は、マラブーの本書とともに読むことに喜びと深みを与えてくれるものです。同時代の知の大地に走った複数の線が交差しています。書店はいわばその交差が顕現するリアルな場です。

★なお、河出書房新社さんの今後の発売予定には以下のものがあります。

7月27日発売予定:ル・コルビュジエ『輝ける都市』白石哲雄訳、B4変形判352頁、本体10,000円、ISBN978-4-309-27621-2
8月8日発売予定・河出文庫:アントナン・アルトー『ヘリオガバルス――あるいは戴冠せるアナーキスト』鈴木創士訳、文庫判並製224頁、本体800円、ISBN978-4-309-46431-2
8月24日発売予定:ジル・ドゥルーズ『ドゥルーズ書簡その他』宇野邦一・堀千晶訳、46判400頁、本体3,500円、ISBN978-4-309-24769-4
8月29日発売予定:ガブリエル・タルド『模倣の法則 新装版』池田祥英・村澤真保呂訳、46判600頁、本体6,000円、ISBN978-4-309-24772-4

アルトー『ヘリオガバルス』の訳者の鈴木創士さんはまもなく次の新刊を上梓されます。7月28日取次搬入:鈴木創士『分身入門』作品社、2016年7月、本体2,800円、ISBN978-4-86182-591-0

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『戦争に負けないための二〇章』池田浩士文、髙谷光雄絵、共和国、2016年7月、本体1,800円、A5変型判並製128頁、ISBN978-4-907986-37-7
『時代区分は本当に必要か?――連続性と不連続性を再考する』ジャック・ル=ゴフ著、菅沼潤訳、藤原書店、2016年7月、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-079-6
『絶滅鳥ドードーを追い求めた男――空飛ぶ侯爵、蜂須賀正氏 1903-53』村上紀史郎著、藤原書店、2016年7月、本体3,600円、四六判上製352頁、ISBN978-4-86578-081-9
『ビッグデータと人工知能――可能性と罠を見極める』西垣通著、中公新書、2016年7月、2016年7月、本体780円、新書判並製232頁、ISBN978-4-12-102384-1
『大転換――脱成長社会へ』佐伯啓思著、中公文庫、2016年6月、本体980円、文庫判並製360頁、ISBN978-4-12-206268-9
『乞食路通』正津勉著、作品社、2016年7月、本体2,000円、46判上製248頁、ISBN978-4-86182-588-0
『ようこそ、映画館へ』ロバート・クーヴァー著、越川芳明訳、作品社、2016年7月、本体2,500円、46判上製263頁、ISBN978-4-86182-587-3

★『戦争に負けないための二〇章』はまもなく発売。池田浩士(いけだ・ひろし:1940-)さんはドイツ文学者で、ルカーチやブロッホの翻訳でも知られています。緊急出版と言っていい本書の表紙にはこう記されています。「さあ戦争だ。あなたはどうする? ついに「戦争する国」になった日本。とはいえ、戦争には負けられない。じゃあ、どうすれば戦争に負けない自分でいられるのか? ファシズム文化研究の第一人者と、シュルレアリスムを駆使する染色画家による、共考と行動のための20の絵物語」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。目次だけ見ているとあたかも好戦論であるかのように読めるのですが、それほど単純な本ではありません。1章ずつは見開き2頁と短いもので、論旨も明快です。やっぱり戦争肯定論ではないか、となおも感じる読者はそれなりにいるでしょう。しかしながら、痛烈な皮肉として読むこともできるのです。書名は「敗戦しないため」とも読めれば、「戦争そのものの存在に魂を打ち負かされないため」とも読めます。確信犯的なこの「問題の書」をめぐっては、おそらく今後様々なメディアが著者に真意を問おうとするかもしれませんが、細部に目を凝らせば著者の意図はおのずと了解できるのではないか、とも思えます。各章に付された参考文献や、巻末のブックガイド「戦争に負けないために読みたい20冊」とそれに付された紹介文が興味深いです。イマジネーションを掻き立てられる髙谷さんによる挿絵の数々も非常に印象的です。オールカラーでこの廉価。版元さんの気合いが窺えます。同社の『総統はヒップスター』を「楽しめた」方は本書の毒/薬にも気付くはずです。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と著者は書いています。大きな釣り針を垂らして遊ぼうというのではありません。戦い方にも色々ある、ということかと思います。

★藤原書店の7月新刊2点はいずれもまもなく発売。ル=ゴフ『時代区分は本当に必要か?』の原書は、Faut-il vraiment découper l'histoire en tranches ? (Seuil, 2014)です。帯文には「生前最後の書き下ろし作品」と。巻頭の「はじめに」で著者はこう述べています。「この試論は学位論文でも集大成でもないが、長いあいだの研究の成果である。〔・・・〕これは私が長いあいだ温めていた著作で、それを私が気になっているアイデアで膨らませた。〔・・・〕歴史も、歴史の素材である時間も、まずは連続したものとしてあらわれる。しかし歴史はまた変化からつくられてもいる。だから専門家たちは昔から、この連続のなかからいくつかの断片を切り出すことで、こうした変化をしるし、定義しようとしてきた。これらの断片はまず歴史の「年代」と呼ばれ、ついでその「時代」と呼ばれた。/「グローバル化」の日常生活への影響が日に日に感じられるようになっている2013年に書かれたこの小著は、連続、転換といった、時代区分を考える際のさまざまなアプローチについて再考する。歴史の記憶をどう考えるかという問題である。〔・・・〕ある時代から別の時代への移行という一般的な問題をあつかいながら、私は特殊事例を検討する。つまり「ルネサンス」の新しさと言われているもの、「ルネサンス」と中世との関係をどうとらえるかだ。〔・・・〕「ルネサンス」の「中心的役割」がこの試論の中心主題になっており、私が情熱を込めて研究生活を捧げた中世についての、われわれのあまりに狭い歴史観を一新することを呼び掛けているのだが、提起されている問題はおもに、「時代」に区分けできる歴史という概念そのものに関わっている。/というもの、歴史はひとつの連続なのか、あるいはいくつかのます目に区分けできるのかは、依然として決められない問題だからだ。言いかたを変えるなら、歴史を切り分けることは本当に必要なのか、ということになる」(7~10頁)。目次詳細については書名のリンク先をご覧ください。

★村上紀史郎『絶滅鳥ドードーを追い求めた男』はあとがきによれば、もとになった原稿は「島に憑かれた殿様」というタイトルで、年三回発行の同人誌『十三日会』に2011年4月から2012年12月まで5回にわたって連載されたもので、加筆のうえ一冊としたもの。帯文ではこう紹介されています。「謎の鳥「ドードー」の探究に生涯を捧げた数奇な貴族の実像。戦国武将・蜂須賀小六の末裔にして、最後の将軍・徳川慶喜の孫、海外では異色の鳥類学者として知られる蜂須賀正氏(はちすか・まさうじ:1903-1953)。探検調査のため日本初の自家用機のオーナーパイロットにもなり、世界中で収集した膨大な標本コレクションを遺しながら、国内では奇人扱いを受け、正当に評価されてこなかったその生涯と業績を、初めて明かす」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者の村上紀史郎(むらかみ・きみお:1947-)さんはフリー・エディターでありライター。単著に『「バロン・サツマ」と呼ばれた男――薩摩治郎八とその時代』(藤原書店、2009年)や『音楽の殿様・徳川頼貞』(藤原書店、2012年)があります。

★西垣通『ビッグデータと人工知能』は発売済。カヴァーソデ紹介文は次の通り。「ビッグデータ時代の到来、第三次AI(人工知能)ブームとディープラーニングの登場、さらに進化したAIが2045年に人間の知性を凌駕するというシンギュラリティ予測……。人間とAIはこれからどこへ向かっていくのか。本書は基礎情報学にもとづいて現在の動向と論点を明快に整理し分析。技術万能主義に警鐘を鳴らし、知識増幅と集合知を駆使することによって拓かれる未来の可能性を提示する」。第一章「ビッグデータとは何か」、第二章「機械学習のブレイクスルー」、第三章「人工知能が人間を超える!?」、第四章「自由/責任/プライバシーはどうなるか?」、第五章「集合知の新展開」、の全五章立て。西垣さんは同じく中公新書より2013年に『集合知とは何か――ネット時代の「知」のゆくえ』という著書を上梓されています。『ビッグデータと人工知能』第五章で西垣さんは「ビッグデータと人工知能と集合知とは三位一体なのだ」と明言しておられます。集合知(collective intelligence)は集団的知性とも訳されます。多数の人々の参加による協力的な問題対処により生まれるもので、「多くの人の知識が蓄積したもの。また、その膨大な知識を分析したり体系化したりして、活用できる形にまとめたもの」とデジタル大辞泉では定義されています。西垣さんはこう書いています。「集合知とは、現代文明のこうした欠陥〔極度な専門化による大局的判断の困難〕を補うための手段として位置づけられるだろう。一般の人々の多用な知恵が、適切な専門知のバックアップをうけて組み合わされ、熟議を重ねて問題を解決していくのが、21世紀の知の望ましいあり方なのだ。〔・・・〕人手にあまる膨大なビッグデータを分析し、専門家にヒントとなる分析結果を提供しつつ、集合知の精度や信頼性をあげていくことこそ、その〔人工知能の〕使命」だと(188~189頁)。この議論には重要な細部があるのですが、それはぜひ本書をひもといていただければと思います。

★なお、中央公論新社さんの今月新刊には、マルクーゼ『ユートピアの終焉――過剰・抑圧・暴力』(清水多吉訳、中公クラシックス、2016年7月、本体1,800円、新書判並製204頁、ISBN978-4-12-160166-7)もあります。これの親本は1968年に合同出版から刊行された同名の書籍かと思います。

★佐伯啓思『大転換』の親本は2009年、NTT出版刊。文庫化にあたって、「文庫版のためのあとがき」と、竹谷仁宏さんによる解説「脱成長社会の構想を大胆に示した書」が付されています。カヴァー裏の紹介文は以下の通り。「「文明の破綻としての経済危機」に再々襲われる不安定な時代にあって、本書はそれをもたらした理由を明確に示す。そのうえで「豊かさ」に関する価値観に転換を求め、「脱成長社会」への道を説いていく。グローバルな大競争時代において、破局を避ける方向を見いだすために、本書が説く論点は決定的に重要である」。佐伯さんは本書を次のように結ばれています。「今回の経済危機〔リーマン・ショック〕こそは、「大転換」の準備を行うためには絶好の機会なのである。そして、そのためには、われわれの「観念の枠組み」を変えてゆかねばならない。ケインズが述べたように、長期的に社会を動かすものは、結局、われわれがどのように社会を考えるか、という「観念」そのものnほかならないからだ。「大転換」への道とは、まずは、われわれの「観念」や「価値」の転換から始めなければならないのである」(332頁)。

★このほか、中央公論新社さんの既刊書では最近、トルコでのクーデター事件を受けて、クルツィオ・マラパルテ『クーデターの技術』(手塚和彰・鈴木純訳、中公選書、2015年3月、本体2,400円、四六判並製336頁、ISBN978-4-12-110021-4)が再注目されているようです。「国家権力を奪取し、防御する方法について歴史的分析を行った」(帯文より)本書は、1971年にイザラ書房より刊行された書籍の全面改訂版です。原著は1931年にフランスで刊行されており、日本では幾度となく翻訳されてきました。ソレル『暴力論』やマルクス『フランスの内乱』『哲学の貧困』のほかレーニンやジョレスなどの翻訳を手掛けられた木下半治(きのした・はんじ:1900-1989)さんがお訳しになった『近世クーデター史論』(改造社、1932年)が一番古く、そのあとに1971年にイザラ書房版が刊行され、さらにその翌年に海原峻・真崎隆治訳『クーデターの技術』(東邦出版社、1972年)が出版されています。

★クーデター研究の関連書には色々あるのですが、ルトワック『クーデター入門――その攻防の技術』(遠藤浩訳、徳間書店、1970年、絶版)もそうした一冊です。近年、戦略学者の奥山真司(おくやま・まさし:1972-)さんが再評価されてきたのは周知の通りですが、奥山さんのブログ「地政学を英国で学んだ」の2016年7月17年付エントリー「トルコのクーデターはなぜ失敗したのか」では、「フォーリン・ポリシー」誌のルトワックによる記事「Why Turkey's Coup d'État Failed: And why Recep Tayyip Erdogan's craven excesses made it so inevitable」(2016年7月16日付)の要訳を掲載されるとともに、エントリー末尾にこう記されています。「ルトワックは最近になって英語版の「クーデター入門」の新版を出したわけですが、私もいずれ近いうちにこれを翻訳できればと考えております」。奥山さんによる新訳がいずれ読めるようになるというのは朗報です。

★正津勉『乞食路通』はまもなく発売(26日取次搬入)。帯文に曰く「乞食上がりの経歴故に同門の多くに疎まれながら、卓抜な詩境と才能で芭蕉の寵愛を格別に受けた蕉門の異端児。《肌のよき石に眠らん花の山》(路通句126点収録)。つげ義春氏推薦!」と。目次を列記すると、前書/(一)薦を着て/(二)行衛なき方を/(三)火中止め/(四)世を捨も果ずや/幕間――芭蕉路通を殺せり/(五)寒き頭陀袋/(六)ぼのくぼに/(七)随意〱/(八)遅ざくら/後書/資料1:芭蕉路通関係年表/資料2:路通句索引。正津さんはこう書かれています、「乞食路通。芭蕉が生き得なかった、風狂を生き貫きつづけた。芭蕉と、路通と。一枚の硬貨の裏表。〔・・・〕いうならばアナザー芭蕉とでもいうところか」(228頁)。

★クーヴァー『ようこそ、映画館へ』は発売済。原書は、A Night at the Movies, or, You Must Remember This (Simon & Schuster, 1987)。帯文にはこうあります。「ポストモダン文学の巨人がラブレー顔負けの過激なブラックユーモアでおくる、映画館での一夜の連続上映と、ひとりの映写技師、そして観客の少女の奇妙な体験!」。目次は「プログラム」と記されており、以下のラインナップが並びます。「予告編『名画座の怪人』/今週の連作『ラザロのあとに』/冒険西部劇『ジェントリーズ・ジャンクションの決闘』/おすすめの小品『ギルダの夢』『フレームの内部で』『ディゾルヴ』/喜劇『ルー屋敷のチャップリン』/休憩時間〔インターミッション〕/お子様向けマンガ映画/紀行作品『一九三九年のミルフォード・ジャンクション――短い出会い』/ミュージカル『シルクハット』/ロマンス『きみの瞳に乾杯』。巻末の訳者あとがきで訳者は本書の特徴を3点挙げておられます。「スクリーンの内と外の境界が曖昧になる」、「性的なグロテスク・ユーモアが横溢したドタバタ劇喜劇の中で、レジェンドの主人公や俳優がつぎつぎと失墜し、偶像が破壊される」、「伝統的な価値観や倫理観の転覆がはかられる」。これらを訳者は「小説の脱構築」と端的に表現されています。


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