『社会的なものを組み直す――アクターネットワーク理論入門』ブリュノ・ラトゥール著、 伊藤嘉高訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,400円、四六判上製588頁、ISBN978-4-588-01090-3
『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』Th・W・アドルノ著、岡田暁生/藤井俊之訳、法政大学出版局、2018年12月、本体4,000円、四六判上製470頁、ISBN978-4-588-01088-0
『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』守屋彰夫/上村静訳、ぷねうま舎、2018年12月、本体5,300円、A5判上製364頁、ISBN978-4-906791-87-3
『精神分析における生と死』ジャン・ラプランシュ著、十川幸司/堀川聡司/佐藤朋子訳、金剛出版、2018年12月、本体4,800円、A5判上製300頁、ISBN978-4-7724-1666-5
『ヴァーチャル社会の〈哲学〉――ビットコイン・VR・ポストトゥルース』大黒岳彦著、青土社、2018年12月、本体3,600円、四六判上製383+50頁、ISBN978-4-7917-7126-4
★『社会的なものを組み直す』は『Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory』(Oxford University Press, 2005)の全訳。訳出にあたり、いくつかの誤記と誤植が訂正された2007年のペーパーバック版と、2006年の仏語版を参照したとのことです。目次詳細は書名のリンク先に掲出されています。
★アクターネットワーク理論(ANT: actor-network-theory)というのは、訳者あとがきの言葉を借りると「「自然」も「社会」も前提にせず、エージェンシー(行為を生み出す力)をもたらす万物の連関を「アクター自身にしたがって」丹念にたどろうとする」もの。ラトゥールは序章でこう書いています。「本書では、社会的という概念をその原義に立ち帰って定義し直し、社会科学者には思いもよらなかった諸要素の結びつきをたどり直せるようにしたい」(8頁)。「社会学を、「社会的なものの科学」と定義するのではなく、つながりをたどることと定義し直すことで、社会科学の本来の直観に忠実であり続けることができる」(15頁)。ラトゥールはこうも書いています。「以前は、アクター-ネットワーク-理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン-リゾーム存在論〔actant-rhizome ontology〕」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかった」(23頁)。「アクター-ネットワークという表現における「アクター」とは、行為の源ではなく、無数の事物が群がってくる動的な標的である」(88頁)。
★「本書は、諸々の社会的な結びつきを組み直すためにANTをどう活用すればよいのかを扱うものであり、以下の三部で構成される。各部は、社会的なものの社会学が一緒くたにしてきた社会学の三つの務めに対応しており、もはや一緒くたにすることは正当化されない。つまり、/・社会的なものをあらかじめ特定の領域に限定してしまうことなく、つながりをめぐる数々の論争をどのように展開させるのか。/・そうした数々の論争をアクターが安定化できるようにする手段をどのように記録するのか。/・どのような手続きであれば、社会でなく集合体のかたちで社会的なものを組み直せるのか」(36~37頁)。「いくつかの点で、本書は旅行ガイドに似ている。本書で案内されるのは、まったくありふれた地域である――私たちが見慣れている社会的世界そのものである――と同時に、まったく見慣れない地域である――いちいちゆっくりと進むやり方を学ばなければならなくなる」(38頁)。
★「紙に何かを記録するという単純な行為は、それだけで途方もない変換を起こしており、その行為には、風景を描いたり、複雑な生化学反応を起こしたりするのと同じくらいの力量が求められ、まったく同じ巧みさが求められる。研究者たる者は、ひたすら記述することを屈辱に感じるべきではない。それどころか、ひたすら記述することは、類い稀なるこの上ない偉業である」(258頁)。本書のインパクトは欧米でそうだったように、日本でもおそらく今後書評や参考文献などのかたちで人文社会書にとどまらず様々な分野で隠然と現れていくことになるのではないかと思います。
★『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』は『Musikalische Schriften II: Quasi una fantasia』(Suhrkamp, 1963)の訳書です。生前に刊行された『音楽著作集』2巻本のうちの第2巻です。第1巻『響きの形象』1959年は未訳。第2巻『幻想曲風に』は「ベートーヴェンからシュトックハウゼンに至るまでを哲学/社会学理論と縦横無尽に絡めながら論じ〔…〕まさにアドルノの音楽哲学の核心部分に位置すると言える」と訳者あとがきにあります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の岡田さんは「本書の翻訳を通して私が何より魅了されたのは、〔…〕アドルノのエッセイスト的な才知である」とお書きになっています。
★アドルノは巻頭の「音楽と言語についての断章」でこう書きます。「音楽は意味言語とはまったく別のタイプの言語である。この言語の中には何か神学的なものが潜んでいる。それが語るものは、輝きつつ現象するものとして定義されると同時に、まさにそれ故に隠されている。その理念は神の名という形をしている。それは現実世界に影響を及ぼす魔術から解放された、脱神話化された祈りであって、どれほど虚しいことであろうとも意味伝達ではなく名そのものを目指そうとする、極めて人間的な試みなのである」(3頁)。「意味言語は媒介を経た形で絶対者を語ろうとするが、絶対者は個々のあらゆる意図において言語の手をすり抜けていき、あらゆる意図を有限なものとして背後に置き去りにする。音楽は絶対者を媒介なしに言い当てるが、しかしまさにその瞬間に、まるで強すぎる光が目を眩ませ、十分に目に見えることすらもはや見えなくしてしまうのと同じく、絶対者は暗闇の中に消えていく。/究極のところ音楽は、意味言語と同じ難破した言語として、不可能なものを手元に持ち帰るべく、無限の媒介という彷徨を運命づけられている」(6頁)。
★アドルノは1969年に死去。その後原書では1978年に、アドルノ全集第16巻で第3巻までを合本して刊行(アドルノの当初の構想では全3巻だったそうです)。さらに全集第17巻が『楽興の時』(三光長治/川村二郎訳、白水社、1969/1979/1994年)を含む『音楽著作集』第4巻として1978年に、続いて1984年に全集第18巻と第19巻がそれぞれ第5巻と第6巻として出版されています。アドルノの音楽論は今後も翻訳されていくでしょうか。期待したいところです。
★『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』は全12巻中の第3回配本。帯文に曰く「創世神話の翻案と変奏。世界創成の物語を語り直す。正典の何を増幅し、また何に触れずに済ませたか。秘儀の伝授のために」。目次を以下に転記しておきます。
創世記アポクリュフォン|守屋彰夫訳
エノシュの祈り|上村静訳
洪水に基づく説諭|上村静訳
物語と詩的作品|上村静訳
ラヘルとヨセフに関するテキスト|上村静訳
ヤコブの遺訓(?)|上村静訳
ユダの遺訓|上村静訳
レビの遺訓|守屋彰夫訳
ナフタリ|上村静訳
ヨセフの遺訓|上村静訳
族長たちについて|上村静訳
ケハトの遺訓|守屋彰夫訳
アムラムの幻|守屋彰夫訳
モーセの言葉|上村静訳
創世記―出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
五書アポクリュフォン|上村静訳
出エジプトについての講話/征服伝承|上村静訳
ナラティヴ|上村静訳
★「ナラティヴ」末尾の「ヤコブの光」テキスト全文は次の通りです。「[…][…]ヤコブの光[…][…]異民族たちはイスラエルに[…]彼らは言うだろう、「どこに[…]」」。ヤコブの光とは、直訳では「ヤコブのための光」ないし「ヤコブにとっての光」とのことです。「これは、聖書にもそれ以外のユダヤ教文献からも知られていない」と解説されています。
★『精神分析における生と死』は『Vie et mort en psychanalyse』(Flammarion, 1970)の全訳。目次は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の十川幸司さんは訳者解題で本書を次のように評価されています。「ジャック・ラカンの『エクリ』刊行の四年後に出版された本書は、ラカンとは別の「フロイトへの回帰」を提唱したジャン・ラプランシュ〔Jean Laplanche, 1924-2012〕の始まりの書物である。本書の主題は、フロイトの読解である。ラカンが、独自の切り口でフロイトのテクストを斬新に読み換えていくのに対し、ラプランシュはフロイトのコーパスの内部に留まり、テクスト相互の矛盾点や絡み合った問題群を解きほぐして、フロイト理論の更新を試みる。およそあらゆる始まりの書物がそうであるように、この書物のなかにはラプランシュのその後の思想的展開がすべて散りばめられている。本書のもとになった連続講演は、68年にケベックで行われたもの」(241頁)。
★ラプランシュは序論でこう述べます。「生命が人間の水準で象徴化される際に〈別のものになること〉を、私たちは三つの動きのなかに追っていく。すなわち、セクシュアリティの問題群、自我の問題群、死の欲動の問題群を準に検討することになるだろう」(19頁)。再び十川さんの解説に帰ると、「本書はラプランシュの代表作であると同時に、彼の最も可能性を秘めた著作である。この書物の最大の魅力のひとつは〔…〕ラカンが、言語、他者といった概念で、フロイトを超越論的に読み替えたのに対し、ラプランシュは、本書で生命、動きといった観点から、フロイトを内在的に解読した点にある」(266頁)。十川さんは本書の通奏低音を「ラプランシュ独自の欲動論」だとし、「私たちの生を規定しているのが欲動であり、欲動のありかたを言葉によってどのように変えることができるかということが精神分析臨床の課題であるとすれば、欲動論は精神分析理論の中心に位置する問題なのである」(265頁)と述べておられます。
★『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』は2017年から2018年にかけて「現代思想」誌などに発表してきた論考5本に書き下ろしとなる2本を加え、序論である書き下ろしの「はじめに」を添えて一冊としたもの。目次は書名のリンク先をご覧ください。書き下ろしとなる第二章「「モード」の終焉と記号の変容」と第六章「VR革命とリアリティの〈展相〉」は学会での講演や大学での講義がもとになっているとのことです。「本書は、2010年代に入ってから猛烈な勢いで自己組織化を遂げつつある情報社会の問題構造を体系的に炙り出す試みである。〔…〕本書が事とするのは、文化現象の表層的な考察ではない。本書の目的は、飽くまでも、情報社会の表面には現れない不可視の“深層”構造を、問題系すなわち、或る地平を共有する問題群のネットワーク、として泛(う)かび上がらせることにある」(3頁)。巻末の後記では本書は『情報社会の〈哲学〉――グーグル・ビッグデータ・人工知能』(勁草書房、2016年)の続編という位置づけです。
★特に業界人として気になるのは第一章「アマゾン・ロジスティックス革命と「物流」の終焉」(初出:「現代思想」2018年3月号特集「物流スタディーズ」)でしょうか。「第一章ではAmazon社が仕掛ける「ロジスティックス革命」の本義を尋ねる。Amazonが社是として掲げる「顧客第一主義」とは、単なるサービスポリシーや顧客に対するポーズではない。それは、これまでの〈生産〉が主導する「物流」概念を解体し、〈情報〉が主導する〈兵站体制〔ロジスティックス〕〉の編制によって商品経済そのものを〈流通〉を軸として再編する遠大な企図の指針なのである。それは「商品」というモノの存在性格をすら変えてゆかざるを得ない」(22~23頁)。「他ならぬアマゾンによって先導的に開拓されたこの〈流通〉の新たな地平」(28頁)をめぐる考察は、業界人にとっては生の条件として立ち現われざるをえません。
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★続いて注目の文庫新刊を列記します。
『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社ライブラリー、2019年1月、本体2,400円、B6変判並製640頁、ISBN978-4-582-76877-0
『テアイテトス』プラトン著、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫、2019年1月、本体1,120円、495頁、ISBN:978-4-334-75393-1
『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』J・L・オースティン著、飯野勝己訳、講談社学術文庫、2019年1月、本体1,180円、312頁、ISBN978-4-06-514313-1
『老子 全訳注』池田知久訳注、講談社学術文庫、2019年1月、本体960円、240頁、ISBN978-4-06-513159-6
『一日一文――英知のことば』木田元編、岩波文庫(別冊24)、2018年12月、本体1,100円、416頁、ISBN978-4-00-350027-9
『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』平田篤胤著、今井秀和訳解説、角川ソフィア文庫、2018年12月、本体880円、256頁、ISBN978-4-04-400426-2
『異端の統計学 ベイズ』シャロン・バーチュ・マグレイン著、冨永星訳、草思社文庫、2018年12月、本体1,600円、656頁、ISBN978-4-7942-2364-7
★『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』は「精選」シリーズ全7巻の第2回配本。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。親本である『中世思想原典集成』の第4巻「初期ラテン教父」と第5巻「後期ラテン教父」から13作品が収録されています。巻頭の佐藤直子さんによる解説と、各収録先の解題、そして岡田温司さんによる巻末エッセイ「初期キリスト教時代はなぜかくも面白いのか」が新たに加えられています。岡田さんはこう記しておられます。「わたしにとって初期キリスト教時代が面白いのは、そこに異質なもの――とりわけ異教的なものや後に異端とされるもの――がさまざまなかたちで流れ込んでいて、混沌としてはいるものの一段と豊かな様相を呈しているように思われるからである」(613頁)。
★『テアイテトス』は古典新訳文庫のプラトン新訳本で5点目となる一冊。文庫で読める既訳には田中美知太郎訳(岩波文庫、1966年/改版2014年)があります。もう一点は今回の古典新訳文庫版の訳者である渡辺邦夫さんが2004年に上梓したちくま学芸文庫版。それを大幅改訂したのが今回の新刊です。「解説」は実に100頁以上あります(350~479頁)。この対話篇のテーマは「知識」すなわちエピステーメーです。それは「組織的理解を重んじるものであり、善と諸価値への積極的荷担を含むものであるという二つの特色を持ちます。〔…プラトンは〕事柄が要求するような説明ができる程度に深い「理解」こそ、「エピステーメー」という知識である考えました」と解説にあります。つまり単に見聞きして知っているかどうかというレベルではないわけです。学ぶこと、そして知恵(ソフィア)ある者になることの大切さは現代人にとっても相変わらず重要です。あらためてプラトンの偉大さを思います。
★『言語と行為』は文庫オリジナルの新訳。原書は『How to Do Things with Words: The William James Lectures delivered at Harvard University in 1955』(Harvard University Press, 1962)です。副題にある通り、イギリスの言語哲学者オースティン(John Langshaw Austin, 1911-1960)が1955年に行なったハーヴァード大学のウィリアム・ジェイムズ講義の原稿をいわば再現的にまとめたもの。再現的にというのは死後刊行であるために、講義原稿において断片的な箇所をオースティン自身の覚書や受講者のノート、関連する別の講義の音声記録などを比較参照して編者のJ・O・アームソン(James Opie Urmson, 1915-2012)が補ったためです。著者自身による決定稿ではないものの、主著として高名です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「若干の誤記修正と変更・加筆が施された第二版(1975年)が刊行された。これがいまのところの最新版である。こちらも合わせて参照し、あきらかな誤記・誤字修正のたぐいは特に断りなく採り入れるとともに、変更や加筆については訳注で言及・引用した」とのことです。先行訳(初訳)に、ロングセラーとなっている坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)があります。聴講者の一人だったカヴェル(Stanley Cavell, 1926-2018)の自伝(2010年)によると当初100人いた聴講生は最後は5人以下になったようですが、こんにちにいたる本書の影響力を考えると目撃証人の少なさに驚きます。
★ちなみに坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)は2014年9月に16刷に達しています。底本情報について訳者あとがきの説明を引用しておきます。「翻訳書は、第一版を底本として企てられたものであったが、訳業途中にして、マリナ・スビサ博士の協力を得たアームソンによる第二版が刊行された。第二版は同博士の努力によってオースティンの原ノートとの対照の結果第一版よりも読みやすく、かつ、理解しやすいものとなっており、また、以前は未収録であった欄外書き込みが必要に応じて付録に追加されているが、論点に重大にかかわる修正はほとんどない。さらに、今まで言語行為がもっぱら1960年刊行の第一版に基づいて展開されているという現状を考え併せ底本は一応第一版のままとし、第二版における改良、追加箇所の中、主要なものは訳者注の形式をとって指摘することとした。この結果、読者は、第一版の構成に従いつつ、第二版の内容をも同時に知り得ることになった」(360~361頁)。
★『老子 全訳注』は巻末の特記によれば、講談社学術文庫より「2017年3月に刊行された『老子――その思想を読み尽くす』の巻末に収録された「『老子』 原文・読み下し・現代語訳」をもとに新たに【解説】を付したもの」とのこと。解説というのは『老子』全体に対するものではなく、各章に付された書き下ろしの説明文です。章ごとに現代語訳、読み下し、原文、解説、という構成になっています。親本刊行から1年も経っていませんが、訳者がご高齢であることを鑑みると、版元としても実現したかった企画なのでしょう。新たに付された「後書き」によれば、「「現代語訳」と【読み下し】については多少の修正を加える以外はほぼそのまま前著を活かすこととし、【原文】については異体字・仮借字などの表記方法を変更したために、やや大きな修正を施すこととなった。ただし【原文】の実際の内容には前著と本書の間で何の変更もない」とあります。
★『一日一文』は2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。巻頭の「例言」によれば「典拠のうち、岩波文庫で読めるものは一部差し替えてある」とのことです。書名から分かる通り、366日分の名言が選ばれています。その日に生まれたり死んだりした先哲たちの言葉です。二色刷で美しく印刷されています。先哲たちの略歴と写真も掲出されているので、自分の誕生日に縁のある人が誰なのかを知る楽しみもあります。
★『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』は文庫オリジナル。昨年大増刷した岩波文庫版『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は2000年に発売され、その後2011年秋に「一括重版」枠で再刊されてから(この時点では5刷)しばらく動きのなかったところへ2018年2月以降に大増刷。校注を担当した子安宣邦さんへのインタヴュー「謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?――岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり」によれば4月末現在で一気に9刷まで延ばし、8700部の増刷をしたことになっています。その後、店頭に置いてある当該書目の刷数を確認したことはないのですが、読売新聞2018年7月24日付記事「「異界」描いた岩波文庫、ベストセラーの「怪」」では「ツイッターの書き込みをきっかけにして、今年2月、約6年ぶりに“復刊”したところ、ブレイク。3か月の間に約1万2000部を増刷し、現在10刷、累計3万部に達している」と報じられていました。
★この岩波文庫版はなにせ古文のままなので決して読みやすくはないのですが、その後、八幡書店の現代語訳(山本博校訂訳、1993年)が廉価版として再刊されしました。今回の角川ソフィア文庫の新刊は、文庫版としては抄訳ながら初めての現代語訳です。帯文には「Twitterで話題の奇書、唯一の現代語訳文庫」と手書きの文字で書かれています。岩波文庫版の帯も重版では手書きのものだったので、前例に倣ったのでしょうか。書店員さんのPOPのような温かみがあります。岩波文庫版を読みこなせなかった読者でも、今回の現代語訳版なら親しみやすいだろうと思います。異界を旅した少年「寅吉」は篤胤の質問に対してすべて答えるというよりは、知らないことは知らないと答えるので、その辺が巧みです。内容的には幻想と説話的教訓が入り混じった味わいがあります。篤胤が色んなことを根掘り葉掘り聞いてくれたおかげで現代人も寅吉の話を楽しむことができるわけです。
★『異端の統計学 ベイズ』は2013年に草思社より刊行された単行本の文庫化。原書は『The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy』です。18世紀イギリスの統計学者で長老派の牧師トーマス・ベイズ(Thomas Bayes, 1702-1761)の業績への評価をめぐる歴史的変遷を丁寧に紹介しています。「ベイズの法則は、一見ごく単純な定理である。曰く、「何かに関する最初の考えを新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なるより質の高い意見が得られる」。この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに表現したものなのだ」(13頁)。
★「ベイズの法則は、決して科学の歴史に埋もれた地味な論戦の種ではなく、我々すべてに影響を及ぼしている。それは、実生活の広い範囲――絶対的な真実とまったくの不確かさに挟まれた灰色の領域――で推論を行うための論理なのだ。知りたいことに関する情報はほんの少ししか手に入らないことが多く、それでもわたしたちは、過去の経験に基づいて何らかの予想を立てたいと思う。そして新たな情報が手に入れば、それに基づいてそれまでの考えを修正する。長い間激しい嘲りの的だったベイズ統計が、ついに身の回りの世界について合理的に考える手段を提供するようになったのだ。/ではこれから、この驚くべき変化がどのようにして起きたのか、その顛末を見ていこう」(18頁)。目次詳細はアマゾンの単品頁に掲出されています。
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★最後にここ最近の注目雑誌を3点。
『ニューQ Issue01 新しい問い号』セオ商事、2018年12月、本体1,500円、B5判並製100頁、ISBN978-4-9910610-0-4
『アレ Vol.5 特集:Workを捉えなおす』アレ★Club、2018年11月、本体1,380円、A5判並製256頁、ISDN278-4-572741-05-6
『午前四時のブルー Ⅱ 夜、その明るさ』小林康夫責任編集、水声社、2019年1月、本体1,500円、A5判並製120頁、ISBN978-4-8010-0243-2
★『ニューQ』はセオ商事が創刊した新雑誌。「創刊によせて」の言葉を借りると「新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン」で「答えより問いの方が面白いでしょ?」と問いかけています。巻頭特集は、小説家の平野啓一郎さんへのインタビュー「物語で問うということ」です。4コママンガやSF作品もあります。従来の哲学系雑誌に比べると写真やイラストなどヴィジュアルの要素がふんだんで、誌面に明るさを感じます。目次詳細は版元さんの2018年12月20日付のブログ記事「哲学カルチャーマガジン「ニューQ」を創刊しました。本日より全国書店にて順次発売!」にてご確認いただけます。セオ商事さんは「「企画とエンジニアリングの総合商社」をテーマに企画、UI設計、デザイン、開発を通して様々なモノ作りのお手伝いを」しているという会社。「企業のブランディングキャンペーンやプロダクトのUI/UX設計、モバイルアプリからデジタルデバイスの開発まで幅広くご依頼を承っております」とのことです。次号は今春刊行予定の「エレガンス号」だそうです。
★出版社ではない会社が紙媒体を出版したりする例のほかにも、青山ブックセンターが今年出版社を立ち上げる予定だとかいう話を耳にします。出版社だけが紙媒体を作る時代はとうに終わってはいましたが、今後はいよいよ様々な新規参入者が増えていく予感がします。一方で物流や小売の現場は疲弊しており、紙媒体の現物と出会える場はこれからも減っていく可能性があります。終わりと始まりが常に重なっているのが「現在」の姿なのでしょう。
★『アレ』はアレ★clubが発行する「ジャンル不定カルチャー誌」。最新号となる第5号の特集は「Workを捉えなおす」と題されています。昨年11月25日に開催された第27回「文学フリマ東京」で初売りされ、現在では大阪、京都、東京、静岡、愛知、福岡、静岡などの複数の書店で展開中。目次詳細はこちらでご確認いただけます。アラン・バディウと小泉義之さんからの特別寄稿は特筆すべきかと思われます。バディウ「新石器時代、資本主義、共産主義」(小泉義之訳、18~20頁)と、小泉さんの「最後のダーク・ツーリズム――『少女終末旅行』を読む」(6~16頁)です。いずれも著者自身の申し出による寄稿というのがすごいところ。バディウにオリジナル原稿を寄せてもらった雑誌というのは日本で恐らく初めてではないでしょうか。このバディウの論考は長くはありませんが非常に力強いもので、バディウ自身による「共産主義者宣言」とも言うべき内容となっています。必読です。ちなみにバディウと小泉さんは2018年5月に発行された第4号にも寄稿されています。
★ちなみに『アレ』誌の表紙表4に付されているISDNコードというのは、International Standard Dojin Numbering(国際標準同人誌番号)のこと。ちなみに一部出版社のスリップに記載されていた10桁のBBBNというのも業界にはあって、こちらは「元々ISBNが10桁だったものが、13桁にコード体系を移行したときに、受発注の処理の関係で10桁のままの番号が必要な会社達が、移行措置として当面の間残したモノです。/十数社はいるようです。/BBBNには意味はありません。ISBNと入れると、OCRで不都合が生じるので、意味のない文字列の組み合わせにしたとのことです」とこちらのサイトに寄せられたコメントのひとつにあります。
★『午前四時のブルー』は昨春創刊された、哲学者の小林康夫さんが責任編集をつとめる雑誌。目次は誌名のリンク先をご覧ください。創刊記念で昨年6月に神楽坂モノガタリで開催された小林さんと國分功一郎さんとの対談イベントの抄録「モノガタリの夜――信じること・愛すること」のほか、國分さんの『中動態の世界』に続く新著への予告ともなるエッセイ「哲学とあの世――ソクラテス、プラトン、死」などが掲載されています。ちなみに國分さんが昨年9月に東大で行われたシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」で行った基調講演「中動態/意志/責任をめぐって」が、斎藤環さんの講演「臨床で使える中動態」とともに『精神看護 2019年 1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界』(医学書院、2018年12月)に掲載されています。併せて読んでおきたいです。
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『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』Th・W・アドルノ著、岡田暁生/藤井俊之訳、法政大学出版局、2018年12月、本体4,000円、四六判上製470頁、ISBN978-4-588-01088-0
『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』守屋彰夫/上村静訳、ぷねうま舎、2018年12月、本体5,300円、A5判上製364頁、ISBN978-4-906791-87-3
『精神分析における生と死』ジャン・ラプランシュ著、十川幸司/堀川聡司/佐藤朋子訳、金剛出版、2018年12月、本体4,800円、A5判上製300頁、ISBN978-4-7724-1666-5
『ヴァーチャル社会の〈哲学〉――ビットコイン・VR・ポストトゥルース』大黒岳彦著、青土社、2018年12月、本体3,600円、四六判上製383+50頁、ISBN978-4-7917-7126-4
★『社会的なものを組み直す』は『Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory』(Oxford University Press, 2005)の全訳。訳出にあたり、いくつかの誤記と誤植が訂正された2007年のペーパーバック版と、2006年の仏語版を参照したとのことです。目次詳細は書名のリンク先に掲出されています。
★アクターネットワーク理論(ANT: actor-network-theory)というのは、訳者あとがきの言葉を借りると「「自然」も「社会」も前提にせず、エージェンシー(行為を生み出す力)をもたらす万物の連関を「アクター自身にしたがって」丹念にたどろうとする」もの。ラトゥールは序章でこう書いています。「本書では、社会的という概念をその原義に立ち帰って定義し直し、社会科学者には思いもよらなかった諸要素の結びつきをたどり直せるようにしたい」(8頁)。「社会学を、「社会的なものの科学」と定義するのではなく、つながりをたどることと定義し直すことで、社会科学の本来の直観に忠実であり続けることができる」(15頁)。ラトゥールはこうも書いています。「以前は、アクター-ネットワーク-理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン-リゾーム存在論〔actant-rhizome ontology〕」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかった」(23頁)。「アクター-ネットワークという表現における「アクター」とは、行為の源ではなく、無数の事物が群がってくる動的な標的である」(88頁)。
★「本書は、諸々の社会的な結びつきを組み直すためにANTをどう活用すればよいのかを扱うものであり、以下の三部で構成される。各部は、社会的なものの社会学が一緒くたにしてきた社会学の三つの務めに対応しており、もはや一緒くたにすることは正当化されない。つまり、/・社会的なものをあらかじめ特定の領域に限定してしまうことなく、つながりをめぐる数々の論争をどのように展開させるのか。/・そうした数々の論争をアクターが安定化できるようにする手段をどのように記録するのか。/・どのような手続きであれば、社会でなく集合体のかたちで社会的なものを組み直せるのか」(36~37頁)。「いくつかの点で、本書は旅行ガイドに似ている。本書で案内されるのは、まったくありふれた地域である――私たちが見慣れている社会的世界そのものである――と同時に、まったく見慣れない地域である――いちいちゆっくりと進むやり方を学ばなければならなくなる」(38頁)。
★「紙に何かを記録するという単純な行為は、それだけで途方もない変換を起こしており、その行為には、風景を描いたり、複雑な生化学反応を起こしたりするのと同じくらいの力量が求められ、まったく同じ巧みさが求められる。研究者たる者は、ひたすら記述することを屈辱に感じるべきではない。それどころか、ひたすら記述することは、類い稀なるこの上ない偉業である」(258頁)。本書のインパクトは欧米でそうだったように、日本でもおそらく今後書評や参考文献などのかたちで人文社会書にとどまらず様々な分野で隠然と現れていくことになるのではないかと思います。
★『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』は『Musikalische Schriften II: Quasi una fantasia』(Suhrkamp, 1963)の訳書です。生前に刊行された『音楽著作集』2巻本のうちの第2巻です。第1巻『響きの形象』1959年は未訳。第2巻『幻想曲風に』は「ベートーヴェンからシュトックハウゼンに至るまでを哲学/社会学理論と縦横無尽に絡めながら論じ〔…〕まさにアドルノの音楽哲学の核心部分に位置すると言える」と訳者あとがきにあります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の岡田さんは「本書の翻訳を通して私が何より魅了されたのは、〔…〕アドルノのエッセイスト的な才知である」とお書きになっています。
★アドルノは巻頭の「音楽と言語についての断章」でこう書きます。「音楽は意味言語とはまったく別のタイプの言語である。この言語の中には何か神学的なものが潜んでいる。それが語るものは、輝きつつ現象するものとして定義されると同時に、まさにそれ故に隠されている。その理念は神の名という形をしている。それは現実世界に影響を及ぼす魔術から解放された、脱神話化された祈りであって、どれほど虚しいことであろうとも意味伝達ではなく名そのものを目指そうとする、極めて人間的な試みなのである」(3頁)。「意味言語は媒介を経た形で絶対者を語ろうとするが、絶対者は個々のあらゆる意図において言語の手をすり抜けていき、あらゆる意図を有限なものとして背後に置き去りにする。音楽は絶対者を媒介なしに言い当てるが、しかしまさにその瞬間に、まるで強すぎる光が目を眩ませ、十分に目に見えることすらもはや見えなくしてしまうのと同じく、絶対者は暗闇の中に消えていく。/究極のところ音楽は、意味言語と同じ難破した言語として、不可能なものを手元に持ち帰るべく、無限の媒介という彷徨を運命づけられている」(6頁)。
★アドルノは1969年に死去。その後原書では1978年に、アドルノ全集第16巻で第3巻までを合本して刊行(アドルノの当初の構想では全3巻だったそうです)。さらに全集第17巻が『楽興の時』(三光長治/川村二郎訳、白水社、1969/1979/1994年)を含む『音楽著作集』第4巻として1978年に、続いて1984年に全集第18巻と第19巻がそれぞれ第5巻と第6巻として出版されています。アドルノの音楽論は今後も翻訳されていくでしょうか。期待したいところです。
★『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』は全12巻中の第3回配本。帯文に曰く「創世神話の翻案と変奏。世界創成の物語を語り直す。正典の何を増幅し、また何に触れずに済ませたか。秘儀の伝授のために」。目次を以下に転記しておきます。
創世記アポクリュフォン|守屋彰夫訳
エノシュの祈り|上村静訳
洪水に基づく説諭|上村静訳
物語と詩的作品|上村静訳
ラヘルとヨセフに関するテキスト|上村静訳
ヤコブの遺訓(?)|上村静訳
ユダの遺訓|上村静訳
レビの遺訓|守屋彰夫訳
ナフタリ|上村静訳
ヨセフの遺訓|上村静訳
族長たちについて|上村静訳
ケハトの遺訓|守屋彰夫訳
アムラムの幻|守屋彰夫訳
モーセの言葉|上村静訳
創世記―出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
五書アポクリュフォン|上村静訳
出エジプトについての講話/征服伝承|上村静訳
ナラティヴ|上村静訳
★「ナラティヴ」末尾の「ヤコブの光」テキスト全文は次の通りです。「[…][…]ヤコブの光[…][…]異民族たちはイスラエルに[…]彼らは言うだろう、「どこに[…]」」。ヤコブの光とは、直訳では「ヤコブのための光」ないし「ヤコブにとっての光」とのことです。「これは、聖書にもそれ以外のユダヤ教文献からも知られていない」と解説されています。
★『精神分析における生と死』は『Vie et mort en psychanalyse』(Flammarion, 1970)の全訳。目次は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の十川幸司さんは訳者解題で本書を次のように評価されています。「ジャック・ラカンの『エクリ』刊行の四年後に出版された本書は、ラカンとは別の「フロイトへの回帰」を提唱したジャン・ラプランシュ〔Jean Laplanche, 1924-2012〕の始まりの書物である。本書の主題は、フロイトの読解である。ラカンが、独自の切り口でフロイトのテクストを斬新に読み換えていくのに対し、ラプランシュはフロイトのコーパスの内部に留まり、テクスト相互の矛盾点や絡み合った問題群を解きほぐして、フロイト理論の更新を試みる。およそあらゆる始まりの書物がそうであるように、この書物のなかにはラプランシュのその後の思想的展開がすべて散りばめられている。本書のもとになった連続講演は、68年にケベックで行われたもの」(241頁)。
★ラプランシュは序論でこう述べます。「生命が人間の水準で象徴化される際に〈別のものになること〉を、私たちは三つの動きのなかに追っていく。すなわち、セクシュアリティの問題群、自我の問題群、死の欲動の問題群を準に検討することになるだろう」(19頁)。再び十川さんの解説に帰ると、「本書はラプランシュの代表作であると同時に、彼の最も可能性を秘めた著作である。この書物の最大の魅力のひとつは〔…〕ラカンが、言語、他者といった概念で、フロイトを超越論的に読み替えたのに対し、ラプランシュは、本書で生命、動きといった観点から、フロイトを内在的に解読した点にある」(266頁)。十川さんは本書の通奏低音を「ラプランシュ独自の欲動論」だとし、「私たちの生を規定しているのが欲動であり、欲動のありかたを言葉によってどのように変えることができるかということが精神分析臨床の課題であるとすれば、欲動論は精神分析理論の中心に位置する問題なのである」(265頁)と述べておられます。
★『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』は2017年から2018年にかけて「現代思想」誌などに発表してきた論考5本に書き下ろしとなる2本を加え、序論である書き下ろしの「はじめに」を添えて一冊としたもの。目次は書名のリンク先をご覧ください。書き下ろしとなる第二章「「モード」の終焉と記号の変容」と第六章「VR革命とリアリティの〈展相〉」は学会での講演や大学での講義がもとになっているとのことです。「本書は、2010年代に入ってから猛烈な勢いで自己組織化を遂げつつある情報社会の問題構造を体系的に炙り出す試みである。〔…〕本書が事とするのは、文化現象の表層的な考察ではない。本書の目的は、飽くまでも、情報社会の表面には現れない不可視の“深層”構造を、問題系すなわち、或る地平を共有する問題群のネットワーク、として泛(う)かび上がらせることにある」(3頁)。巻末の後記では本書は『情報社会の〈哲学〉――グーグル・ビッグデータ・人工知能』(勁草書房、2016年)の続編という位置づけです。
★特に業界人として気になるのは第一章「アマゾン・ロジスティックス革命と「物流」の終焉」(初出:「現代思想」2018年3月号特集「物流スタディーズ」)でしょうか。「第一章ではAmazon社が仕掛ける「ロジスティックス革命」の本義を尋ねる。Amazonが社是として掲げる「顧客第一主義」とは、単なるサービスポリシーや顧客に対するポーズではない。それは、これまでの〈生産〉が主導する「物流」概念を解体し、〈情報〉が主導する〈兵站体制〔ロジスティックス〕〉の編制によって商品経済そのものを〈流通〉を軸として再編する遠大な企図の指針なのである。それは「商品」というモノの存在性格をすら変えてゆかざるを得ない」(22~23頁)。「他ならぬアマゾンによって先導的に開拓されたこの〈流通〉の新たな地平」(28頁)をめぐる考察は、業界人にとっては生の条件として立ち現われざるをえません。
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★続いて注目の文庫新刊を列記します。
『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社ライブラリー、2019年1月、本体2,400円、B6変判並製640頁、ISBN978-4-582-76877-0
『テアイテトス』プラトン著、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫、2019年1月、本体1,120円、495頁、ISBN:978-4-334-75393-1
『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』J・L・オースティン著、飯野勝己訳、講談社学術文庫、2019年1月、本体1,180円、312頁、ISBN978-4-06-514313-1
『老子 全訳注』池田知久訳注、講談社学術文庫、2019年1月、本体960円、240頁、ISBN978-4-06-513159-6
『一日一文――英知のことば』木田元編、岩波文庫(別冊24)、2018年12月、本体1,100円、416頁、ISBN978-4-00-350027-9
『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』平田篤胤著、今井秀和訳解説、角川ソフィア文庫、2018年12月、本体880円、256頁、ISBN978-4-04-400426-2
『異端の統計学 ベイズ』シャロン・バーチュ・マグレイン著、冨永星訳、草思社文庫、2018年12月、本体1,600円、656頁、ISBN978-4-7942-2364-7
★『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』は「精選」シリーズ全7巻の第2回配本。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。親本である『中世思想原典集成』の第4巻「初期ラテン教父」と第5巻「後期ラテン教父」から13作品が収録されています。巻頭の佐藤直子さんによる解説と、各収録先の解題、そして岡田温司さんによる巻末エッセイ「初期キリスト教時代はなぜかくも面白いのか」が新たに加えられています。岡田さんはこう記しておられます。「わたしにとって初期キリスト教時代が面白いのは、そこに異質なもの――とりわけ異教的なものや後に異端とされるもの――がさまざまなかたちで流れ込んでいて、混沌としてはいるものの一段と豊かな様相を呈しているように思われるからである」(613頁)。
★『テアイテトス』は古典新訳文庫のプラトン新訳本で5点目となる一冊。文庫で読める既訳には田中美知太郎訳(岩波文庫、1966年/改版2014年)があります。もう一点は今回の古典新訳文庫版の訳者である渡辺邦夫さんが2004年に上梓したちくま学芸文庫版。それを大幅改訂したのが今回の新刊です。「解説」は実に100頁以上あります(350~479頁)。この対話篇のテーマは「知識」すなわちエピステーメーです。それは「組織的理解を重んじるものであり、善と諸価値への積極的荷担を含むものであるという二つの特色を持ちます。〔…プラトンは〕事柄が要求するような説明ができる程度に深い「理解」こそ、「エピステーメー」という知識である考えました」と解説にあります。つまり単に見聞きして知っているかどうかというレベルではないわけです。学ぶこと、そして知恵(ソフィア)ある者になることの大切さは現代人にとっても相変わらず重要です。あらためてプラトンの偉大さを思います。
★『言語と行為』は文庫オリジナルの新訳。原書は『How to Do Things with Words: The William James Lectures delivered at Harvard University in 1955』(Harvard University Press, 1962)です。副題にある通り、イギリスの言語哲学者オースティン(John Langshaw Austin, 1911-1960)が1955年に行なったハーヴァード大学のウィリアム・ジェイムズ講義の原稿をいわば再現的にまとめたもの。再現的にというのは死後刊行であるために、講義原稿において断片的な箇所をオースティン自身の覚書や受講者のノート、関連する別の講義の音声記録などを比較参照して編者のJ・O・アームソン(James Opie Urmson, 1915-2012)が補ったためです。著者自身による決定稿ではないものの、主著として高名です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「若干の誤記修正と変更・加筆が施された第二版(1975年)が刊行された。これがいまのところの最新版である。こちらも合わせて参照し、あきらかな誤記・誤字修正のたぐいは特に断りなく採り入れるとともに、変更や加筆については訳注で言及・引用した」とのことです。先行訳(初訳)に、ロングセラーとなっている坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)があります。聴講者の一人だったカヴェル(Stanley Cavell, 1926-2018)の自伝(2010年)によると当初100人いた聴講生は最後は5人以下になったようですが、こんにちにいたる本書の影響力を考えると目撃証人の少なさに驚きます。
★ちなみに坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)は2014年9月に16刷に達しています。底本情報について訳者あとがきの説明を引用しておきます。「翻訳書は、第一版を底本として企てられたものであったが、訳業途中にして、マリナ・スビサ博士の協力を得たアームソンによる第二版が刊行された。第二版は同博士の努力によってオースティンの原ノートとの対照の結果第一版よりも読みやすく、かつ、理解しやすいものとなっており、また、以前は未収録であった欄外書き込みが必要に応じて付録に追加されているが、論点に重大にかかわる修正はほとんどない。さらに、今まで言語行為がもっぱら1960年刊行の第一版に基づいて展開されているという現状を考え併せ底本は一応第一版のままとし、第二版における改良、追加箇所の中、主要なものは訳者注の形式をとって指摘することとした。この結果、読者は、第一版の構成に従いつつ、第二版の内容をも同時に知り得ることになった」(360~361頁)。
★『老子 全訳注』は巻末の特記によれば、講談社学術文庫より「2017年3月に刊行された『老子――その思想を読み尽くす』の巻末に収録された「『老子』 原文・読み下し・現代語訳」をもとに新たに【解説】を付したもの」とのこと。解説というのは『老子』全体に対するものではなく、各章に付された書き下ろしの説明文です。章ごとに現代語訳、読み下し、原文、解説、という構成になっています。親本刊行から1年も経っていませんが、訳者がご高齢であることを鑑みると、版元としても実現したかった企画なのでしょう。新たに付された「後書き」によれば、「「現代語訳」と【読み下し】については多少の修正を加える以外はほぼそのまま前著を活かすこととし、【原文】については異体字・仮借字などの表記方法を変更したために、やや大きな修正を施すこととなった。ただし【原文】の実際の内容には前著と本書の間で何の変更もない」とあります。
★『一日一文』は2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。巻頭の「例言」によれば「典拠のうち、岩波文庫で読めるものは一部差し替えてある」とのことです。書名から分かる通り、366日分の名言が選ばれています。その日に生まれたり死んだりした先哲たちの言葉です。二色刷で美しく印刷されています。先哲たちの略歴と写真も掲出されているので、自分の誕生日に縁のある人が誰なのかを知る楽しみもあります。
★『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』は文庫オリジナル。昨年大増刷した岩波文庫版『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は2000年に発売され、その後2011年秋に「一括重版」枠で再刊されてから(この時点では5刷)しばらく動きのなかったところへ2018年2月以降に大増刷。校注を担当した子安宣邦さんへのインタヴュー「謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?――岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり」によれば4月末現在で一気に9刷まで延ばし、8700部の増刷をしたことになっています。その後、店頭に置いてある当該書目の刷数を確認したことはないのですが、読売新聞2018年7月24日付記事「「異界」描いた岩波文庫、ベストセラーの「怪」」では「ツイッターの書き込みをきっかけにして、今年2月、約6年ぶりに“復刊”したところ、ブレイク。3か月の間に約1万2000部を増刷し、現在10刷、累計3万部に達している」と報じられていました。
★この岩波文庫版はなにせ古文のままなので決して読みやすくはないのですが、その後、八幡書店の現代語訳(山本博校訂訳、1993年)が廉価版として再刊されしました。今回の角川ソフィア文庫の新刊は、文庫版としては抄訳ながら初めての現代語訳です。帯文には「Twitterで話題の奇書、唯一の現代語訳文庫」と手書きの文字で書かれています。岩波文庫版の帯も重版では手書きのものだったので、前例に倣ったのでしょうか。書店員さんのPOPのような温かみがあります。岩波文庫版を読みこなせなかった読者でも、今回の現代語訳版なら親しみやすいだろうと思います。異界を旅した少年「寅吉」は篤胤の質問に対してすべて答えるというよりは、知らないことは知らないと答えるので、その辺が巧みです。内容的には幻想と説話的教訓が入り混じった味わいがあります。篤胤が色んなことを根掘り葉掘り聞いてくれたおかげで現代人も寅吉の話を楽しむことができるわけです。
★『異端の統計学 ベイズ』は2013年に草思社より刊行された単行本の文庫化。原書は『The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy』です。18世紀イギリスの統計学者で長老派の牧師トーマス・ベイズ(Thomas Bayes, 1702-1761)の業績への評価をめぐる歴史的変遷を丁寧に紹介しています。「ベイズの法則は、一見ごく単純な定理である。曰く、「何かに関する最初の考えを新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なるより質の高い意見が得られる」。この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに表現したものなのだ」(13頁)。
★「ベイズの法則は、決して科学の歴史に埋もれた地味な論戦の種ではなく、我々すべてに影響を及ぼしている。それは、実生活の広い範囲――絶対的な真実とまったくの不確かさに挟まれた灰色の領域――で推論を行うための論理なのだ。知りたいことに関する情報はほんの少ししか手に入らないことが多く、それでもわたしたちは、過去の経験に基づいて何らかの予想を立てたいと思う。そして新たな情報が手に入れば、それに基づいてそれまでの考えを修正する。長い間激しい嘲りの的だったベイズ統計が、ついに身の回りの世界について合理的に考える手段を提供するようになったのだ。/ではこれから、この驚くべき変化がどのようにして起きたのか、その顛末を見ていこう」(18頁)。目次詳細はアマゾンの単品頁に掲出されています。
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★最後にここ最近の注目雑誌を3点。
『ニューQ Issue01 新しい問い号』セオ商事、2018年12月、本体1,500円、B5判並製100頁、ISBN978-4-9910610-0-4
『アレ Vol.5 特集:Workを捉えなおす』アレ★Club、2018年11月、本体1,380円、A5判並製256頁、ISDN278-4-572741-05-6
『午前四時のブルー Ⅱ 夜、その明るさ』小林康夫責任編集、水声社、2019年1月、本体1,500円、A5判並製120頁、ISBN978-4-8010-0243-2
★『ニューQ』はセオ商事が創刊した新雑誌。「創刊によせて」の言葉を借りると「新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン」で「答えより問いの方が面白いでしょ?」と問いかけています。巻頭特集は、小説家の平野啓一郎さんへのインタビュー「物語で問うということ」です。4コママンガやSF作品もあります。従来の哲学系雑誌に比べると写真やイラストなどヴィジュアルの要素がふんだんで、誌面に明るさを感じます。目次詳細は版元さんの2018年12月20日付のブログ記事「哲学カルチャーマガジン「ニューQ」を創刊しました。本日より全国書店にて順次発売!」にてご確認いただけます。セオ商事さんは「「企画とエンジニアリングの総合商社」をテーマに企画、UI設計、デザイン、開発を通して様々なモノ作りのお手伝いを」しているという会社。「企業のブランディングキャンペーンやプロダクトのUI/UX設計、モバイルアプリからデジタルデバイスの開発まで幅広くご依頼を承っております」とのことです。次号は今春刊行予定の「エレガンス号」だそうです。
★出版社ではない会社が紙媒体を出版したりする例のほかにも、青山ブックセンターが今年出版社を立ち上げる予定だとかいう話を耳にします。出版社だけが紙媒体を作る時代はとうに終わってはいましたが、今後はいよいよ様々な新規参入者が増えていく予感がします。一方で物流や小売の現場は疲弊しており、紙媒体の現物と出会える場はこれからも減っていく可能性があります。終わりと始まりが常に重なっているのが「現在」の姿なのでしょう。
★『アレ』はアレ★clubが発行する「ジャンル不定カルチャー誌」。最新号となる第5号の特集は「Workを捉えなおす」と題されています。昨年11月25日に開催された第27回「文学フリマ東京」で初売りされ、現在では大阪、京都、東京、静岡、愛知、福岡、静岡などの複数の書店で展開中。目次詳細はこちらでご確認いただけます。アラン・バディウと小泉義之さんからの特別寄稿は特筆すべきかと思われます。バディウ「新石器時代、資本主義、共産主義」(小泉義之訳、18~20頁)と、小泉さんの「最後のダーク・ツーリズム――『少女終末旅行』を読む」(6~16頁)です。いずれも著者自身の申し出による寄稿というのがすごいところ。バディウにオリジナル原稿を寄せてもらった雑誌というのは日本で恐らく初めてではないでしょうか。このバディウの論考は長くはありませんが非常に力強いもので、バディウ自身による「共産主義者宣言」とも言うべき内容となっています。必読です。ちなみにバディウと小泉さんは2018年5月に発行された第4号にも寄稿されています。
★ちなみに『アレ』誌の表紙表4に付されているISDNコードというのは、International Standard Dojin Numbering(国際標準同人誌番号)のこと。ちなみに一部出版社のスリップに記載されていた10桁のBBBNというのも業界にはあって、こちらは「元々ISBNが10桁だったものが、13桁にコード体系を移行したときに、受発注の処理の関係で10桁のままの番号が必要な会社達が、移行措置として当面の間残したモノです。/十数社はいるようです。/BBBNには意味はありません。ISBNと入れると、OCRで不都合が生じるので、意味のない文字列の組み合わせにしたとのことです」とこちらのサイトに寄せられたコメントのひとつにあります。
★『午前四時のブルー』は昨春創刊された、哲学者の小林康夫さんが責任編集をつとめる雑誌。目次は誌名のリンク先をご覧ください。創刊記念で昨年6月に神楽坂モノガタリで開催された小林さんと國分功一郎さんとの対談イベントの抄録「モノガタリの夜――信じること・愛すること」のほか、國分さんの『中動態の世界』に続く新著への予告ともなるエッセイ「哲学とあの世――ソクラテス、プラトン、死」などが掲載されています。ちなみに國分さんが昨年9月に東大で行われたシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」で行った基調講演「中動態/意志/責任をめぐって」が、斎藤環さんの講演「臨床で使える中動態」とともに『精神看護 2019年 1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界』(医学書院、2018年12月)に掲載されています。併せて読んでおきたいです。
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