★まずまもなく発売となる新刊の中から注目書をご紹介します。
『デリダと死刑を考える』高桑和巳編著、鵜飼哲/江島泰子/梅田孝太/増田一夫/郷原佳以/石塚伸一著、白水社、2018年11月、本体3,000円、4-6判並製256頁、ISBN978-4-560-09671-0
『アナザー・マルクス』マルチェロ・ムスト著、江原慶/結城剛志訳、堀之内出版、2018年11月、本体3,500円、四六判並製506頁、ISBN978-4-909237-37-8
『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』ユルゲン・コッカ著、山井敏章訳、人文書院、2018年12月、本体2,200円、4-6判並製230頁、ISBN978-4-409-51080-3
『アートとは何か――芸術の存在論と目的論』アーサー・C・ダントー著、佐藤一進訳、人文書院、2018年11月、本体2,600円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-10040-0
『帰還――父と息子を分かつ国』ヒシャーム・マタール著、金原瑞人/野沢佳織訳、人文書院、2018年11月、本体3,200円、4-6判上製312頁、ISBN978-4-409-13041-4
『昭和戦争史講義――ジブリ作品から歴史を学ぶ』一ノ瀬俊也著、人文書院、2018年11月、本体1,800円、4-6判並製242頁、ISBN978-4-409-52070-3
★『デリダと死刑を考える』は、2017年10月7日に慶應義塾大学日吉キャンパスで行われた同名シンポジウムの発表内容をもとにしつつ、新たに書き下ろされた論文集。デリダの講義録『死刑Ⅰ』(高桑和巳訳、白水社、2017年)をきっかけに編まれたものです。収録論考は6本。鵜飼哲「ギロチンの黄昏──デリダ死刑論におけるジュネとカミュ」、江島泰子「ヴィクトール・ユゴーの死刑廃止論、そしてバダンテール──デリダと考える」、梅田孝太「デリダの死刑論とニーチェ──有限性についての考察」、増田一夫「定言命法の裏帳簿──カントの死刑論を読むデリダ」、郷原佳以「ダイモーンを黙らせないために──デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」、石塚伸一「デリダと死刑廃止運動──教祖の処刑の残虐性と異常性」。高桑さんはイントロとなる「はじめに」を書かれています。石塚論文ではオウムについて論及があります。つい先日発売となった論集『オウムと死刑』(河出書房新社、2018年11月)の重要な参照項になると思われます。
★ムスト『アナザー・マルクス』は、『Another Marx: Early Manuscripts to the International』(Bloomsbury, 2018)と『L'ultimo Marx: 1881-1883. Saggio di biografia intellettuale(The Last Marx, 1881-1883: An Intellectual Biography)』(Donzelli Editore, 2016)の二著を、著者による合本版原稿から訳出したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マルチェロ・ムスト(Marcello Musto, 1976-)はイタリア生まれのマルクス研究者で、現在はトロントのヨーク大学准教授。単独著としては本書が初訳になります。『Another Marx』をめぐってはウォーラーステインやボブ・ジェソップ、ジョン・ベラミー・フォスターらが賞讃を寄せています(英語原文は本書の裏表紙に印刷され、訳文は書名のリンク先で公開中)。新しいマルクス=エンゲルス全集である新MEGA版の刊行によって刷新されつつあるマルクス像の諸側面に迫る本書は、マルクス研究の最先端から生まれた成果です。マルクス生誕200周年である2018年の掉尾を飾るにふさわしい新刊ではないでしょうか。
★人文書院さんの近日発売より4点に注目。コッカ『資本主義の歴史』は『Geschichte des Kapitalismus』の全訳。原著は初版が2013年にBeckより刊行されており、今回の底本となっている改訂版である第三版は2017年に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。コッカ(Jürgen Heinz Kocka, 1941-)はドイツの歴史家で日本でもよく知られた碩学。帯文は次の通りです。「歴史学の大家による、厳密にして明晰、そして驚くほどコンパクトな資本主義通史。その起源から現代の金融資本主義に至る長大な歴史と、アダム・スミス、マルクス、ヴェーバーからシュンペーター、ポメランツに至る広範な分析理論までが一冊に凝縮。世界史的視野と、資本主義の本質に迫る深い考察が絡み合い、未来への展望をも示唆する名著。世界9か国で翻訳されたベストセラー。通史の決定版」。
★日本語版への序言でコッカはこう書いています。「資本主義をめぐる論争は、今日の世界の喫緊の諸問題――グローバル化、気候変動、貧困、社会的不平等、進歩の意味と進歩が人間にもたらすコスト――についての議論に扉を開きうる。近代、そしてそれがもたらすチャンスと危機を理解するには、資本主義の本質への洞察が不可欠である。資本主義の長期の歴史を知ることは、現在の資本主義を理解する助けとなる」(i頁)。
★「本書は、資本主義の諸定義、古代から現代にいたるその発展と批判のコンパクトな概観を提供する。そこで資本主義は、経済システム、あるいは、社会的・文化的・政治的諸条件ならびに諸帰結を伴う経済行為と理解されている。本書では、商人資本主義、農業資本主義、工業資本主義、金融資本主義というような資本主義のさまざまなタイプが区別される。資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される。資本主義における労働、市場と国家、企業家と企業、そしてここ数十年の間に進展した金融化などのテーマが論じられる。本書はまた、精神史・文化史のテーマとしての資本主義についても論じている。西洋における資本主義の展開が記述の前面に出てはいるが、しかし資本主義のグローバルな諸次元、グローバルな拡大も軽視されてはいない。とくに市場と国家の関係について、北米、ヨーロッパ、東アジアの状況の相違が明らかにされている」(ii-iii頁)。
★『アートとは何か』は美学・芸術論、歴史物語論、哲学といった幅広い分野で優れた業績を残したアメリカの学者ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924-2013)の遺作『What Art Is』(Yale University Press, 2013)の全訳に、1984年の論考「The End of Art」の翻訳を併録したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著書は80年代から翻訳されていますが、芸術論関連のものはようやく近年になって訳されてきています。「アートワールド」(原著1964年;邦訳2015年、『分析美学基本論文集』所収、勁草書房)、『ありふれたものの変容――芸術の哲学』(原著1981年;邦訳2017年、慶應義塾大学出版会)『芸術の終焉のあと――現代芸術と歴史の境界』(原著1997年;邦訳2017年、三元社)などがそれで、今回訳出された「アートの終焉」(原著1984年)もまた、翻訳が望まれていたものです。訳者は本書を、欧米を中心とする古今の著名な芸術作品の数々を引きつつ、きわめて簡潔かつ強力に、明快な回答を試みた一書として高く評価しています。
★『帰還』はイギリス在住の作家マタール(Hisham Matar, 1970-)の回想録『The Return: Fathers, Sons, and the Land in Between』(Random House, 2016)の翻訳。「マタールが故国リビアに「帰還」した旅の記録であると同時に、そこへ至るまでの家族の歴史と、彼自身の心の軌跡を綴った作品である。ノンフィクションでありながら、ときに抒情的に、ときにシニカルに、ときに激しい憤りをこめて語られるストーリーは、美しい情景描写やリアルな人物描写ともあいまって、まるで小説のようでもある」と訳者は説明しています。反体制運動のリーダーだった父の行方を追う苦い体験が綴られた本書は、オバマ前大統領やカズオ・イシグロらから賞讃され、ピューリッツァー賞の伝記部門を2017年に受賞したのをはじめ、多くの文学賞を獲得しています。
★一ノ瀬俊也『昭和戦争史講義』はジブリの映画作品を読み解きつつ昭和期の戦争史を理解しようという試み。「風立ちぬ」2013年、「紅の豚」1992年、「火垂るの墓」1988年などが取り上げられます。これらの映画はフィクションであるわけですが、「過去/事実としての昭和史を学ぶ上での手がかりとなりそうな描写が、物語の各所にたくさんある」(11頁)と著者は指摘します。これらの「「歴史ファンタジー」〔…〕の空白や背景を、近現代の歴史資料を用いながら埋めたり書き込んでいくこと〔…〕。なぜ戦争は起こり、その結果どうなったのかを物語の展開に添って考えることで、過去の歴史と作品世界の両方をより深く、広く理解できるようになりたい」(13頁)と。全15講のうち、最終講では、「となりのトトロ」「コクリコ坂から」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを用いて「戦後の1950年代後半から60年代を通じて起こった高度経済成長についてもふれ」(10頁)ています。
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★続いてここ最近の注目新刊を列記します。
『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』――「自由」に生きるとは何か』國分功一郎著、NHKテキスト:NHK出版、2018年12月、本体524円、A5判並製116頁、ISBN978-4-14-223093-8
『ウンベルト・エーコの世界文明講義』ウンベルト・エーコ著、和田忠彦監訳、石田聖子/小久保真理江/柴田瑞枝/高田和広/横田さやか訳、河出書房新社、2018年11月、本体4,600円、46変形判上製440頁、ISBN978-4-309-20752-0』
『国民論 他二篇』マルセル・モース著、森山工編訳、岩波文庫、2018年11月、本体900円、320頁、ISBN978-4-00-342282-3
『中世の秋』上下巻、ホイジンガ著、堀越孝一訳、中公文庫、2018年11月、本体各1,200円、464頁/480頁、ISBN978-4-12-206666-3
『随筆 本が崩れる』草森紳一著、中公文庫、2018年11月、本体880円、312頁、ISBN978-4-12-206657-1
『季刊iichiko 第140号:ラカンの剰余享楽/サントーム』文化科学高等研究院出版局、2018年10月、本体1,500円、A5判並製128頁、ISBN978-4-938710-39-2
『くるみ割り人形』E・T・A・ホフマン作、サンナ・アンヌッカ絵、小宮由訳、アノニマ・スタジオ:KTC中央出版、2018年10月、本体2,600円、菊判変型上製96頁、ISBN978-4-87758-788-8
★國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』はNHK Eテレで来月放送予定のテレビ番組「100分 de 名著」のテキストです。目次は以下の通り。
[はじめに]ありえたかもしれない、もうひとつの近代
第1回:善意(12月3日放送/5日再放送)
第2回:本質(12月10日放送/12日再放送)
第3回:自由(12月17日放送/19日再放送)
第4回:真理(12月24日放送/26日再放送)
★「はじめに」で國分さんはこう書かれています。「現代へとつながる制度や学問がおよそ出そろい、ある一定の方向性が選択されたのが十七世紀なのです。/スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。ただ、彼はほかの哲学者たちとは少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。/そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別の在り方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです」(5~6頁)。
★「スピノザを理解するには、考えを変えるのではなて、考え方を変える必要があるのです。そのことの意味を、全四回を通じて説明していきたいと思います。/番組とテキストは『エチカ』の主要な四つの概念を紹介する形で進めていきます。手元に『エチカ』があるとより分かりやすいかもしれませんが、必須ではありません。また哲学の前提知識も必要ありません」(7頁)。また、テキストの最後のまとめには次のような言葉があります。「スピノザは世の中の人がもっと自由に生きられるようにと願って『エチカ』を書いたのです」(115頁)。すでに準備済の書店さんもおいでになることと思いますが、来月はスピノザ周辺を中核とした「17世紀フェア」を店頭で行うにはもってこいのタイミングになると思います。
★『ウンベルト・エーコの世界文明講義』は『Sulle spalle dei giganti〔巨人の肩に乗って〕』(La Nave di Teseo, 2017)の翻訳。エーコが2001年から2015年にかけてイタリアの文化芸術祭「ミラネジアーナ・フェスティヴァル」において行ってきた講演・講義の記録です。美麗なカラー図版を100点以上収録。目次は以下の通りです。丸括弧内は発表年。
巨人の肩に乗って(2001年)
美しさ(2005年)
醜さ(2006年)
絶対と相対(2007年)
炎は美しい(2008年)
見えないもの:アンナ・カレーニナがベーカー街に住んでいたというのはなぜ偽りなのか(2009年)
パラドックスとアフォリズム(2010年)
間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること(2011年)
芸術における不完全のかたちについて(2012年)
秘密についてのいくらかの啓示(2013年)
陰謀(2015年)
聖なるものの表象(2009年?)
★東洋書林から刊行されているエーコの一連の編著書『美の歴史』原著2004年/邦訳2005年、『醜の歴史』原著2007年/邦訳2009年、『芸術の蒐集』原著2009年/邦訳2011年、『異世界の書』原著2013年/邦訳2015年、は、これらの講演と並行して上梓されており、関連性もあります。ちなみに河出文庫の今月新刊にはエーコの小説『ヌメロ・ゼロ』があります。
★モース『国民論 他二篇』は『贈与論』(吉田禎吾/江川純一訳、ちくま学芸文庫、2009年)、『贈与論 他二篇』(森山工訳、岩波文庫、2014年)に続く、文庫で読めるモースの著書の3点目。モースの社会主義思想家としての側面を示す3篇、「ボリシェヴィズムの社会学的評価」1924年、「国民論」1953~54年、「文明──要素と形態」1930年、を収録。いずれも本邦初訳で、日本語オリジナル編集です。「文明」はもともと1929年5月に行われたシンポジウムにおける口頭発表。訳者解説「国民の思想家としてのマルセル・モース」には本書編纂の意図が次のように明かされています。「民族学者・社会学者モースと、社会主義者であり、政治=社会論的な思想家でもあったモース。二人のモースはどのように交差していたのであろうか。本書は、第一次世界大戦後の欧州状況のなかでこの二人のモースが交差する、そのありようを示すと思われ、その観点から重要性を有すると考えられる論考を三篇選んだものである」。
★ホイジンガ『中世の秋』上下巻は、1976年刊行の文庫版上下巻の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」シリーズの最新刊。原著は1919年刊。帯文はこうです。「刊行から100年、流麗な筆致で語られる、ヨーロッパ中世に関する画期的研究書」。江藤淳さんの言葉が推薦文として帯裏に惹かれています。「歴史をある厳しい完了としてとらえること。しかもそれをささいな手がかりをたよりに内側からとらえること。それが『中世の秋』におけるホイジンガを支えた叡知である」。
★第一版緒言でホイジンガはこう書いています。「この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつの豊かな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸い込まれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(9頁)。「あるうることなのだ。衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくものにいつまでも目を奪われがちな人の著述には、ややもすれば濃すぎるほどに、死が、その影を落としている」(同頁)。
★巻末の編集付記によれば、上巻は同文庫23刷(2014年2月)を底本とし、中公クラシックス版第Ⅰ巻(2001年4月)を参照、下巻は同文庫18刷(2011年5月)を底本とし、中公クラシックス第Ⅱ巻(2001年5月)を参照したとのことです。旧版巻末の原注と訳注は各章末に移設されています。下巻巻末にはホイジンガの使用した各種年代記や日記など史料の紹介と、ホイジンガの誕生から逝去、没後数年までの年譜、参考文献、索引、訳者解説(旧版のまま)が収められています。来現1月には高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』の改版が同シリーズから発売予定とのことです。
★草森紳一『随筆 本が崩れる』は、文春新書の一冊として2005年に刊行されたものの文庫化で、加筆修正の入った二刷を底本としたとのこと。附録として新たに5篇「魔的なる奥野先生」「本棚は羞恥する」「白い書庫 顕と虚」「本の精霊」「本の行方」が増補されています。うずたかく積まれたり雪崩を起こしたりしている本の写真の数々は壮絶です。巻末解説は平山周吉さんによる、親愛の情に満ちた「六万二千冊の「蔵書にわれ困窮すの滑稽」」。
★『季刊iichiko』第140号は、特集「ラカンの剰余享楽/サントーム」。特集内の収録論考は以下の通り。新宮一成「剰余享楽のある風景――ヘーゲル、ラカン、マルクス」、上尾真道「サントームについて――ラカンとジョイスの出会いは何をもたらしたか」、河野一紀「ボロメオ的身体と他者たちとの紐帯」、山本哲士「「ではない」ことの存在:ラカン理論のsinthomeへ(1)」、岡田彩希子「生きることの空白と目覚め――ラカンの対象a概念と産出物としてのその運命」、古橋忠晃「ラカンの観点から見た、現代社会の病理の一つである「ひきこもり」について」、松本卓也「享楽社会とは何か?」。松本さんの論文は、ご自身の著書『人はみな妄想する』から『享楽社会論』への道のりを説明するとともに、フーコー、ドゥルーズ、ラカンの議論を援用し、享楽社会とは何かについてさらに掘り下げたもの。
★ホフマン『くるみ割り人形』は、フィンランドのアパレル企業「マリメッコ」のデザイナーをつとめるサンナ・アンヌッカの挿絵による絵本シリーズの第3弾。これまでに、アンデルセン『モミの木』が2013年に、同じくアンデルセンの『雪の女王』が2015年に刊行されています。原書は『The Nutcracker』(Hutchinson, 2017)です。アンヌッカのイラストはどれも美しいので、プレゼント向きでもあるでしょう。ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」の世界観が好きな方はアンヌッカの絵本シリーズもきっと気に入るだろうと思います。
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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[4]認識論:人間知性新論 上』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体8500円、A5判上製344頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-498-9
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[5]認識論:人間知性新論 下』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体9500円、A5判上製392頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-499-6
『抽象の力――近代芸術の解析』岡﨑乾二郎著、亜紀書房、2018年11月、本体3,800円、A5判上製440頁、ISBN978-4-7505-1553-3
『アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著、河出新書、2018年11月、本体920円、352頁、ISBN978-4-309-63101-1
『考える日本史』本郷和人著、河出新書、2018年11月、本体840円、256頁、ISBN978-4-309-63102-8
『歴史の中の感情――失われた名誉/創られた共感』ウーテ・フレーフェルト著、櫻井文子訳、東京外国語大学出版会、2018年11月、本体2,400円、四六判上製272頁、ISBN978-4-904575-69-7
『百人一首に絵はあったか――定家が目指した秀歌撰』寺島恒世著、ブックレット〈書物をひらく〉16:平凡社、2018年11月、本体1,000円、A5判並製96頁、ISBN978-4-582-36456-9
『歌枕の聖地――和歌の浦と玉津島』山本啓介著、ブックレット〈書物をひらく〉17:平凡社、2018年11月、A5判並製124頁、ISBN978-4-582-36457-6
『ドイツ装甲部隊史――1916-1945』ヴァルター・ネーリング著、大木毅訳、作品社、本体5,800円、A5判上製512頁、ISBN978-4-86182-723-5
★新装版『ライプニッツ著作集 第I期』全10巻の第2回配本は、第4巻と第5巻の『人間知性新論』上下巻です。同書はジョン・ロックの『人間知性論』への反駁として書かれた対話篇で、ロックの立場を代弁するフィラレートと、ライプニッツの思考を開陳するテオフィルが議論を交わします。第4巻(上巻)には序文、第1部「生得的概念について」、第2部「観念について」を収め、巻末には谷川多佳子さんによる解説小論「微小表象の示唆――『人間知性新論』瞥見」と、人物相関図である「17・18世紀西欧思想関係図」が配しています。第5巻(下巻)には第3部「言葉について」、第4部「認識について」を収め、巻末には福島清紀さんによる「『人間知性新論』再興への一視点」と、岡部英男さんによる「観念と記号論的認識」の2篇の解説小論を併載するとともに、事項索引と人名索引を完備しています。なお現在、代官山蔦屋書店の人文書売場では訳者の福島清紀(ふくしま・きよのり:1949-2016)さんの遺著『寛容とは何か』(工作舎、2018年4月)を中心としたブックフェア「寛容から多様性を考える」が開催されています。
★岡﨑乾二郎『抽象の力』は前著『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001年;文春学藝ライブラリー、2014年)以来、実に17年ぶりとなる単独著です。表題作は、2017年4月から6月にかけて豊田市美術館で開催された特別展「岡﨑乾二郎の認識 ― 抽象の力 ― 現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」のカタログに掲載された論考を大幅に加筆修正したもの(第Ⅰ部「抽象の力 本論」)。続く第Ⅱ部「抽象の力 補論」には、書き下ろしの2篇(熊谷守一論、夏目漱石論)と内間安瑆論を含む全5篇を収め、第Ⅲ部「メタボリズム-自然弁証法」では白井晟一論3篇とイサム・ノグチ論を含む全5篇、第Ⅳ部「具体の批評」では美術評論家連盟による論集『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)に岡﨑さんが寄せた鋭利な論考「批評を招喚する」が加筆修正されて収められています。高階秀爾さんや浅田彰さんの推薦文は書名のリンク先でご覧いただけます。なお本書の続編がやはり「近代芸術の解析」という主題のもと、書き継がれていく予定だそうです。
★本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。
◎岡﨑乾二郎『抽象の力(近代芸術の解析)』の解説と分析
日時:2018年12月1日(土)14:00–17:00(13:30開場、途中休憩あり)
会場:港まちポットラックビル 1F(愛知県名古屋市)
定員:80名(当日13:00から整理券を配布します)。
◎近代芸術はいかに展開したか?その根幹を把握する。
日時:2019年1月12日(土)14:00~15:30(13:30開場)
会場:青山ブックセンター本店大教室(東京都港区)
定員:110名(要予約)
★河出新書が約60年ぶりの再始動。第1回配本は橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本『アメリカ』と、テレビでよくお見かけする本郷和人さんの『考える日本史』。橋爪さんは日本がアメリカの本質を理解できていないと指摘します。対談ではキリスト教とプラグマティズムに焦点を絞って分析し、最後には人種差別、社会主義への嫌悪、そして日米関係にも切り込みます。本郷さんは編集部から出された8つのお題「信、血、恨、法、貧、戦、拠、、知」とご自身が提示した2つのお題「三、異」の合計10題をめぐって即興でお話しになっています。どちらも話し言葉に近いせいか読みやすいです。河出新書は不定期刊。続刊予定はプレスリリースの末尾で予告されています。
★フレーフェルト『歴史の中の感情』は『Emotions in History: Lost and Found』(Central European University Press, 2011)の翻訳。ブダペストの中央ヨーロッパ大学で2006年から毎年行われている、ナタリー・ゼーモン・デイヴィス記念講演の2009年における発表が本書のもととなっています。目次詳細は出版会のブログをご覧ください。フレーフェルト(Ute Frevert, 1954-)はドイツの歴史家。2008年、ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所内に感情史研究センターを創設し、センター長を務めています。本書はそのセンターの最初期の成果でもあります。フレーフェルトの既訳には『ドイツ女性の社会史――200年の歩み』(若尾祐司ほか訳、晃洋書房、1900年)があるほか、直近では岩波書店の月刊誌『思想』2018年8月号(特集=感情の歴史学)において論文「屈辱の政治――近代史における恥と恥をかかせること」が翻訳されています。今回の新刊に解説「なぜ今、感情史なのか」を寄せておられる伊東剛史さんは『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年)という共編著を上梓されています。
★平凡社のブックレット「書物をひらく」の最新刊は2点同時発売。『百人一首に絵はあったか』は題名通り、現代人が競技かるたや坊主めくりなどで親しんでいるような歌仙絵を百人一首が成立当初から伴なっていたのかどうかに迫るもの。寺島さんの研究では絵が当初から存在した可能性が高いとのことです。『歌枕の聖地』は副題にある通り、和歌に長く詠まれてきた現・和歌山市の名所「和歌の浦と玉津島」の文学史をたどるもの。歴史的には地形の変化を経ながらも、上代、平安期、中世、戦国末期から近世まで、心の風景として詠み継がれたその歴史がひもとかれます。
★ネーリング『ドイツ装甲部隊史』は『Die Geschichte der deutschen Panzerwaffe. 1916–1945』(Propyläen-Verlag, 1969)のドイツ語原典からの初訳。類書は複数ありますが、装甲部隊の創設に尽力し第二次大戦の東部戦線において軍団長や司令官も務めたネーリング(Walther Nehring, 1892-1983)によるこの回想録は「本書を抜きにして戦車(パンツァー)を語れない不朽の古典」(帯文より)と目されているものです。第一部「新兵科線上に赴く」、第二部「第一次大戦後におけるドイツ装甲部隊の再建と組織――1926~1945年」、第三部「第二次世界大戦におけるドイツ装甲部隊――1939~1945年」の3部構成。職官表や命令書、報告書など、付録も充実。
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『デリダと死刑を考える』高桑和巳編著、鵜飼哲/江島泰子/梅田孝太/増田一夫/郷原佳以/石塚伸一著、白水社、2018年11月、本体3,000円、4-6判並製256頁、ISBN978-4-560-09671-0
『アナザー・マルクス』マルチェロ・ムスト著、江原慶/結城剛志訳、堀之内出版、2018年11月、本体3,500円、四六判並製506頁、ISBN978-4-909237-37-8
『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』ユルゲン・コッカ著、山井敏章訳、人文書院、2018年12月、本体2,200円、4-6判並製230頁、ISBN978-4-409-51080-3
『アートとは何か――芸術の存在論と目的論』アーサー・C・ダントー著、佐藤一進訳、人文書院、2018年11月、本体2,600円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-10040-0
『帰還――父と息子を分かつ国』ヒシャーム・マタール著、金原瑞人/野沢佳織訳、人文書院、2018年11月、本体3,200円、4-6判上製312頁、ISBN978-4-409-13041-4
『昭和戦争史講義――ジブリ作品から歴史を学ぶ』一ノ瀬俊也著、人文書院、2018年11月、本体1,800円、4-6判並製242頁、ISBN978-4-409-52070-3
★『デリダと死刑を考える』は、2017年10月7日に慶應義塾大学日吉キャンパスで行われた同名シンポジウムの発表内容をもとにしつつ、新たに書き下ろされた論文集。デリダの講義録『死刑Ⅰ』(高桑和巳訳、白水社、2017年)をきっかけに編まれたものです。収録論考は6本。鵜飼哲「ギロチンの黄昏──デリダ死刑論におけるジュネとカミュ」、江島泰子「ヴィクトール・ユゴーの死刑廃止論、そしてバダンテール──デリダと考える」、梅田孝太「デリダの死刑論とニーチェ──有限性についての考察」、増田一夫「定言命法の裏帳簿──カントの死刑論を読むデリダ」、郷原佳以「ダイモーンを黙らせないために──デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」、石塚伸一「デリダと死刑廃止運動──教祖の処刑の残虐性と異常性」。高桑さんはイントロとなる「はじめに」を書かれています。石塚論文ではオウムについて論及があります。つい先日発売となった論集『オウムと死刑』(河出書房新社、2018年11月)の重要な参照項になると思われます。
★ムスト『アナザー・マルクス』は、『Another Marx: Early Manuscripts to the International』(Bloomsbury, 2018)と『L'ultimo Marx: 1881-1883. Saggio di biografia intellettuale(The Last Marx, 1881-1883: An Intellectual Biography)』(Donzelli Editore, 2016)の二著を、著者による合本版原稿から訳出したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マルチェロ・ムスト(Marcello Musto, 1976-)はイタリア生まれのマルクス研究者で、現在はトロントのヨーク大学准教授。単独著としては本書が初訳になります。『Another Marx』をめぐってはウォーラーステインやボブ・ジェソップ、ジョン・ベラミー・フォスターらが賞讃を寄せています(英語原文は本書の裏表紙に印刷され、訳文は書名のリンク先で公開中)。新しいマルクス=エンゲルス全集である新MEGA版の刊行によって刷新されつつあるマルクス像の諸側面に迫る本書は、マルクス研究の最先端から生まれた成果です。マルクス生誕200周年である2018年の掉尾を飾るにふさわしい新刊ではないでしょうか。
★人文書院さんの近日発売より4点に注目。コッカ『資本主義の歴史』は『Geschichte des Kapitalismus』の全訳。原著は初版が2013年にBeckより刊行されており、今回の底本となっている改訂版である第三版は2017年に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。コッカ(Jürgen Heinz Kocka, 1941-)はドイツの歴史家で日本でもよく知られた碩学。帯文は次の通りです。「歴史学の大家による、厳密にして明晰、そして驚くほどコンパクトな資本主義通史。その起源から現代の金融資本主義に至る長大な歴史と、アダム・スミス、マルクス、ヴェーバーからシュンペーター、ポメランツに至る広範な分析理論までが一冊に凝縮。世界史的視野と、資本主義の本質に迫る深い考察が絡み合い、未来への展望をも示唆する名著。世界9か国で翻訳されたベストセラー。通史の決定版」。
★日本語版への序言でコッカはこう書いています。「資本主義をめぐる論争は、今日の世界の喫緊の諸問題――グローバル化、気候変動、貧困、社会的不平等、進歩の意味と進歩が人間にもたらすコスト――についての議論に扉を開きうる。近代、そしてそれがもたらすチャンスと危機を理解するには、資本主義の本質への洞察が不可欠である。資本主義の長期の歴史を知ることは、現在の資本主義を理解する助けとなる」(i頁)。
★「本書は、資本主義の諸定義、古代から現代にいたるその発展と批判のコンパクトな概観を提供する。そこで資本主義は、経済システム、あるいは、社会的・文化的・政治的諸条件ならびに諸帰結を伴う経済行為と理解されている。本書では、商人資本主義、農業資本主義、工業資本主義、金融資本主義というような資本主義のさまざまなタイプが区別される。資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される。資本主義における労働、市場と国家、企業家と企業、そしてここ数十年の間に進展した金融化などのテーマが論じられる。本書はまた、精神史・文化史のテーマとしての資本主義についても論じている。西洋における資本主義の展開が記述の前面に出てはいるが、しかし資本主義のグローバルな諸次元、グローバルな拡大も軽視されてはいない。とくに市場と国家の関係について、北米、ヨーロッパ、東アジアの状況の相違が明らかにされている」(ii-iii頁)。
★『アートとは何か』は美学・芸術論、歴史物語論、哲学といった幅広い分野で優れた業績を残したアメリカの学者ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924-2013)の遺作『What Art Is』(Yale University Press, 2013)の全訳に、1984年の論考「The End of Art」の翻訳を併録したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著書は80年代から翻訳されていますが、芸術論関連のものはようやく近年になって訳されてきています。「アートワールド」(原著1964年;邦訳2015年、『分析美学基本論文集』所収、勁草書房)、『ありふれたものの変容――芸術の哲学』(原著1981年;邦訳2017年、慶應義塾大学出版会)『芸術の終焉のあと――現代芸術と歴史の境界』(原著1997年;邦訳2017年、三元社)などがそれで、今回訳出された「アートの終焉」(原著1984年)もまた、翻訳が望まれていたものです。訳者は本書を、欧米を中心とする古今の著名な芸術作品の数々を引きつつ、きわめて簡潔かつ強力に、明快な回答を試みた一書として高く評価しています。
★『帰還』はイギリス在住の作家マタール(Hisham Matar, 1970-)の回想録『The Return: Fathers, Sons, and the Land in Between』(Random House, 2016)の翻訳。「マタールが故国リビアに「帰還」した旅の記録であると同時に、そこへ至るまでの家族の歴史と、彼自身の心の軌跡を綴った作品である。ノンフィクションでありながら、ときに抒情的に、ときにシニカルに、ときに激しい憤りをこめて語られるストーリーは、美しい情景描写やリアルな人物描写ともあいまって、まるで小説のようでもある」と訳者は説明しています。反体制運動のリーダーだった父の行方を追う苦い体験が綴られた本書は、オバマ前大統領やカズオ・イシグロらから賞讃され、ピューリッツァー賞の伝記部門を2017年に受賞したのをはじめ、多くの文学賞を獲得しています。
★一ノ瀬俊也『昭和戦争史講義』はジブリの映画作品を読み解きつつ昭和期の戦争史を理解しようという試み。「風立ちぬ」2013年、「紅の豚」1992年、「火垂るの墓」1988年などが取り上げられます。これらの映画はフィクションであるわけですが、「過去/事実としての昭和史を学ぶ上での手がかりとなりそうな描写が、物語の各所にたくさんある」(11頁)と著者は指摘します。これらの「「歴史ファンタジー」〔…〕の空白や背景を、近現代の歴史資料を用いながら埋めたり書き込んでいくこと〔…〕。なぜ戦争は起こり、その結果どうなったのかを物語の展開に添って考えることで、過去の歴史と作品世界の両方をより深く、広く理解できるようになりたい」(13頁)と。全15講のうち、最終講では、「となりのトトロ」「コクリコ坂から」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを用いて「戦後の1950年代後半から60年代を通じて起こった高度経済成長についてもふれ」(10頁)ています。
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★続いてここ最近の注目新刊を列記します。
『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』――「自由」に生きるとは何か』國分功一郎著、NHKテキスト:NHK出版、2018年12月、本体524円、A5判並製116頁、ISBN978-4-14-223093-8
『ウンベルト・エーコの世界文明講義』ウンベルト・エーコ著、和田忠彦監訳、石田聖子/小久保真理江/柴田瑞枝/高田和広/横田さやか訳、河出書房新社、2018年11月、本体4,600円、46変形判上製440頁、ISBN978-4-309-20752-0』
『国民論 他二篇』マルセル・モース著、森山工編訳、岩波文庫、2018年11月、本体900円、320頁、ISBN978-4-00-342282-3
『中世の秋』上下巻、ホイジンガ著、堀越孝一訳、中公文庫、2018年11月、本体各1,200円、464頁/480頁、ISBN978-4-12-206666-3
『随筆 本が崩れる』草森紳一著、中公文庫、2018年11月、本体880円、312頁、ISBN978-4-12-206657-1
『季刊iichiko 第140号:ラカンの剰余享楽/サントーム』文化科学高等研究院出版局、2018年10月、本体1,500円、A5判並製128頁、ISBN978-4-938710-39-2
『くるみ割り人形』E・T・A・ホフマン作、サンナ・アンヌッカ絵、小宮由訳、アノニマ・スタジオ:KTC中央出版、2018年10月、本体2,600円、菊判変型上製96頁、ISBN978-4-87758-788-8
★國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』はNHK Eテレで来月放送予定のテレビ番組「100分 de 名著」のテキストです。目次は以下の通り。
[はじめに]ありえたかもしれない、もうひとつの近代
第1回:善意(12月3日放送/5日再放送)
第2回:本質(12月10日放送/12日再放送)
第3回:自由(12月17日放送/19日再放送)
第4回:真理(12月24日放送/26日再放送)
★「はじめに」で國分さんはこう書かれています。「現代へとつながる制度や学問がおよそ出そろい、ある一定の方向性が選択されたのが十七世紀なのです。/スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。ただ、彼はほかの哲学者たちとは少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。/そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別の在り方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです」(5~6頁)。
★「スピノザを理解するには、考えを変えるのではなて、考え方を変える必要があるのです。そのことの意味を、全四回を通じて説明していきたいと思います。/番組とテキストは『エチカ』の主要な四つの概念を紹介する形で進めていきます。手元に『エチカ』があるとより分かりやすいかもしれませんが、必須ではありません。また哲学の前提知識も必要ありません」(7頁)。また、テキストの最後のまとめには次のような言葉があります。「スピノザは世の中の人がもっと自由に生きられるようにと願って『エチカ』を書いたのです」(115頁)。すでに準備済の書店さんもおいでになることと思いますが、来月はスピノザ周辺を中核とした「17世紀フェア」を店頭で行うにはもってこいのタイミングになると思います。
★『ウンベルト・エーコの世界文明講義』は『Sulle spalle dei giganti〔巨人の肩に乗って〕』(La Nave di Teseo, 2017)の翻訳。エーコが2001年から2015年にかけてイタリアの文化芸術祭「ミラネジアーナ・フェスティヴァル」において行ってきた講演・講義の記録です。美麗なカラー図版を100点以上収録。目次は以下の通りです。丸括弧内は発表年。
巨人の肩に乗って(2001年)
美しさ(2005年)
醜さ(2006年)
絶対と相対(2007年)
炎は美しい(2008年)
見えないもの:アンナ・カレーニナがベーカー街に住んでいたというのはなぜ偽りなのか(2009年)
パラドックスとアフォリズム(2010年)
間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること(2011年)
芸術における不完全のかたちについて(2012年)
秘密についてのいくらかの啓示(2013年)
陰謀(2015年)
聖なるものの表象(2009年?)
★東洋書林から刊行されているエーコの一連の編著書『美の歴史』原著2004年/邦訳2005年、『醜の歴史』原著2007年/邦訳2009年、『芸術の蒐集』原著2009年/邦訳2011年、『異世界の書』原著2013年/邦訳2015年、は、これらの講演と並行して上梓されており、関連性もあります。ちなみに河出文庫の今月新刊にはエーコの小説『ヌメロ・ゼロ』があります。
★モース『国民論 他二篇』は『贈与論』(吉田禎吾/江川純一訳、ちくま学芸文庫、2009年)、『贈与論 他二篇』(森山工訳、岩波文庫、2014年)に続く、文庫で読めるモースの著書の3点目。モースの社会主義思想家としての側面を示す3篇、「ボリシェヴィズムの社会学的評価」1924年、「国民論」1953~54年、「文明──要素と形態」1930年、を収録。いずれも本邦初訳で、日本語オリジナル編集です。「文明」はもともと1929年5月に行われたシンポジウムにおける口頭発表。訳者解説「国民の思想家としてのマルセル・モース」には本書編纂の意図が次のように明かされています。「民族学者・社会学者モースと、社会主義者であり、政治=社会論的な思想家でもあったモース。二人のモースはどのように交差していたのであろうか。本書は、第一次世界大戦後の欧州状況のなかでこの二人のモースが交差する、そのありようを示すと思われ、その観点から重要性を有すると考えられる論考を三篇選んだものである」。
★ホイジンガ『中世の秋』上下巻は、1976年刊行の文庫版上下巻の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」シリーズの最新刊。原著は1919年刊。帯文はこうです。「刊行から100年、流麗な筆致で語られる、ヨーロッパ中世に関する画期的研究書」。江藤淳さんの言葉が推薦文として帯裏に惹かれています。「歴史をある厳しい完了としてとらえること。しかもそれをささいな手がかりをたよりに内側からとらえること。それが『中世の秋』におけるホイジンガを支えた叡知である」。
★第一版緒言でホイジンガはこう書いています。「この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつの豊かな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸い込まれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(9頁)。「あるうることなのだ。衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくものにいつまでも目を奪われがちな人の著述には、ややもすれば濃すぎるほどに、死が、その影を落としている」(同頁)。
★巻末の編集付記によれば、上巻は同文庫23刷(2014年2月)を底本とし、中公クラシックス版第Ⅰ巻(2001年4月)を参照、下巻は同文庫18刷(2011年5月)を底本とし、中公クラシックス第Ⅱ巻(2001年5月)を参照したとのことです。旧版巻末の原注と訳注は各章末に移設されています。下巻巻末にはホイジンガの使用した各種年代記や日記など史料の紹介と、ホイジンガの誕生から逝去、没後数年までの年譜、参考文献、索引、訳者解説(旧版のまま)が収められています。来現1月には高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』の改版が同シリーズから発売予定とのことです。
★草森紳一『随筆 本が崩れる』は、文春新書の一冊として2005年に刊行されたものの文庫化で、加筆修正の入った二刷を底本としたとのこと。附録として新たに5篇「魔的なる奥野先生」「本棚は羞恥する」「白い書庫 顕と虚」「本の精霊」「本の行方」が増補されています。うずたかく積まれたり雪崩を起こしたりしている本の写真の数々は壮絶です。巻末解説は平山周吉さんによる、親愛の情に満ちた「六万二千冊の「蔵書にわれ困窮すの滑稽」」。
★『季刊iichiko』第140号は、特集「ラカンの剰余享楽/サントーム」。特集内の収録論考は以下の通り。新宮一成「剰余享楽のある風景――ヘーゲル、ラカン、マルクス」、上尾真道「サントームについて――ラカンとジョイスの出会いは何をもたらしたか」、河野一紀「ボロメオ的身体と他者たちとの紐帯」、山本哲士「「ではない」ことの存在:ラカン理論のsinthomeへ(1)」、岡田彩希子「生きることの空白と目覚め――ラカンの対象a概念と産出物としてのその運命」、古橋忠晃「ラカンの観点から見た、現代社会の病理の一つである「ひきこもり」について」、松本卓也「享楽社会とは何か?」。松本さんの論文は、ご自身の著書『人はみな妄想する』から『享楽社会論』への道のりを説明するとともに、フーコー、ドゥルーズ、ラカンの議論を援用し、享楽社会とは何かについてさらに掘り下げたもの。
★ホフマン『くるみ割り人形』は、フィンランドのアパレル企業「マリメッコ」のデザイナーをつとめるサンナ・アンヌッカの挿絵による絵本シリーズの第3弾。これまでに、アンデルセン『モミの木』が2013年に、同じくアンデルセンの『雪の女王』が2015年に刊行されています。原書は『The Nutcracker』(Hutchinson, 2017)です。アンヌッカのイラストはどれも美しいので、プレゼント向きでもあるでしょう。ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」の世界観が好きな方はアンヌッカの絵本シリーズもきっと気に入るだろうと思います。
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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[4]認識論:人間知性新論 上』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体8500円、A5判上製344頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-498-9
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[5]認識論:人間知性新論 下』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体9500円、A5判上製392頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-499-6
『抽象の力――近代芸術の解析』岡﨑乾二郎著、亜紀書房、2018年11月、本体3,800円、A5判上製440頁、ISBN978-4-7505-1553-3
『アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著、河出新書、2018年11月、本体920円、352頁、ISBN978-4-309-63101-1
『考える日本史』本郷和人著、河出新書、2018年11月、本体840円、256頁、ISBN978-4-309-63102-8
『歴史の中の感情――失われた名誉/創られた共感』ウーテ・フレーフェルト著、櫻井文子訳、東京外国語大学出版会、2018年11月、本体2,400円、四六判上製272頁、ISBN978-4-904575-69-7
『百人一首に絵はあったか――定家が目指した秀歌撰』寺島恒世著、ブックレット〈書物をひらく〉16:平凡社、2018年11月、本体1,000円、A5判並製96頁、ISBN978-4-582-36456-9
『歌枕の聖地――和歌の浦と玉津島』山本啓介著、ブックレット〈書物をひらく〉17:平凡社、2018年11月、A5判並製124頁、ISBN978-4-582-36457-6
『ドイツ装甲部隊史――1916-1945』ヴァルター・ネーリング著、大木毅訳、作品社、本体5,800円、A5判上製512頁、ISBN978-4-86182-723-5
★新装版『ライプニッツ著作集 第I期』全10巻の第2回配本は、第4巻と第5巻の『人間知性新論』上下巻です。同書はジョン・ロックの『人間知性論』への反駁として書かれた対話篇で、ロックの立場を代弁するフィラレートと、ライプニッツの思考を開陳するテオフィルが議論を交わします。第4巻(上巻)には序文、第1部「生得的概念について」、第2部「観念について」を収め、巻末には谷川多佳子さんによる解説小論「微小表象の示唆――『人間知性新論』瞥見」と、人物相関図である「17・18世紀西欧思想関係図」が配しています。第5巻(下巻)には第3部「言葉について」、第4部「認識について」を収め、巻末には福島清紀さんによる「『人間知性新論』再興への一視点」と、岡部英男さんによる「観念と記号論的認識」の2篇の解説小論を併載するとともに、事項索引と人名索引を完備しています。なお現在、代官山蔦屋書店の人文書売場では訳者の福島清紀(ふくしま・きよのり:1949-2016)さんの遺著『寛容とは何か』(工作舎、2018年4月)を中心としたブックフェア「寛容から多様性を考える」が開催されています。
★岡﨑乾二郎『抽象の力』は前著『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001年;文春学藝ライブラリー、2014年)以来、実に17年ぶりとなる単独著です。表題作は、2017年4月から6月にかけて豊田市美術館で開催された特別展「岡﨑乾二郎の認識 ― 抽象の力 ― 現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」のカタログに掲載された論考を大幅に加筆修正したもの(第Ⅰ部「抽象の力 本論」)。続く第Ⅱ部「抽象の力 補論」には、書き下ろしの2篇(熊谷守一論、夏目漱石論)と内間安瑆論を含む全5篇を収め、第Ⅲ部「メタボリズム-自然弁証法」では白井晟一論3篇とイサム・ノグチ論を含む全5篇、第Ⅳ部「具体の批評」では美術評論家連盟による論集『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)に岡﨑さんが寄せた鋭利な論考「批評を招喚する」が加筆修正されて収められています。高階秀爾さんや浅田彰さんの推薦文は書名のリンク先でご覧いただけます。なお本書の続編がやはり「近代芸術の解析」という主題のもと、書き継がれていく予定だそうです。
★本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。
◎岡﨑乾二郎『抽象の力(近代芸術の解析)』の解説と分析
日時:2018年12月1日(土)14:00–17:00(13:30開場、途中休憩あり)
会場:港まちポットラックビル 1F(愛知県名古屋市)
定員:80名(当日13:00から整理券を配布します)。
◎近代芸術はいかに展開したか?その根幹を把握する。
日時:2019年1月12日(土)14:00~15:30(13:30開場)
会場:青山ブックセンター本店大教室(東京都港区)
定員:110名(要予約)
★河出新書が約60年ぶりの再始動。第1回配本は橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本『アメリカ』と、テレビでよくお見かけする本郷和人さんの『考える日本史』。橋爪さんは日本がアメリカの本質を理解できていないと指摘します。対談ではキリスト教とプラグマティズムに焦点を絞って分析し、最後には人種差別、社会主義への嫌悪、そして日米関係にも切り込みます。本郷さんは編集部から出された8つのお題「信、血、恨、法、貧、戦、拠、、知」とご自身が提示した2つのお題「三、異」の合計10題をめぐって即興でお話しになっています。どちらも話し言葉に近いせいか読みやすいです。河出新書は不定期刊。続刊予定はプレスリリースの末尾で予告されています。
★フレーフェルト『歴史の中の感情』は『Emotions in History: Lost and Found』(Central European University Press, 2011)の翻訳。ブダペストの中央ヨーロッパ大学で2006年から毎年行われている、ナタリー・ゼーモン・デイヴィス記念講演の2009年における発表が本書のもととなっています。目次詳細は出版会のブログをご覧ください。フレーフェルト(Ute Frevert, 1954-)はドイツの歴史家。2008年、ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所内に感情史研究センターを創設し、センター長を務めています。本書はそのセンターの最初期の成果でもあります。フレーフェルトの既訳には『ドイツ女性の社会史――200年の歩み』(若尾祐司ほか訳、晃洋書房、1900年)があるほか、直近では岩波書店の月刊誌『思想』2018年8月号(特集=感情の歴史学)において論文「屈辱の政治――近代史における恥と恥をかかせること」が翻訳されています。今回の新刊に解説「なぜ今、感情史なのか」を寄せておられる伊東剛史さんは『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年)という共編著を上梓されています。
★平凡社のブックレット「書物をひらく」の最新刊は2点同時発売。『百人一首に絵はあったか』は題名通り、現代人が競技かるたや坊主めくりなどで親しんでいるような歌仙絵を百人一首が成立当初から伴なっていたのかどうかに迫るもの。寺島さんの研究では絵が当初から存在した可能性が高いとのことです。『歌枕の聖地』は副題にある通り、和歌に長く詠まれてきた現・和歌山市の名所「和歌の浦と玉津島」の文学史をたどるもの。歴史的には地形の変化を経ながらも、上代、平安期、中世、戦国末期から近世まで、心の風景として詠み継がれたその歴史がひもとかれます。
★ネーリング『ドイツ装甲部隊史』は『Die Geschichte der deutschen Panzerwaffe. 1916–1945』(Propyläen-Verlag, 1969)のドイツ語原典からの初訳。類書は複数ありますが、装甲部隊の創設に尽力し第二次大戦の東部戦線において軍団長や司令官も務めたネーリング(Walther Nehring, 1892-1983)によるこの回想録は「本書を抜きにして戦車(パンツァー)を語れない不朽の古典」(帯文より)と目されているものです。第一部「新兵科線上に赴く」、第二部「第一次大戦後におけるドイツ装甲部隊の再建と組織――1926~1945年」、第三部「第二次世界大戦におけるドイツ装甲部隊――1939~1945年」の3部構成。職官表や命令書、報告書など、付録も充実。
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