『nyx 第5号』堀之内出版、2018年9月、本体2,000円、A5判並製344頁、ISBN978-4-906708-72-7
『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン著、高野優訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体1,800円、828頁、ISBN978-4-334-75384-9
『方丈記』鴨長明著、蜂飼耳訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体640円、152頁、ISBN978-4-334-75386-3
★『nyx 第5号』は、第一特集は「聖なるもの」(主幹:江川純一×佐々木雄大)で、第二特集が「革命」(主幹:斎藤幸平)です。目次詳細は版元ドットコムに掲出されています。さらに3本目の柱は小特集「マルクス・ガブリエル」で、千葉雅也さんとガブリエルさんの対談「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」と、ガブリエルさんの京都大学講演「なぜ世界は存在しないのか――〈意味の場の存在論〉の〈無世界観〉」が収載されています。また、特集には属していませんが飯田賢穂さんによるレポート「なぜ、哲学なのか? 発言する哲学、越境する哲学」も掲載されています。これは、明治大学文学部に新設された哲学専攻を記念して今春行われたシンポジウムの様子を写真とともに報告したものです。プログラム内容についてはプレスリリースをご覧ください。また、簡単なイベントレポートが大学ウェブサイトに掲出されています。
★第5号はまばゆい金色の表紙がまず目を惹きますが、ここまで全体に金色を使いながらあざとくもしつこくもないというのは稀ではないでしょうか。また内容面でも、今回の二大特集は「聖なるもの」と「革命」で、一見相反する主題のようにも見えますけれども、いずれも規範を超えた力の収斂と放射を伴なう特異点として現われる事象であるという意味では議論の回路が相互に開かれているわけで、この二つが双子として頁を分け合っているのは故なきことではないと言えそうです。一方、ガブリエルをめぐってはまもなく青土社の月刊誌『現代思想』の2018年10月臨時増刊号として「総特集=マルクス・ガブリエル――新しい実在論」が発売になりますので、『nyx 第5号』のほか、ガブリエルの既訳書『神話・狂気・哄笑』(ジジェクとの共著、堀之内出版、2015年)や『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年)、「資本主義はショウ(見世物)だ」(セドラチェクとの対話、『欲望の資本主義2』所収、東洋経済新報社、2018年)などと併せ、売場が再び盛り上がるのではないかと思われます。
★千葉さんとガブリエルさんの対談は、千葉さんが東浩紀さんと行った対談「モノに魂は宿るか──実在論の最前線」での『なぜ世界は存在しないのか』批判を踏まえてガブリエルに切り込んでおり、哲学者自身の応答を聞く良い機会となっています。千葉さんと東さんの対談は改稿のうえ、「実在論化する相対主義――マルクス・ガブリエルと思弁的実在論をめぐって」として「ゲンロンβ28」に前編が掲載されています。また、千葉さんは来月下旬に河出書房新社より新著『意味がない無意味』を上梓される予定ですし、ガブリエルさんの著書は洋書でも店頭で着実に売れていると聞いていますので(例えば『私は脳ではない(I am Not a Brain: Philosophy of Mind for the 21st Century)』や『意味の場(Fields of Sense: A New Realist Ontology )』など)、『nyx 第5号』はしばらく参照され続けるのではないでしょうか。
★次に創刊12周年だという光文社古典新訳文庫の9月新刊より2点。『未来のイヴ』(1886年)は今までに文庫では渡辺一夫訳(岩波文庫、1938年)や、斎藤磯雄訳(創元ライブラリ、1996年)で読むことができましたが、斎藤訳は『ヴィリエ・ド・リラダン全集』第2巻(東京創元社、1977年)が底本ですから、新訳というのはとても久しぶりのことです。巻末解説をお書きになった海老根龍介さんは本作について「時代に背を向けた、ときに鼻白むような反動的精神が、未来をも見とおすかのような広い射程を備えた鋭い批評精神と結びついているさまもまた、『未来のイヴ』を特徴づける両義性のひとつといえるだろう」と評価しておられます。なお、押井守監督作品『イノセンス』(2004年)の冒頭で『未来のイヴ』第5巻第16章での科白が引用されているのは周知の通りですが、これは渡辺訳(下巻157頁)でも斎藤訳(339頁)でもありません。今回の高橋訳では578頁で読むことができます。曰く「現代の〈神〉や〈希望〉がもはや科学的なものでしかないのであれば、どうして現代の〈愛〉が科学的になってはいけないのだろう〔…〕。いけないことはあるまい」。
★『方丈記』は、現代語訳と原典の間に訳者の書き下ろしエッセイ「移動の可能性と鴨長明」を挟み、さらに原典の後には付録として『新古今和歌集』所収の鴨長明の和歌10首と、『発心集』巻五の一三「貧男、差図を好む事(貧しい男、〔自宅の〕設計図を描くのが好きだった)」の現代語訳と原文を収めています。巻末には、鴨長明が記述した安元の大火や治承の竜巻などの災害地図や「方丈の庵」想像図などをまとめた図版集や、鴨長明年譜、そして訳者による解説とあとがきが付されています。元暦二年(1185年)の大地震の頃、作者は数え年で31歳。「地震こそは、あらゆる恐ろしいものの中でもとりわけ恐ろしいと実感した」(32頁)と書き、その惨状や3か月ほど続いた余震について言及しています。さらに「地震の当初は、人々はみんなこの世の虚しさを口にして、少しは心の濁りも薄くなったかと見えたが、月日が過ぎ、年数が経つと、もうだれもなにもいわなくなる」(32~33頁)とも書き記した晩年の鴨長明は、人間のさがを冷静に見つめていたように思います。800年以上経過しても人間の本質がおおよそ変わらなかったと言うべきか、『方丈記』のメッセージは現代人の心に今なお沁みてくるものです。
★「世界というものは、心の持ち方一つで変わる。もし、心が安らかな状態でないなら、象や馬や七つの宝があっても、なんの意味もないし、立派な宮殿や楼閣があっても、希望はない。いま、私は寂しい住まい、この一間だけの庵にいるけれど、自分ではここを気に入っている。都に出かけることがあって、そんなときは自分が落ちぶれたと恥じるとはいえ、帰宅し、ほっとして落ち着くと、他人が俗塵の中を走り回っていることが気の毒になる」(48頁)。非常に滑らかな現代語訳だと思います。蜂飼さんによる古典の現代語訳は『虫めづる姫君 堤中納言物語』(2015年)に続く2点目です。
★なお光文社古典新訳文庫では、11月に、サルトル最晩年の、ベニ・レヴィとの対談『いま、希望とは(L'espoir maintenant)』が海老坂武さんの訳で刊行される予定とのことです。かつて「朝日ジャーナル」に翻訳が掲載されたものの改訂版でしょうか。何かと問題視されたこともあった対談を、ようやく冷静に読める機会が訪れるのでしょう。
+++
★続いてまもなく発売となる新刊注目書を列記します。
『吉本隆明全集17[1976-1980]』吉本隆明著、晶文社、2018年9月、本体6,700円、A5判変型上製656頁、ISBN978-4-7949-7117-3
『脱近代宣言』落合陽一/清水高志/上妻世海著、水声社、本体2,000円、四六判並製304頁、ISBN978−4−8010−0350−7
『評伝 小室直樹(上)学問と酒と猫を愛した過激な天才』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製762頁、ISBN978-4-623-08384-8
『評伝 小室直樹(下)現実はやがて私に追いつくであろう』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製744頁、ISBN978-4-623-08385-5
『イエズス会の歴史(上)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、中公文庫、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206643-4
『イエズス会の歴史(下)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206644-1
★『吉本隆明全集17[1976-1980]』は第18回配本。『悲劇の解読』(筑摩書房、1979年)と『世界認識の方法』(中央公論社、1980年)を中心に、1980年に発表された詩、評論、講演、エッセイ、アンケート、推薦文、あとがき、等を収録しています。さらに、未発表だったミシェル・フーコー宛の書簡を初収録。『悲劇の解読』は作家論集。歴史の停滞と空虚さの只中で批評の持続を引き受けようとする、五十路を越えた批評家の境地を看取できる見事な名篇です。吉本と作家の生が交差する深度から発せられる、色褪せようのない痛烈な太宰論にはこう綴られています。「気がかりな読者だけは作品や作家の跡から見え隠れに尾行をつづけ、ついに行き倒れて朽ちてしまう姿を見とどけなければならない。かれにはみすみす死地の方へ歩んでゆく作品や作者を、こちら側におしとどめる能力はないが、他人事でない気がかりさえあれば、その死にざまを見とどけることだけはできる。文学の周辺にはそういう悲劇的な関係の仕方も、ときにあるのではないか。わたしは青年のある時期、太宰治の作品にそういう関係に仕方をしたことがあった」(17頁)。人間失格という人ならざるものの地平へと滑り落ち、孤独な暗い水際に座した太宰と、その目の前に佇む亡霊のような吉本の時を超えた対峙には、呪われた葬列へと読者を否応なく引きずり込む禍々しさを感じます。
★フーコーとの対談「世界認識の方法――マルクス主義をどう始末するか」を中心に編まれた『世界認識の方法』に対しては、付属する「月報18」に収められた竹田青嗣さんによる「新しい世代が受け継ぐべきもの」が、興味深い位置づけを与えています。竹田さんは昨今日本でも輸入され話題を呼んでいる、メイヤスー、ガブリエル、ハーマンらの哲学の意義を簡潔に解説しつつ、それに先立つフーコーと吉本の対決を「世界の普遍認識の可能性をめぐる認識論上の根本的対立」と捉え、さらに吉本の「思想家としての最大の業績」が何なのかについて銘記しておられます。詳しくは現物にてご確認下さい。次回配本は12月下旬発売予定、第18巻とのことです。
★『脱近代宣言』は、メディア・アーティストの落合陽一(おちあい・よういち:1989-)さん、哲学者の清水高志(しみず・たかし:1967-)さん、キュレーターの上妻世海(こうづま・せかい:1989-)さんの三氏による鼎談集。お三方にとっても初めての鼎談本となるようです。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。落合さんは「はじめに」でこう書いています。「近代的な成長社会から成熟社会に臨んだ今、われわれはヒューマニズムの枠組みのなかの成長とは違った解釈を取りうるのではないだろうか。テクノロジーによるアプローチや、芸術的な美意識や価値の勃興に基づいたわれわれの文化的側面の再考は、平成の時代が終わろうとしている今、必要なことに思える」(12頁)。これまでは芸術書売場に置かれることが多かったはずの落合さんの本は本書の登場によって人文書売場まで越境してくることになるのかもしれません。
★脱近代を掲げる落合さんは例えば「人文系は、その〔=変革の〕速度を遅くするために働く、ダンパなので。本当にあれはよくないですね。なんとかしたいとは思っています」(131~132頁)と発言したりもします。ただし、こうした言質から彼を例えば加速主義者の枠組みで捉えるというのは単純すぎる割り切り方かもしれません。部分を切り取るような読み方は特に本書ではあまり有効ではないと思われます。新しい人類学や哲学――新実在論やオブジェクト指向哲学など――の動向へと参照項を開く清水さんと、「デジタルネイチャー」へと向かうアートとテクノロジーの可能性を追求する落合さん、そしてそれらを架橋する新しい批評とキュレーションの展望を与える上妻さんの、それぞれの議論のレイヤーが重なり合うさまを、読者は目撃することになります。論及されるのが仏教思想にせよ福沢諭吉にせよ、容赦なく侵犯していく本なので、各方面から様々なリアクションが生まれるだろうと想像します。
★『評伝 小室直樹』上下巻は書名が表す通り、高名な社会学者、小室直樹(こむろ・なおき:1932-2010)をめぐる大部の評伝です。ミネルヴァ書房さんの創業70周年記念出版だそうで、「橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』から5年。もう一つの日本戦後史がここにある!「小室直樹博士著作目録/略年譜」の著者・村上篤直が、関係者の証言を元に、学問と酒と猫をこよなく愛した過激な天才の生涯に迫る」と宣伝しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。オビやカバーソデには弟子である橋爪大三郎、副島隆彦、宮台真司、大澤真幸の各氏の推薦の言葉が並んでいます。著者の村上篤直(むらかみ・あつなお:1972-)さんは現役の弁護士。小室さんの弟子ではなく、生前に面識もなかったものの、人生の苦闘の中で小室さんの著書と出会い、ウェブサイト「小室直樹文献目録」を2000年に開設されています。村上さんは本書のはしがきで、小室さんのことを次のように端的に評しておられます。「内から湧き上がる情熱のままに、西洋近代文明の精華を学び尽くした天才。/練り上げられた方法論と研ぎ澄まされた霊感。/これによって洞察された過去・現在・未来の世界を、惜しげもなくわれわれの眼前に広げて見せてくれた」(iii頁)と。
★『イエズス会の歴史』上下巻は、原書房より2004年に刊行された書籍を改訳し、文献を追補して文庫化したもの。原書は1986年の『A History of the Society of Jesus』第2版です。上巻には、はしがき、第1章「創立者とその遺産」、第2章「地平の絶え間なき拡大(1556~1580年)」、第3章「急速な発展と新たな取り組み(1580~1615年)」、第4章「政治・文化の新たな覇権国家からの挑戦(1615~1687年)」と文献表Ⅰを収め、「イグナティウス・デ・ヨロラによるパリでの会の発足から17世紀後半まで、西洋諸国の歩みと深く関わる会の展開」(カバー裏紹介文より)を描いています。下巻では第5章「理性の時代との対峙(1687~1757年)」、第6章「追放、弾圧、復興(1757~1814年)」、第7章「新たな政治的・社会的環境と植民地世界への適応(1814~1914年)」、第8章「20世紀」、そしてクラウス・リーゼンフーバーさんによる追補「最近の発展(1985~2000年)」を収め、文献表Ⅱのほか新たに文献表Ⅲが加わっています。下巻では17世紀後半以降における教会と啓蒙主義の対立や、その後の展開を解説。文庫でイエズス会の通史が読めるようになるのは初めてのことです。
+++
★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。
『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』先崎彰容著、晶文社、2018年8月、本体2,000円、四六判上製316頁、ISBN978-4-7949-7053-4
『比較から世界文学へ』張隆溪(チャン・ロンシー)著、鈴木章能訳、水声社、2018年9月、本体4,000円、A5判上製261頁、ISBN978-4-8010-0360-6
『ロシア革命――ペトログラード1917年2月』和田春樹著、2018年9月、本体3,600円、46判上製584頁、ISBN978-4-86182-672-6
『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!――男の健康と老化は、女とどう違うのか』リチャード・ブリビエスカス著、寺町朋子訳、インターシフト発行、合同出版発売、2018年9月、本体2,200円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7726-9561-9
『デカルト』ロランス・ドヴィレール著、津崎良典訳、文庫クセジュ:白水社、2018年9月、本体1,200円、新書判220頁、ISBN978-4-560-51022-3
『確率微分方程式』渡辺信三著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年8月、本体1,200円、316頁、ISBN978-4-480-09882-5
★『維新と敗戦』は、産経新聞の二つの連載「『戦後日本』を診る」(2014年4月~2015年3月)および「『近代日本』を診る」(2015年4月~2016年3月)に加筆訂正した第Ⅰ部が全体の半分以上を占めます。福澤諭吉から高坂正堯まで23人の日本の思想家を取り上げ、彼等の言葉から現代を照射すべく試みておられます。第Ⅱ部は2011年から2018年にかけて各媒体に掲載された思想家論をまとめたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。東日本大震災の被災者の一人として著者はこう書いています。「あらゆる言葉が、「速すぎる」ように思えた。天災による激変に即応し、時宜にかなった説明が、すぐに手に入る状況はどうみても異常であった。新聞・出版をにぎわせる老若男女の知識人の手際のよさに、正直、戸惑ってしまったのである。/思想や文学を論じ生活の糧にする者には、もう少し謙虚さが求められるように思う。謙虚さとは、時代の変化に応じるよりは立ち止まり、言葉を発することに躊躇するというほどの意味である」(10頁)。第Ⅰ部では各思想家に3冊ずつ関連書が掲げられており、日本思想の棚を整理したい書店員さんにとって参考になるのではないかと思われます。なお以下のイベントが今週後半に予定されています。
◎先崎彰容×大澤聡「新・教養主義宣言――古い「ことば」こそ、新しい」
日時:2018年9月21日(金)19:00開演 18:45開場
会場:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース
料金:500円
受付:電話にてご予約を受付(先着50名様)。電話番号:03-3354-0131(紀伊國屋書店新宿本店代表番号/10:00~21:00)
内容:1990年代後半、大学に入学した先崎、大澤の二氏が目の当たりにした教養の崩壊。2018年の今、私たちは何を指針に、現代社会を評価すればよいのか。両氏の答えは「過去のことば」の復活。福澤諭吉から丸山真男まで、日本思想を読む醍醐味を、ぞんぶんに語り合う、本格派トークセッション。
★『比較から世界文学へ』は、英語圏で長らく活躍してきた比較文学研究者の張隆溪(チャン・ロンシー:Zhang Longxi, 1941-)による『From Comparison to World Literature』(SUNY Press, 2015)の全訳。『アレゴレシス――東洋と西洋の文学と文学理論の翻訳可能性』(鈴木章能/鳥飼真人訳、水声社、2016年)に続く、2冊目の訳書です。目次は書名のリンク先をご覧ください。序にはこう書かれています。「中国と西洋の文化的通約不可能性や根源的な差異を主張する意見について検証し、中国と西洋は通約可能であり、あらゆる面で違いがあるとしても、あらゆる困難を乗り越えて異文化を理解する必要があることを本書の目的として論じていく」(13頁)。「世界文学における「世界」という言葉を真摯に考えれば、そのような〔世界文学の首都がパリであると考えるような〕ヨーロッパ中心の視野の限界を超えて、世界には驚くべき豊かさと多様性があると我々が日頃認識しているとおりに世界を考える必要がある。だからこそ、世界文学の研究アプローチがもっている包括性、異なる観点や意見の融合、より広い新たな地平の可能性が重視されなければならない」(19頁)。これは他の人文学においても試みうる挑戦かもしれません。
★『ロシア革命』は帯文に曰く「和田ロシア史学のライフワーク、遂に完成」と。ロシア革命100年であった昨年に、50年前の論文「二月革命」(江口朴郎編『ロシア革命の研究』(中央公論社、1968年所収)を書き直し、新たな資料や研究、新たな構想を加えて執筆され、「二月革命からはじまり、一〇月革命、そして第三のレーニンの革命にいたる、三段階のロシア革命像に行きついた」(493頁)のが本書だそうで、「八〇歳となった私の生涯最後の一冊である」(494頁)と述懐されています。主要目次は以下の通り。
序章 世界戦争に抗する革命――ロシア革命・ペトログラード1917年2月
第1章 ロシア帝国と世界戦争
第2章 革命の序幕
第3章 首都ペトログラードの民衆
第4章 首都の民主党派
第5章 首都の革命
第6章 国会臨時委員会とソヴィエト
第7章 二つの革命――さまざまな路線
第8章 軍部と皇帝
第9章 臨時政府の成立と帝政の廃止
第10章 革命勝利の日々
あとがきにかえて 私は二月革命をどのように研究してきたか
ペトログラード市街地地図(1917年)
ロシア革命年表
参考文献一覧
出典一覧
人物解説・索引
★『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!』は『How Men Age: What Evolution Reveals about Male Health and Mortality』(Princeton University Press, 2016)の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では第1章「男の老化と進化」と巻末解説も試し読みができます。本書によれば「オスの老化には、メスの老化にはない特徴」があり、それは「オスとメスでは生殖や代謝の生物学的基盤が異なり、そこから生じる制約条件も異なるから」だと言います(11頁)。この前提を踏まえ、本書は男性の老化を進化論から説明してくれます。「前立腺がんや筋肉量の低下、体重管理の難しさなど、男性が年を取るにつれて直面するさまざまな健康問題についての有益な観点」(21頁)が提示され、さらには「高年齢男性における〔成長や生殖に関わる〕形質の進化が人類全体の進化にどんな影響を及ぼしてきたか」(22頁)についても解説されます。父親と独身の違いや、贅肉が付いたり、老いて変わっていくことの進化医学的な意味というのは、男性にとってだけでなく女性にとっても興味深い話ではないかと思います。
★『デカルト』は2013年に刊行された『René Descartes』の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ロランス・ドヴィレール(Laurence Devillairs, 1969-)は西洋近世哲学、とりわけデカルトが専門の研究者で、文庫クセジュではこの先、彼の『思想家たちの100の名言』(2015年刊)も来年翻訳出版予定だそうです。また、訳者の津崎良典さんは今年年頭に魅力的な啓発書『デカルトの憂鬱』を扶桑社から上梓されています。ドヴィレールの初訳本となる今回のデカルト論は「神の「無限な」という在り方に焦点をあてることで、デカルト哲学を構成する代表的な論点のすべて(自我論、存在論、認識論、道徳論、生理学と機械論を含む自然学など)をそれに関連づけ、目配りのきいた豊富なデカルトからの引用文とともに統一的な視座から再解釈する試み」(訳者あとがきより)です。「デカルト形而上学の重心が、私は在る、私は存在すると主張することよりも、無限なものの観念を知解することのほうにかかっている」(64頁)とする著者の切り口を、訳者は特異なものとして評価しておられます。本書の論点は著者の2004年に公刊された博士論文『デカルトと神の認識』(未訳)でも展開されているとのことです。
★『確率微分方程式』は、1975年に産業図書から刊行された書籍の文庫化。著者の師である伊藤清が確立した「伊藤積分」をふまえ、「マルチンゲール的手法に重点」(5頁)を置きつつ確率微分方程式を解説したもので、カバー裏紹介文の文言を借りると「自然界や社会における偶然性を伴う現象」の定式化や、「物理学・数理ファイナンスなど幅広い応用をもつ理論の基礎」をめぐる、基本的文献です。著者の弟子にあたる重川一郎さんによる解説が付されています。主要目次は以下の通り。
はじめに
記号その他
第1章 ブラウン運動
第2章 確率積分
第3章 確率積分の応用
第4章 確率微分方程式
付録Ⅰ 連続確率過程に関する基本定理
附録Ⅱ 連続時間マルチンゲールのまとめ
各章に対する補足と注意
文献
解説(重川一郎)
索引
+++
『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン著、高野優訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体1,800円、828頁、ISBN978-4-334-75384-9
『方丈記』鴨長明著、蜂飼耳訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体640円、152頁、ISBN978-4-334-75386-3
★『nyx 第5号』は、第一特集は「聖なるもの」(主幹:江川純一×佐々木雄大)で、第二特集が「革命」(主幹:斎藤幸平)です。目次詳細は版元ドットコムに掲出されています。さらに3本目の柱は小特集「マルクス・ガブリエル」で、千葉雅也さんとガブリエルさんの対談「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」と、ガブリエルさんの京都大学講演「なぜ世界は存在しないのか――〈意味の場の存在論〉の〈無世界観〉」が収載されています。また、特集には属していませんが飯田賢穂さんによるレポート「なぜ、哲学なのか? 発言する哲学、越境する哲学」も掲載されています。これは、明治大学文学部に新設された哲学専攻を記念して今春行われたシンポジウムの様子を写真とともに報告したものです。プログラム内容についてはプレスリリースをご覧ください。また、簡単なイベントレポートが大学ウェブサイトに掲出されています。
★第5号はまばゆい金色の表紙がまず目を惹きますが、ここまで全体に金色を使いながらあざとくもしつこくもないというのは稀ではないでしょうか。また内容面でも、今回の二大特集は「聖なるもの」と「革命」で、一見相反する主題のようにも見えますけれども、いずれも規範を超えた力の収斂と放射を伴なう特異点として現われる事象であるという意味では議論の回路が相互に開かれているわけで、この二つが双子として頁を分け合っているのは故なきことではないと言えそうです。一方、ガブリエルをめぐってはまもなく青土社の月刊誌『現代思想』の2018年10月臨時増刊号として「総特集=マルクス・ガブリエル――新しい実在論」が発売になりますので、『nyx 第5号』のほか、ガブリエルの既訳書『神話・狂気・哄笑』(ジジェクとの共著、堀之内出版、2015年)や『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年)、「資本主義はショウ(見世物)だ」(セドラチェクとの対話、『欲望の資本主義2』所収、東洋経済新報社、2018年)などと併せ、売場が再び盛り上がるのではないかと思われます。
★千葉さんとガブリエルさんの対談は、千葉さんが東浩紀さんと行った対談「モノに魂は宿るか──実在論の最前線」での『なぜ世界は存在しないのか』批判を踏まえてガブリエルに切り込んでおり、哲学者自身の応答を聞く良い機会となっています。千葉さんと東さんの対談は改稿のうえ、「実在論化する相対主義――マルクス・ガブリエルと思弁的実在論をめぐって」として「ゲンロンβ28」に前編が掲載されています。また、千葉さんは来月下旬に河出書房新社より新著『意味がない無意味』を上梓される予定ですし、ガブリエルさんの著書は洋書でも店頭で着実に売れていると聞いていますので(例えば『私は脳ではない(I am Not a Brain: Philosophy of Mind for the 21st Century)』や『意味の場(Fields of Sense: A New Realist Ontology )』など)、『nyx 第5号』はしばらく参照され続けるのではないでしょうか。
★次に創刊12周年だという光文社古典新訳文庫の9月新刊より2点。『未来のイヴ』(1886年)は今までに文庫では渡辺一夫訳(岩波文庫、1938年)や、斎藤磯雄訳(創元ライブラリ、1996年)で読むことができましたが、斎藤訳は『ヴィリエ・ド・リラダン全集』第2巻(東京創元社、1977年)が底本ですから、新訳というのはとても久しぶりのことです。巻末解説をお書きになった海老根龍介さんは本作について「時代に背を向けた、ときに鼻白むような反動的精神が、未来をも見とおすかのような広い射程を備えた鋭い批評精神と結びついているさまもまた、『未来のイヴ』を特徴づける両義性のひとつといえるだろう」と評価しておられます。なお、押井守監督作品『イノセンス』(2004年)の冒頭で『未来のイヴ』第5巻第16章での科白が引用されているのは周知の通りですが、これは渡辺訳(下巻157頁)でも斎藤訳(339頁)でもありません。今回の高橋訳では578頁で読むことができます。曰く「現代の〈神〉や〈希望〉がもはや科学的なものでしかないのであれば、どうして現代の〈愛〉が科学的になってはいけないのだろう〔…〕。いけないことはあるまい」。
★『方丈記』は、現代語訳と原典の間に訳者の書き下ろしエッセイ「移動の可能性と鴨長明」を挟み、さらに原典の後には付録として『新古今和歌集』所収の鴨長明の和歌10首と、『発心集』巻五の一三「貧男、差図を好む事(貧しい男、〔自宅の〕設計図を描くのが好きだった)」の現代語訳と原文を収めています。巻末には、鴨長明が記述した安元の大火や治承の竜巻などの災害地図や「方丈の庵」想像図などをまとめた図版集や、鴨長明年譜、そして訳者による解説とあとがきが付されています。元暦二年(1185年)の大地震の頃、作者は数え年で31歳。「地震こそは、あらゆる恐ろしいものの中でもとりわけ恐ろしいと実感した」(32頁)と書き、その惨状や3か月ほど続いた余震について言及しています。さらに「地震の当初は、人々はみんなこの世の虚しさを口にして、少しは心の濁りも薄くなったかと見えたが、月日が過ぎ、年数が経つと、もうだれもなにもいわなくなる」(32~33頁)とも書き記した晩年の鴨長明は、人間のさがを冷静に見つめていたように思います。800年以上経過しても人間の本質がおおよそ変わらなかったと言うべきか、『方丈記』のメッセージは現代人の心に今なお沁みてくるものです。
★「世界というものは、心の持ち方一つで変わる。もし、心が安らかな状態でないなら、象や馬や七つの宝があっても、なんの意味もないし、立派な宮殿や楼閣があっても、希望はない。いま、私は寂しい住まい、この一間だけの庵にいるけれど、自分ではここを気に入っている。都に出かけることがあって、そんなときは自分が落ちぶれたと恥じるとはいえ、帰宅し、ほっとして落ち着くと、他人が俗塵の中を走り回っていることが気の毒になる」(48頁)。非常に滑らかな現代語訳だと思います。蜂飼さんによる古典の現代語訳は『虫めづる姫君 堤中納言物語』(2015年)に続く2点目です。
★なお光文社古典新訳文庫では、11月に、サルトル最晩年の、ベニ・レヴィとの対談『いま、希望とは(L'espoir maintenant)』が海老坂武さんの訳で刊行される予定とのことです。かつて「朝日ジャーナル」に翻訳が掲載されたものの改訂版でしょうか。何かと問題視されたこともあった対談を、ようやく冷静に読める機会が訪れるのでしょう。
+++
★続いてまもなく発売となる新刊注目書を列記します。
『吉本隆明全集17[1976-1980]』吉本隆明著、晶文社、2018年9月、本体6,700円、A5判変型上製656頁、ISBN978-4-7949-7117-3
『脱近代宣言』落合陽一/清水高志/上妻世海著、水声社、本体2,000円、四六判並製304頁、ISBN978−4−8010−0350−7
『評伝 小室直樹(上)学問と酒と猫を愛した過激な天才』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製762頁、ISBN978-4-623-08384-8
『評伝 小室直樹(下)現実はやがて私に追いつくであろう』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製744頁、ISBN978-4-623-08385-5
『イエズス会の歴史(上)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、中公文庫、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206643-4
『イエズス会の歴史(下)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206644-1
★『吉本隆明全集17[1976-1980]』は第18回配本。『悲劇の解読』(筑摩書房、1979年)と『世界認識の方法』(中央公論社、1980年)を中心に、1980年に発表された詩、評論、講演、エッセイ、アンケート、推薦文、あとがき、等を収録しています。さらに、未発表だったミシェル・フーコー宛の書簡を初収録。『悲劇の解読』は作家論集。歴史の停滞と空虚さの只中で批評の持続を引き受けようとする、五十路を越えた批評家の境地を看取できる見事な名篇です。吉本と作家の生が交差する深度から発せられる、色褪せようのない痛烈な太宰論にはこう綴られています。「気がかりな読者だけは作品や作家の跡から見え隠れに尾行をつづけ、ついに行き倒れて朽ちてしまう姿を見とどけなければならない。かれにはみすみす死地の方へ歩んでゆく作品や作者を、こちら側におしとどめる能力はないが、他人事でない気がかりさえあれば、その死にざまを見とどけることだけはできる。文学の周辺にはそういう悲劇的な関係の仕方も、ときにあるのではないか。わたしは青年のある時期、太宰治の作品にそういう関係に仕方をしたことがあった」(17頁)。人間失格という人ならざるものの地平へと滑り落ち、孤独な暗い水際に座した太宰と、その目の前に佇む亡霊のような吉本の時を超えた対峙には、呪われた葬列へと読者を否応なく引きずり込む禍々しさを感じます。
★フーコーとの対談「世界認識の方法――マルクス主義をどう始末するか」を中心に編まれた『世界認識の方法』に対しては、付属する「月報18」に収められた竹田青嗣さんによる「新しい世代が受け継ぐべきもの」が、興味深い位置づけを与えています。竹田さんは昨今日本でも輸入され話題を呼んでいる、メイヤスー、ガブリエル、ハーマンらの哲学の意義を簡潔に解説しつつ、それに先立つフーコーと吉本の対決を「世界の普遍認識の可能性をめぐる認識論上の根本的対立」と捉え、さらに吉本の「思想家としての最大の業績」が何なのかについて銘記しておられます。詳しくは現物にてご確認下さい。次回配本は12月下旬発売予定、第18巻とのことです。
★『脱近代宣言』は、メディア・アーティストの落合陽一(おちあい・よういち:1989-)さん、哲学者の清水高志(しみず・たかし:1967-)さん、キュレーターの上妻世海(こうづま・せかい:1989-)さんの三氏による鼎談集。お三方にとっても初めての鼎談本となるようです。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。落合さんは「はじめに」でこう書いています。「近代的な成長社会から成熟社会に臨んだ今、われわれはヒューマニズムの枠組みのなかの成長とは違った解釈を取りうるのではないだろうか。テクノロジーによるアプローチや、芸術的な美意識や価値の勃興に基づいたわれわれの文化的側面の再考は、平成の時代が終わろうとしている今、必要なことに思える」(12頁)。これまでは芸術書売場に置かれることが多かったはずの落合さんの本は本書の登場によって人文書売場まで越境してくることになるのかもしれません。
★脱近代を掲げる落合さんは例えば「人文系は、その〔=変革の〕速度を遅くするために働く、ダンパなので。本当にあれはよくないですね。なんとかしたいとは思っています」(131~132頁)と発言したりもします。ただし、こうした言質から彼を例えば加速主義者の枠組みで捉えるというのは単純すぎる割り切り方かもしれません。部分を切り取るような読み方は特に本書ではあまり有効ではないと思われます。新しい人類学や哲学――新実在論やオブジェクト指向哲学など――の動向へと参照項を開く清水さんと、「デジタルネイチャー」へと向かうアートとテクノロジーの可能性を追求する落合さん、そしてそれらを架橋する新しい批評とキュレーションの展望を与える上妻さんの、それぞれの議論のレイヤーが重なり合うさまを、読者は目撃することになります。論及されるのが仏教思想にせよ福沢諭吉にせよ、容赦なく侵犯していく本なので、各方面から様々なリアクションが生まれるだろうと想像します。
★『評伝 小室直樹』上下巻は書名が表す通り、高名な社会学者、小室直樹(こむろ・なおき:1932-2010)をめぐる大部の評伝です。ミネルヴァ書房さんの創業70周年記念出版だそうで、「橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』から5年。もう一つの日本戦後史がここにある!「小室直樹博士著作目録/略年譜」の著者・村上篤直が、関係者の証言を元に、学問と酒と猫をこよなく愛した過激な天才の生涯に迫る」と宣伝しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。オビやカバーソデには弟子である橋爪大三郎、副島隆彦、宮台真司、大澤真幸の各氏の推薦の言葉が並んでいます。著者の村上篤直(むらかみ・あつなお:1972-)さんは現役の弁護士。小室さんの弟子ではなく、生前に面識もなかったものの、人生の苦闘の中で小室さんの著書と出会い、ウェブサイト「小室直樹文献目録」を2000年に開設されています。村上さんは本書のはしがきで、小室さんのことを次のように端的に評しておられます。「内から湧き上がる情熱のままに、西洋近代文明の精華を学び尽くした天才。/練り上げられた方法論と研ぎ澄まされた霊感。/これによって洞察された過去・現在・未来の世界を、惜しげもなくわれわれの眼前に広げて見せてくれた」(iii頁)と。
★『イエズス会の歴史』上下巻は、原書房より2004年に刊行された書籍を改訳し、文献を追補して文庫化したもの。原書は1986年の『A History of the Society of Jesus』第2版です。上巻には、はしがき、第1章「創立者とその遺産」、第2章「地平の絶え間なき拡大(1556~1580年)」、第3章「急速な発展と新たな取り組み(1580~1615年)」、第4章「政治・文化の新たな覇権国家からの挑戦(1615~1687年)」と文献表Ⅰを収め、「イグナティウス・デ・ヨロラによるパリでの会の発足から17世紀後半まで、西洋諸国の歩みと深く関わる会の展開」(カバー裏紹介文より)を描いています。下巻では第5章「理性の時代との対峙(1687~1757年)」、第6章「追放、弾圧、復興(1757~1814年)」、第7章「新たな政治的・社会的環境と植民地世界への適応(1814~1914年)」、第8章「20世紀」、そしてクラウス・リーゼンフーバーさんによる追補「最近の発展(1985~2000年)」を収め、文献表Ⅱのほか新たに文献表Ⅲが加わっています。下巻では17世紀後半以降における教会と啓蒙主義の対立や、その後の展開を解説。文庫でイエズス会の通史が読めるようになるのは初めてのことです。
+++
★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。
『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』先崎彰容著、晶文社、2018年8月、本体2,000円、四六判上製316頁、ISBN978-4-7949-7053-4
『比較から世界文学へ』張隆溪(チャン・ロンシー)著、鈴木章能訳、水声社、2018年9月、本体4,000円、A5判上製261頁、ISBN978-4-8010-0360-6
『ロシア革命――ペトログラード1917年2月』和田春樹著、2018年9月、本体3,600円、46判上製584頁、ISBN978-4-86182-672-6
『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!――男の健康と老化は、女とどう違うのか』リチャード・ブリビエスカス著、寺町朋子訳、インターシフト発行、合同出版発売、2018年9月、本体2,200円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7726-9561-9
『デカルト』ロランス・ドヴィレール著、津崎良典訳、文庫クセジュ:白水社、2018年9月、本体1,200円、新書判220頁、ISBN978-4-560-51022-3
『確率微分方程式』渡辺信三著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年8月、本体1,200円、316頁、ISBN978-4-480-09882-5
★『維新と敗戦』は、産経新聞の二つの連載「『戦後日本』を診る」(2014年4月~2015年3月)および「『近代日本』を診る」(2015年4月~2016年3月)に加筆訂正した第Ⅰ部が全体の半分以上を占めます。福澤諭吉から高坂正堯まで23人の日本の思想家を取り上げ、彼等の言葉から現代を照射すべく試みておられます。第Ⅱ部は2011年から2018年にかけて各媒体に掲載された思想家論をまとめたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。東日本大震災の被災者の一人として著者はこう書いています。「あらゆる言葉が、「速すぎる」ように思えた。天災による激変に即応し、時宜にかなった説明が、すぐに手に入る状況はどうみても異常であった。新聞・出版をにぎわせる老若男女の知識人の手際のよさに、正直、戸惑ってしまったのである。/思想や文学を論じ生活の糧にする者には、もう少し謙虚さが求められるように思う。謙虚さとは、時代の変化に応じるよりは立ち止まり、言葉を発することに躊躇するというほどの意味である」(10頁)。第Ⅰ部では各思想家に3冊ずつ関連書が掲げられており、日本思想の棚を整理したい書店員さんにとって参考になるのではないかと思われます。なお以下のイベントが今週後半に予定されています。
◎先崎彰容×大澤聡「新・教養主義宣言――古い「ことば」こそ、新しい」
日時:2018年9月21日(金)19:00開演 18:45開場
会場:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース
料金:500円
受付:電話にてご予約を受付(先着50名様)。電話番号:03-3354-0131(紀伊國屋書店新宿本店代表番号/10:00~21:00)
内容:1990年代後半、大学に入学した先崎、大澤の二氏が目の当たりにした教養の崩壊。2018年の今、私たちは何を指針に、現代社会を評価すればよいのか。両氏の答えは「過去のことば」の復活。福澤諭吉から丸山真男まで、日本思想を読む醍醐味を、ぞんぶんに語り合う、本格派トークセッション。
★『比較から世界文学へ』は、英語圏で長らく活躍してきた比較文学研究者の張隆溪(チャン・ロンシー:Zhang Longxi, 1941-)による『From Comparison to World Literature』(SUNY Press, 2015)の全訳。『アレゴレシス――東洋と西洋の文学と文学理論の翻訳可能性』(鈴木章能/鳥飼真人訳、水声社、2016年)に続く、2冊目の訳書です。目次は書名のリンク先をご覧ください。序にはこう書かれています。「中国と西洋の文化的通約不可能性や根源的な差異を主張する意見について検証し、中国と西洋は通約可能であり、あらゆる面で違いがあるとしても、あらゆる困難を乗り越えて異文化を理解する必要があることを本書の目的として論じていく」(13頁)。「世界文学における「世界」という言葉を真摯に考えれば、そのような〔世界文学の首都がパリであると考えるような〕ヨーロッパ中心の視野の限界を超えて、世界には驚くべき豊かさと多様性があると我々が日頃認識しているとおりに世界を考える必要がある。だからこそ、世界文学の研究アプローチがもっている包括性、異なる観点や意見の融合、より広い新たな地平の可能性が重視されなければならない」(19頁)。これは他の人文学においても試みうる挑戦かもしれません。
★『ロシア革命』は帯文に曰く「和田ロシア史学のライフワーク、遂に完成」と。ロシア革命100年であった昨年に、50年前の論文「二月革命」(江口朴郎編『ロシア革命の研究』(中央公論社、1968年所収)を書き直し、新たな資料や研究、新たな構想を加えて執筆され、「二月革命からはじまり、一〇月革命、そして第三のレーニンの革命にいたる、三段階のロシア革命像に行きついた」(493頁)のが本書だそうで、「八〇歳となった私の生涯最後の一冊である」(494頁)と述懐されています。主要目次は以下の通り。
序章 世界戦争に抗する革命――ロシア革命・ペトログラード1917年2月
第1章 ロシア帝国と世界戦争
第2章 革命の序幕
第3章 首都ペトログラードの民衆
第4章 首都の民主党派
第5章 首都の革命
第6章 国会臨時委員会とソヴィエト
第7章 二つの革命――さまざまな路線
第8章 軍部と皇帝
第9章 臨時政府の成立と帝政の廃止
第10章 革命勝利の日々
あとがきにかえて 私は二月革命をどのように研究してきたか
ペトログラード市街地地図(1917年)
ロシア革命年表
参考文献一覧
出典一覧
人物解説・索引
★『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!』は『How Men Age: What Evolution Reveals about Male Health and Mortality』(Princeton University Press, 2016)の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では第1章「男の老化と進化」と巻末解説も試し読みができます。本書によれば「オスの老化には、メスの老化にはない特徴」があり、それは「オスとメスでは生殖や代謝の生物学的基盤が異なり、そこから生じる制約条件も異なるから」だと言います(11頁)。この前提を踏まえ、本書は男性の老化を進化論から説明してくれます。「前立腺がんや筋肉量の低下、体重管理の難しさなど、男性が年を取るにつれて直面するさまざまな健康問題についての有益な観点」(21頁)が提示され、さらには「高年齢男性における〔成長や生殖に関わる〕形質の進化が人類全体の進化にどんな影響を及ぼしてきたか」(22頁)についても解説されます。父親と独身の違いや、贅肉が付いたり、老いて変わっていくことの進化医学的な意味というのは、男性にとってだけでなく女性にとっても興味深い話ではないかと思います。
★『デカルト』は2013年に刊行された『René Descartes』の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ロランス・ドヴィレール(Laurence Devillairs, 1969-)は西洋近世哲学、とりわけデカルトが専門の研究者で、文庫クセジュではこの先、彼の『思想家たちの100の名言』(2015年刊)も来年翻訳出版予定だそうです。また、訳者の津崎良典さんは今年年頭に魅力的な啓発書『デカルトの憂鬱』を扶桑社から上梓されています。ドヴィレールの初訳本となる今回のデカルト論は「神の「無限な」という在り方に焦点をあてることで、デカルト哲学を構成する代表的な論点のすべて(自我論、存在論、認識論、道徳論、生理学と機械論を含む自然学など)をそれに関連づけ、目配りのきいた豊富なデカルトからの引用文とともに統一的な視座から再解釈する試み」(訳者あとがきより)です。「デカルト形而上学の重心が、私は在る、私は存在すると主張することよりも、無限なものの観念を知解することのほうにかかっている」(64頁)とする著者の切り口を、訳者は特異なものとして評価しておられます。本書の論点は著者の2004年に公刊された博士論文『デカルトと神の認識』(未訳)でも展開されているとのことです。
★『確率微分方程式』は、1975年に産業図書から刊行された書籍の文庫化。著者の師である伊藤清が確立した「伊藤積分」をふまえ、「マルチンゲール的手法に重点」(5頁)を置きつつ確率微分方程式を解説したもので、カバー裏紹介文の文言を借りると「自然界や社会における偶然性を伴う現象」の定式化や、「物理学・数理ファイナンスなど幅広い応用をもつ理論の基礎」をめぐる、基本的文献です。著者の弟子にあたる重川一郎さんによる解説が付されています。主要目次は以下の通り。
はじめに
記号その他
第1章 ブラウン運動
第2章 確率積分
第3章 確率積分の応用
第4章 確率微分方程式
付録Ⅰ 連続確率過程に関する基本定理
附録Ⅱ 連続時間マルチンゲールのまとめ
各章に対する補足と注意
文献
解説(重川一郎)
索引
+++