「山陽新聞」2017年3月5日付記事「高梁市教委への寄贈本10年放置 1.6万冊、遺族要請を受け返還」に曰く「高梁市教委に2006年に贈られた「万葉集」や備中松山藩の儒学者山田方谷に関する郷土資料などの書籍約1万6千冊が10年間にわたり放置され、寄贈者の要請を受けて市教委が昨年3月に返還していたことが、山陽新聞社による市への情報公開請求で分かった。寄贈したのは高野山大(和歌山県)名誉教授だった故藤森賢一さん=同市出身=の遺族で「利用されず残念」としている」。
「藤森さんの書籍は当時、〔・・・〕高梁中央図書館の蔵書として登録したが、スペース不足で西に約8キロ離れた旧成羽高体育館に保管。貸出時に取りに行く人員が割けないことなどから蔵書検索の対象から除外していたという。/新図書館開館(2月)に伴う蔵書整理で、夏目漱石や内田百けんの全集、所蔵していない備中松山藩、山田方谷の関連資料などを除き大半の廃棄を決定。〔・・・〕高梁市教委社会教育課は「職員数や書庫の制約で活用できず、遺族、利用者に申し訳ない。今後は寄贈本の取り扱い基準を明確化するなどして、きちんと対応したい」としている」。
高梁市図書館については以下を参照。
「T-SITE Lifestyle」2016年11月9日付記事「「高梁市図書館」が2017年2月オープン。コーヒーを飲みながら読書できる空間に」曰く「岡山県高梁市が、JR備中高梁駅隣接の複合施設内に建設中の「高梁市図書館」を、2017年2月4日(土)に開館する。カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(以下「CCC」)が指定管理者として運営する。/同図書館には、「地域コミュニティ・憩いの空間・地域物産が知れる・高梁の良さを知れる」という市民価値を実現するため、図書館内への観光案内所を移設、CCCがスターバックス コーヒー ジャパン 株式会社とのライセンス契約に基づき展開するBook & Caféスタイルの店舗を出店する。/市民も観光客もコーヒーを飲みながら図書館の本にふれ合える“Library & Café” のスタイルのもと、くつろぎの時間を利用者に提案する」。
「産経新聞」2017年2月4日付記事「「TSUTAYA図書館」全国4館目 岡山・高梁市に開館 カフェや書店併設、地元は期待」に曰く「カフェや書店も併設。社交場的な雰囲気で、初日から大勢の来館者でにぎわった。/新図書館は4階建ての複合施設(延べ床面積約3900平方メートル)内の2~4階(同2250平方メートル)に開設し、旧図書館より2万冊増の12万冊をそろえた。テラス部分を含めて356席あり、カフェで購入した飲み物とともに読書が楽しめる。/館内は吹き抜け空間で開放感にあふれ、子供専用の紙芝居コーナーや遊具、郷土史コーナーも設置。年間の来館者数は20万人を見込んでいる」。
「山陽新聞」2017年2月4日付記事「高梁市新図書館、待望のオープン 民間指定管理、カフェや書店併設」に曰く「指定管理者は、レンタル大手TSUTAYAの運営会社カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC、本店大阪)。2階のカフェ・スターバックス、蔦屋書店、観光案内所も運営する。市は2022年3月末まで、年間約1億6千万円の指定管理料を支払う。/CCCは13年4月以降、佐賀県武雄市、神奈川県海老名市、宮城県多賀城市の計3公共図書館を運営。当初、資料価値の低い中古本購入や、ジャンルの違う本を一緒に並べるといったことが問題となった。高梁市は市教委の選書点検や、月1回程度のCCCとの意見交換の場を通し運営をチェックする方針」。
「山陽新聞」2017年2月16日付記事「高梁市図書館 もう旧館1年分来館 3万人超え、年間目標上回る勢い」に曰く「岡山県内の公共図書館として初めて民間企業が運営を担う高梁市図書館(同市旭町)の来館者数が、開館8日目で2万3399人となり、旧高梁中央図書館の年間来館者数(2015年度2万3182人)を超えた。開館11日目となる14日には3万人も突破し、目標の年間20万人を大きく上回る勢いを見せている。/藤井勇館長(66)は「従来午後5時だった閉館時間が午後9時まで延び、気軽に利用できる児童書フロアや学習室も人気。駅に直結しているため、市外からの来館も多いようだ」と話している」。
寄贈本の処分決定について高梁市教育委員会からのコメントは新聞に出ているものの、CCCのコメントはまだ出ていないようです。寄贈本の処分決定に至る過程で、図書館や市教委がどのような協議が行ったのか、だれがどのように、どういった理由で決定したのかを、山陽新聞さんにはさらに詳しく報じていただきたいところです。この一件の教訓として今後「蔵書家が図書館に寄贈するのはまったくの無駄骨だ」とならないことを祈るばかりです(すでにそれがずいぶん昔から「現実」だったとしても)。
+++
世の移り変わりに合わせて図書館の機能を拡張しようという議論には一種、根深い難問が含まれているように感じます。
図書館を地域の文化拠点とすることに大義はあっても、その場合「文化」をどう定義するか、図書館の「役割」をどう定義し直すかが問題となります。その議論が単なる「箱物行政」に収斂するものではないことは明らかですし、「文化の諸地層」を保存することと「何となく文化的な空気感」を醸成することは混同すべきではありません。上っ面の装いに終始することは堕落であり、反知性主義の特徴のひとつです。その装いを裏打ちするのは「心地よさ」を求める情念であって、知でも真実でもありません。情念を揺さぶるならばフェイクでも構わないわけです。それが「ポスト・トゥルース」の時代の内実です。文明崩落の光景。そうした危機感を本に携わるあらゆる職種の人々が持てないならば、出版界にもはや未来はないでしょう。
情念は素早いですが、知は遅いのです。この「知の遅効性」にこそ、図書館の存在意義を支えるひとつの鍵があるはずです。近年の図書館は即効性を求められているのでしょうか。確かに出版社にも書店にも「短期回収」が必要ですが、それはビジネスだからです。図書館や教育にビジネスを持ち込むと、必然的に長期的な視野や普遍的な価値観なるものは等閑視されます。すべてが相対化されてしまう。それは悲劇です。絶対性へと至りつくことが不可能だとしても、目指さなければならない。不可能性から目をそらした時に私たちは「落ちぶれた現実主義者」になるのでしょう。それは成熟ではなく、果てしない転落への道です。
果たして「知の遅効性」を出版界はいかにして収益事業化しうるでしょうか。世界のすべてが猛スピードで過去へと追いやられてしまうこんにち、文化的遺産はいかにして保管され、維持されうるでしょうか。激流の中で領土を削られていく中州は水没するしかないのでしょうか。それとも彼岸と地続きになりうるのでしょうか。
+++
↧
メモ(14)
↧