★最近出会いのあった新刊を列記します。最初の『夢は人類をどう変えてきたのか』のみまもなく発売で、そのほかは発売済です。
『夢は人類をどう変えてきたのか――夢の歴史と科学』シダルタ・リベイロ(著)、須貝秀平(監訳)、北村京子(訳)、作品社、2024年11月、本体4,500円、四六判並製584頁、ISBN978-4-86793-054-0
『失われたスクラップブック』エヴァン・ダーラ(著)、木原善彦(訳)、ルリユール叢書:幻戯書房、2024年11月、本体5,200円、四六判変上製584頁、ISBN978-4-86488-310-8
『ひとごと――クリティカル・エッセイズ』福尾匠(著)、河出書房新社、2024年11月、本体2,500円、46判並製280頁、ISBN978-4-309-23160-0
『日本人の条件――東アジア的専制主義批判』大杉重男(著)、書肆子午線、2024年10月、本体4,500円、A5判上製536頁、ISBN978-4-908568-45-9
★『夢は人類をどう変えてきたのか』は、ブラジルの神経科学者シダルタ・リベイロ(Sidarta Tollendal Gomes Ribeiro, 1971-)の著書『O oráculo da noite: A história e a ciência do sonho』(Companhia das Letras, 2019)の、 Daniel Hahnによる英訳版『The Oracle of Night: The History and Science of Dreams』(Pantheon, 2021)からの重訳。訳者によれば本書は「「夢とは何か、夢を見ることを人類はどのように利用し、それは人類をどのように変えてきたのか」を解き明かすべく、人類史の始まりから最新の研究成果に至るまで、夢にまつわる歴史、文学、宗教、科学の世界を余すところなく探求」したもの。「世界的ベストセラー」と帯に謳われています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★「これからの数十年間で、夢を見ることが何をわれわれの存在に取り戻してくれるのか、あるいは何になるのかについての、包括的な理解がもたらされるだろう。夢とはすなわち、必要に応じて展開され、継続的な行動適応を促進する、洗練された心理生物学的ギアボックスだ」(第18章「夢みることと運命」454頁)。「われわれは太古の昔から夢を見てきた人々の末裔だ。都市文明において、夢が社会機能にとって不可欠なものではなくなったのが事実だとしても、多くの先住民文化では、そうした変化は一度も起こっていない。今日に至るまで、夢は狩猟採集民の心の中に生き、これを照らし続けている。彼らは、われわれの祖先がほぼ例外なく採用していた生活様式の、現代における後継者だ。狩猟採集民の夢の視点を理解することは、われわれをここまで導いてきた道筋と、われわれが直面している課題とを説明するうえで欠かすことができない」(同455頁)。
★『失われたスクラップブック』は、〈ルリユール叢書〉第41回配本(60冊目)。本名、年齢ともに不詳でフランス在住とも言われる作家エヴァン・ダーラ(Evan Dara)のデビュー作『The Lost Scrapbook』(Aurora, 1995)の初訳。「ピリオドなしに476頁続く独り言」(訳者解題、566頁)。「作品は全編、匿名の(そしてしばしば身元のはっきりしない)人物の発話と内的独白から成っていて、しかも、その語り手が数行から十数ページごとに)しばしば段落や文の途中で)突然切り替わるという奇妙かつ独特な仕方で綴られている」(同)。「本書のクライマックスは、終盤100ページほどで急に焦点が当たる物語、ミズーリ州イソーラという一つの街が写真関連の大企業オザーク社に滅ぼされる物語だ。それゆえにこの小説は現代における環境問題を扱った最重要作品の一つとされることがある」(訳者解題、575~576頁)。同書はウィキペディアでは「ポストモダニズム」「エコフィクション」と分類されています。
★「俺はその最中に、面白いことが起きているのに気づいた みんな、しゃべるときにただひとりごとを言っているみたいだったんだ――つまり、誰か特定の聞き手に向かってしゃべっているのじゃなく、自分の言葉を暗いリビングに向かってつぶやいているだけ 声は宙吊りのまま、孤独にそこに存在しているだけ、けれどもなぜか逆説的に、その孤独性がすごく人を引きつける だから俺はまた気を緩めて耳を傾けた」(63頁)。「音はただ消滅する これもまた一つの悲しさだ というのも、多くのものが失われるから 多くのものが失われる 実際、今も、俺が立っている場所でその過程が進行するのが見える――ここ、屋根の上で だって、こうして屋根に上って、たそがれる空を見ていると、世界中の音の波が静かに拡散していくのが見えるような気がするからだ――すべての音が力なく遠方の雲に吸い込まれ、すべてを一様化する夜の中に消えていく……」(65頁)。
★『ひとごと』は、哲学者で批評家の福尾匠(ふくお・たくみ, 1991-)さんの『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018年;河出文庫、2024年8月)、『非美学――ジル・ドゥルーズの言葉と物』(河出書房新社、2024年6月)に続く3冊目の単独著。『日記〈私家版〉』(2022年4月)を含めると4冊目になります。「2017年以降に書いてきた批評とエッセイ(と、インタビューがひとつ)収められている。30篇ほどの文章を並べるにあたって〔…〕まず「スモーキング・エリア」という全5回の連載エッセイをチャプターの区切りとして採用し、それぞれの回となんとなく(あくまでなんとなく)の内容の共通性がある文章を章のうちに配分するというかたちを採ることとした」(まえがき、16頁)。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。
★「本書の文章が書くことを試みているのは〔…〕何かが〈作品として現れてくる〉その瞬間をつかまえることである。批評とは、仮にそれがすでに作品として社会で了解されているものであっても、自分が出会ったものを新たなしかたで〈作品にする〉行為である」(同13頁)。「倫理なくして創造はなく、創造なくして倫理はない。〔…〕誰かを大切にするということはたんにその人を大切にすることではなく、そのひとから受け取ったものをもとに何か作らないとその人を大切にしたことにはならない」(18頁)。「触発と自律、あるいは倫理と創造ということで私が言おうとしているのは、まさしくドゥルーズの「差異と反復」の私なりの言い換えである。そして『ひとごと』を通して、一見ひどく高踏的な『非美学』のテーゼの身近さは、より実感しやすくなるのではないかと思う。/〔…〕『非美学』は『ひとごと』に収録されている様々な機会に書かれた文章を通して考えられたことなしには書かれなかった」(19頁)。
★『日本人の条件』は、文芸評論家で東京都立大学大学院教授の大杉重男(おおすぎ・しげお, 1965-)さんの『小説家の起源――徳田秋聲論』(講談社、2000年)、『アンチ漱石――固有名批判』(講談社、2004年)に続く3冊目の単独著。「本書を構成する各章は、もともと雑誌や紀要、同人誌に書かれた論文を、多くの場合根底的に大幅に書き換え、加筆したものからなっている。その過程で大半は論旨が変更になったり修正されている」(あとがき、471頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★「最初の本『小説家の起源』は、柄谷行人と蓮實重彦の批評に影響を受けつつも、それらとは異なる古典的な意味での文芸批評への自分なりのオマージュであったと、今はふりかえることができる。二冊目の『アンチ漱石』は、「夏目漱石」という日本近代文学の唯一的固有名の解体を目指した本であり、そのことにおいて従来の批評の枠組みや前提からの離脱を志向した」(同、466頁)。その後「次第に私の考えている問題を「東アジア的専制主義」批判と「東アジア同時革命」の理念の必要性という形で捉え直すようになった」(同、467頁)。「日本と「東アジア」の他の地域との間には深い隔たりがある。しかしその隔たりにもかかわらず、日本は常にすでに「東アジア」であり、それ以外のものではなかった」(470頁)。「私は「東アジア」としての日本について、まず第一部では歴史認識と漢字の問題から思想的に考察し、それから第二部では主に近代文学的テクストの転覆的読解によって問題の核心を探った。最後の覚書〔終章:東アジア同時革命についての走り書き的覚書〕は本書の結論であると同時に、それを破壊して未来に開くための架け橋のつもりである」(471頁)。