『メディア考古学とは何か?――デジタル時代のメディア文化研究』ユッシ・パリッカ(著)、梅田拓也/大久保遼/近藤和都/光岡寿郎(訳)、東京大学出版会、2023年7月、本体3,800円、A5判上製288頁、ISBN978-4-13-050207-8
★『メディア考古学とは何か?』はフィンランド出身のメディア理論家ユッシ・パリッカ(Jussi Parikka, 1976-)の著書『What is Media Archaeology?』(Polity, 2012)の全訳。『メディア地質学: ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える』(太田純貴訳、フィルムアート社、2023年2月;原著『A Geology of Media』University of Minnesota Press, 2015)に続く、訳書第2弾です。帯文に曰く「メディア考古学とは、古くなったり忘れ去られたりしたメディア技術(蓄音機、電信、タイプライター、初期のコンピュータなど)に着目し、過去のうちに現代のメディア状況との照応を見出すこと、あるいは、最新の状況に古いメディアの回帰を発見することで、メディアの起源や発展などをより良く理解しようとする試みである」。目次詳細は書名のリンク先をご参照ください。
★本書で目を引いたのは例えばこんな箇所です。「あらゆる有形物は劣化するのだが、その劣化こそが、修復プロジェクトがあったとしても回復されることのない根本的な時間性の痕跡である。このことは、モノに関わるキュレーションの実践の中で受け入れられているが、断片性やもろさ、劣化を前提とした考古学的コレクションにおいてはなおさらである。だが、一義的には機械による処理に関連する「モノ」を扱うとき、あるいはその記録装置を扱うときも、劣化はアーカイヴ化における重要な問題となる。というよりも、コンピュータにおける保存が主流になった時代だからこそ問題になるのである」(第6章「アーカイヴの動態性」165頁)。
★パリッカの学問的スタンスが表れていると思われる箇所も引いておきます。「私は、解釈し、理解し、批判するという伝統的な人文学や批判理論の道具にはさほど興味がなく、それらを使い、誤用し、変調することを目指して文化やメディアを分析する新たな形式に関心がある」(第8章「結論」228頁)。「ドゥルーズとガタリ、そして21世紀の物質性とジェンダー重視する人文学に固有のエートスとしてノマド的な文化の分析を洗練させたロージ・ブライドッティのような後続の研究者にとって、地図と地図製作法とは、その知の創造の核心に変容と変化を含む「領域間の関係性」を育成し、新たな地平を立ち上げる実験なのである。ドゥルーズ自身の著作においては、一見歴史を批判しているように見えるが、このエートスは、私にはメディア考古学を今後どう理解していくのかを告げる何かでもある」(229頁)。
★本書刊行から10年後を記念して今春(2023年4月19日)、パリッカ自身が参加するオンラインカンファレンス「メディア考古学とは何か? 10年後」がYouTubeの「Doctorado en Comunicación UFRO-UACH」チャンネルにてライブ配信されましたので、動画を貼り付けておきます。
★まもなく発売となる、ちくま学芸文庫の8月新刊は4点。
『社会思想史講義』城塚登(著)、ちくま学芸文庫、2023年8月、本体1,100円、文庫判288頁、ISBN978-4-480-51199-7 JANコード 9784480511997
『平賀源内』芳賀徹(著)、ちくま学芸文庫、2023年8月、本体1,600円、文庫判528頁、ISBN 978-4-480-51201-7
『聖トマス・アクィナス』G・K・チェスタトン(著)、生地竹郎(訳)、ちくま学芸文庫、2023年8月、本体1,100円、文庫判272頁、ISBN978-4-480-51202-4
『奴隷制の歴史』ブレンダ・E・スティーヴンソン(著)、所康弘(訳)、ちくま学芸文庫、2023年8月、本体1,400円、文庫判368頁、ISBN978-4-480-51203-1
★『社会思想史講義』は、社会思想史家の城塚登(しろつか・のぼる, 1927-2003)さんの生前最後の著書(有斐閣、1998年)の文庫化。もともとは放送大学のテキストとして1985年に刊行されたものの全面的な改訂版でした。「従来の「社会思想史」が、資本主義〈対〉社会主義という対立を基軸にして記述されていたのに対して、本書は、より広い視野に立ち、近代社会の形成から現代社会の変貌までに深く関与した社会思想を考察する」(「はしがき」より、16頁)。巻末解説として、社会思想史家の植村邦彦(うえむら・くにひこ, 1952-)さんによる「社会思想史は何を物語るか」が加えられています。
★『平賀源内』は、日本文学者の芳賀徹(はが・とおる, 1931-2020)さんのサントリー学芸賞受賞作(朝日新聞社、1981年;朝日選書、1989年)の文庫化。帯文に曰く「本草学者、画家、発明家、戯作者、鉱山開発者……江戸の複業家、その「非常」なる生涯」。巻末解説「「大江戸アイディアマン」解䌫始末」は、京都精華大学教授の稲賀繁美(いなが・しげみ, 1957-)さんがお書きになっています。曰く「破天荒な生涯の息遣いを、縦横無尽、領域横断、学際的に跋渉し、「博物学の世紀」1700年代同時代の、欧米世界との合わせ鏡の裡に、眼前に生き生きと蘇らせる。評伝文学の傑作である」。
★『聖トマス・アクィナス』、英国の作家G・K・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton, 1874-1936)による評伝『St. Thomas Aquinas』(1933年)の翻訳『聖トマス・アクィナス』(『G・K・チェスタトン著作集6』所収、春秋社、1976年)の文庫化。巻末特記によれば「文庫化にあたっては、山本芳久氏の協力のもと、明らかな誤りは適宜修正し、〔 〕で補足説明を行った」とのことです。東大教授の山本芳久(やまもと・よしひさ, 1973-)さんは巻末解説「「肯定」の哲学者としてのトマス・アクィナス」を寄せておられます。曰く「チェスタトンは、本書において、トマスの言葉を引用することはせずに、長年かけて徹底的に咀嚼したトマスの思想を自らの言葉で語り明かしており、その手腕は極めて見事なものである」。
★『奴隷制の歴史』は、米国の歴史学者ブレンダ・E・スティーヴンソン(Brenda Elaine Stevenson)の著書『What is Slavery?』(Polity Press, 2015)の全訳。親本はなく、文庫オリジナルで、なおかつスティーヴンソンの単独著の本邦初訳です。「奴隷制はほとんどの場所や地域で今なお存在している。〔…〕本書は、奴隷の生活とそれを形づくった奴隷制を詳細に検討することにより、その存在と影響力の展開を記録したものである。〔…〕特に人口統計学、法的構造、アフリカ文化の変化・交流・レジリエンス、物質文化・物質的支援、抵抗と順応、結婚と家族、労働と余暇、そして虐待・処罰・報酬を中心に論じている」(「はじめに」より、12~13頁)。主要目次は以下の通り。
謝辞
はじめに 奴隷制とは何か
1 大西洋奴隷貿易以前の時空を超えた奴隷制
2 アフリカでの起源と大西洋奴隷貿易
3 北アメリカの植民地世界におけるアフリカ人
4 南北戦争以前のアメリカ合衆国における奴隷制と反奴隷制
結論
注
訳者あとがき
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『新空位時代の政治哲学――クロニクル2015-2023』廣瀬純(著)、共和国、2023年8月、本体3,500円、菊変型判並製368頁、ISBN978-4-907986-97-1
『カオズモポリタン文学案内――世俗的リアリズムと本能の美学』大熊昭信(著)、法政大学出版局、2023年8月、本体4,000円、四六判上製380頁、ISBN978-4-588-46022-7
『新装版 フロイト著作集第5巻 性欲論/症例研究』ジークムント・フロイト(著)、懸田克躬/高橋義孝/吉村博次/飯田真/細木照敏/田中麻知子/山本巌夫/山本由子/森山公夫/土居健郎(訳)、人文書院、2023年7月、本体6,500円、A5判上製462頁、ISBN978-4-409-34059-2
『メディアと自殺――研究・理論・政策の国際的視点』トーマス・ニーダークローテンターラー/スティーブン・スタック(編著)、太刀川弘和/髙橋あすみ(監訳)、人文書院、2023年8月、本体3,600円、A5判並製270頁、ISBN978-4-409-34063-9
『マルクス・ガブリエルの哲学――ポスト現代思想の射程』菅原潤(著)、人文書院、2023年8月、本体2,500円、4-6判並製276頁、ISBN978-4-409-03126-1
『音楽と政治――ポスト3・11クロニクル』宮入恭平(著)、人文書院、2023年8月、本体2,800円、4-6判並製276頁、ISBN978-4-409-04125-3
★『新空位時代の政治哲学』は、同志社大教授の廣瀬純(ひろせ・じゅん, 1971-)さんの『週刊金曜日』誌での連載「自由と想像のためのレッスン」(2015年5月~2023年6月)に加筆修正したもの。「本書は、いかにして資本主義に絶対的限界を突き付けるかを「状況」の下で思考すること」(L・アルチュセール)へと読者を誘う「政治哲学の書」である。〔…〕世界各地での革命過程の再開とともに、倫理的転回を経験して久しい日本の哲学・思想環境が再び大きく政治化することを期待する」(「あとがき」より、364頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧いただけます。
★『カオズモポリタン文学案内』は、英文学者の大熊昭信(おおくま・あきのぶ, 1944-)さんによる世界文学論。「今日のグローバルな文学状況を一言で言い表すには、世界文学では漠然としている。〔…〕生きのいい文学を、その生きのよさに似つかわしい新品の造語を用いてカオズモポリタン文学と命名しよう。〔…〕それは世界文学、コスモポリタン文学、クレオール文学、エクソフォン文学などで提示された価値観や今日的な思想・感情・行動を包含するにもってこいだ」(「はじめに」より、7頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★人文書院さんの新刊3点と近刊1点。『新装版 フロイト著作集第5巻』は、4月刊行済の『新装版 フロイト著作集第4巻 日常生活における精神病理学 他』に続く『新装版 フロイト著作集』の第2回配本。旧著作集から今のところ第4巻から第7巻までが再刊予定の、新組新装版です。収録作は「性欲論三篇」「幼児期の性理論」「ナルシシズム入門」「性格と肛門愛」「女性の性愛について」「リビドー的類型について」「解剖学的な性の差別の心的帰結の二、三について」「ある五歳男児の恐怖症分析」「あるヒステリー患者の分析の断片」「子供のうその二例」「児童の性教育について」「強迫行為と宗教的礼拝」「欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について」「呪物崇拝」「戦争と死に関する時評」。それぞれの訳者名については書名のリンク先でご確認いただけます。「知識というものはすべて断片的であり、そして知識のどの段階にも未解決の部分が残る」(「ある五歳男児の恐怖症の分析」より、257頁)。
★『メディアと自殺』は研究論集『Media and Suicide: International Perspectives on Research, Theory, and Policy』(Routledge, 2017)の全訳。「本書は、メディアと自殺に関する多様なテーマを、世界の自殺予防研究者、ならびに自殺予防活動家が執筆している〔…〕一級の学術書」(訳者あとがきより)。「メディアが自殺に与える影響」「メディアの影響に関する理論」「自殺対策」の3部構成で、8か国より34名が寄稿しています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編著者のトーマス・ニーダークローテンターラーはオーストリアの自殺予防学者で、「パパゲーノ効果」の提唱者。スティーブン・スタックは米国の社会学者。「映画を含む多様なメディアの自殺への影響を長年研究している」(訳者あとがき)とのことです。
★『マルクス・ガブリエルの哲学』は、丸々一冊をガブリエル哲学紹介にあてた日本初の研究書。未邦訳の主著三冊『意義の諸領野』(2015年)、『諸々のフィクション』(2020年)、『暗黒時代における道徳的進歩』(2020年)の概要を説明し、その「「ポスト現代思想」とでもいうべき射程」(16頁)を論じたものです。著者の菅原潤(すがわら・じゅん, 1963-)さんは日本大学工学部教授。近年の著書に『実在論的転回と人新世――ポスト・シェリング哲学の行方』(知泉書館、2021年)、『梅原猛と仏教の思想』(法藏館、2022年)などがあります。
★『音楽と政治』は今月下旬発売。「サウンドデモや愛国ソングなど、東日本大震災以後に起きた音楽をめぐる数々の出来事をたどり直し、多様な社会学的枠組みを使い、この問いに迫っていく」(帯文より)。「この問い」というのは、ポピュラー音楽と政治的言説との関係性が3.11以降にどう変わったのか、をめぐるもの。著者の宮入恭平(みやいり・きょうへい, 1968-)さんは大学非常勤講師。ご専門は社会学、ポピュラー文化研究、カルチュラル・スタディーズとのことです。
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【雑記22】
出版人の日常において些細なことのようで本当はそうではないもの。そのひとつとして著者などの略歴問題がある。どう自己紹介をするかは自身の自由のはずだ、というのは実は真実ではない。名乗りというのは自分自身のためではなく、他者のためであるからだ。存命中は気にしていなくても、自意識過剰になると死後には伝わらない。これは存外に重要なことである。しかしことさらに話題にされることは少ないように思う。
肩書と生年の記載が後世のためには有効である。同姓同名同漢字の人名の場合、次にはヨミが問題になる。ヨミまで同じの場合、同一人物なのか他人なのかを区別しうるのは、生年と肩書だ。生年を記載するのはエイジズムに資するためではない。固有名というのは割とありふれているものだということを理解しなければならない。
肩書については積極的に名乗るものがない、あるいはあえて名乗りたくないとしても、何かしらの記載があった方が、本人以外にとっては便宜に適っている。ある人物が何者であるかを誰かに伝えるとき、その説明は端的である方がいい。自身の心情ないし信条よりも、他人からどう見えるか、客観視する必要がある。むろんこれは見栄えの話ではないし、定職にこだわれという意味でもない。
いささか逆説的ではあるが、固有名は我有化しえない。一方で、ただ一人自分のものではないからといって、自由に別名を名乗れるか、といえばそうでもない。例えば極端に記号化されたり単純化された名前は厄介である。わざわざ検索に引っかかりにくくするようなものだ。また、通常はそのようには読めないというような特異すぎるヨミも同様に厄介である。個性の追求はそこでなくていい。名乗りとはこのように難しいものだ。
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