◆2016年9月1日午前9時30分現在。
「文化通信」2016年8月31日付記事「丸善ジュンク堂書店、戸田書店と業務提携」によると、「丸善ジュンク堂書店と戸田書店(静岡市)はこのほど、仕入・物流・データ管理を一体化し、商品管理・店舗開発の強化を目的に業務提携することで合意した。提携契約は9月1日に締結する。両社は資本提携も視野に入…(以下有料)」と。
丸善CHIホールディングス
丸善ジュンク堂書店
戸田書店
のいずれかのサイトでプレスリリースが出るものと思われます。
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◆9月1日午前11時現在。
過去記事ですが、「産経新聞」2015年6月19日付記事「【静岡 人語り】元戸田書店仕入部顧問、杉本博さん」(上・中・下、全3回)をこの機会に読んでおきます。
杉本博(すぎもと・ひろし:1949-)さんは「藤枝江崎書店勤務〔1979年入社〕を経て、59年〔1984年〕に戸田書店に入社。全国に30店舗以上を展開する同社の仕入れを一手に引き受け、後にミリオンセラーとなる書籍をいち早く見いだすなど、“伝説の書店員”として出版業界の信望を集める。〔・・・〕今年4月に引退」と。この記事は杉本さんへのインタヴュー記事で、杉本さんの半生を振り返るものとなっています。構成は村嶋和樹さん。
まず「上」篇より。「当時藤枝警察署の近くに「麦」という喫茶店があって、家業を継いだコーヒー好きの兄がよく連れていってくれました。店には豆本図書館が併設されていて、豆本コレクター兼製作者の小笠原さんという皮膚科のお医者さんとよく文学の話をしましたね。先生から「藤枝に小川国夫さんという作家がいるよ」という話を聞くうちに興味が沸いて、高3の時に初めて小川さんのお宅に行きました。そこで作家や編集者にも紹介されましたが、普通の生活にはない“毒”をもらいましたね。/小川さんとはよく遊び歩いたんですが、〔・・・〕」。
一人の高校生が地元の作家や編集者と私的に交流できたというのは、作家のプライバシーが守られている(はずの)こんにちでは羨ましいことですね。しかし、様々な通信手段や輸送手段の進歩によって個人同士の距離感が変化した現在でも、そうした「地域に根差した機会」があってもいいはずです。杉本さんが小川さんとのひとときを大切にされていた様子が記事から伝わってきます。
次に「中」篇より。「当時の藤枝江崎書店はとんがった品ぞろえで、こんな本屋があるのかとびっくりしましたね。もちろん食い扶持は食い扶持でしっかり稼がないといけないので、ベストセラーや雑誌もちゃんと置きます。でもかつての池袋リブロのように、とんがった店づくりをしたいというスタッフがたくさんいました。/その後、藤枝の戸田書店に移りましたが、かなり堅い内容の本でも必ず買うお客さんがいましたね。「これはあの人とあの人の分」という感じで分けておくんです。「この本はあっちの棚にあるべきだ」なんて言ってくるお客さんもいて、読み巧者たちに鍛えられました。自分で買う本は自分が興味のある本だけですが、本の世界には人間が想像し得るあらゆるジャンルの本がある。それを個人ですべてカバーすることは不可能ですから。面白かったのは、これはという新人が出てきても、メジャーになると売れ行きががくっと落ちるんです。売り上げが大きい他の店舗と藤枝店で売り上げが交差すると、ああこの人はもうメジャーになったなと判断できましたね」。
70~80年代の書店さんの風景が今とは違っていたことが窺えます。書店員さんだけでなく読者も違っていたというべきでしょうし、出版人も作家も研究者も違っていたでしょう。また、時代の推移の中で、変わらないものもある、とも言うべきかと思います。杉本さんのお話からは脱線しますが、「あの頃は良かった」と年長者が振り返るのを若者は苦々しく感じたりすることが、世間ではありますね。私は「あの頃は良かった」と思える過去があることは素敵だと思いますし、肯定したいです。さらに言えば、現在という過去の「なれの果て」を否定する自由もあるはずですし、変わらないものを称揚することが幻想だとも思いません。とある書店をめぐる記憶は様々であり、書店員のものだけではなく、訪問客や常連客のそれもあるのだと改めて思います。
最後に「下」篇より。「出版の面白いところでもありますが、大手出版社は確かに大きな広告を打てるけど、本はどこから何が出るか分からないんですね。どんな小さな出版社にも、ベストセラーのチャンスはある。書店員も知らない中小の出版社と、個人的に関係を深めていました。ごく若い頃は、みすず書房の白いカバーに憧れて、会社にまで行ったら「うちの本なんて頑張ったってたかがしれてるから、他に行きなよ」なんて言われてね。でも、いい本を出しているところはやっぱり応援したいですから」。
リアルな話をすると現在弊社が戸田書店チェーンから新刊のご発注をいただくのは静岡本店さんのみであることが多いです。それが現実であり、それ以上を望むのは難しい状況です。とはいえ、中小の出版社のことを気に掛けて下さる書店員さんがおられたことは私たちにとって大きな励みです。丸善ジュンク堂との提携によって戸田書店がどう変わっていくのか(あるいは変わらないのか)はまだわかりません。書店チェーンのこうしたブロック化は今後も進むのでしょう。私が気になるのは会社の規模の拡大よりも、規模に見合った人材育成ができているかどうかです。
なお、「静岡新聞」2015年4月7日付記事「戸田書店・杉本さん(藤枝)が引退 書籍仕入れ続け30年」では、書棚や机の脇に資料が満載された仕事部屋での杉本さんの写真を拝見することができます。記事に曰く「データを重視した販売手法を取り入れながらも本の中身を第一に考え、その仕事ぶりは取引先から「職人技」と称された。厳しい書籍業界に「本の魅力を伝え続けてほしい」とメッセージを送る。〔・・・〕杉本さんは、書籍業界の活性化で連携する県内の他の系列書店にも「立場は違っても思いは変わらない」と敬意を表す。業界の将来に強い危機感を覚えるが、「本の役割は変わらない。本の面白さにこだわり、発信し続けてほしい」と後進に思いを託す」と。今回のジュンク堂書店との「提携」について、杉本さんなら何と仰るでしょうか。
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◆9月1日15時現在。
「新文化」9月1日付記事「丸善ジュンク堂書店と戸田書店、9月1日付で業務提携」によれば、「丸善ジュンク堂書店と戸田書店は仕入・物流・売上データ管理の一本化を目指す。まずは仕入の効率化・強化を図るため、9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した。スケールメリットを活かし、話題の新刊やベストセラーなどの仕入をスムーズにし、店舗へ潤沢に商品を供給する。今後、両社の強みを相互で吸収し合い、店舗運営に活かす。人事交流や資本提携なども視野に入れ、グループとしての体質強化を進める」と。
「9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した」というのが衝撃的です。普通に考えると、丸善ジュンク堂書店から調達するということは、SRC(丸善ジュンク堂書店書籍流通センター:2011年開所当時は埼玉県戸田市美女木東2-1-14の京葉流通倉庫北戸田営業所内に所在し、現在は東京都北区赤羽南2-19-1のDNPロジスティクス内に移転済)を活用するということだと予想されます。しかしSRCは大阪屋栗田帳合です。大阪屋栗田~戸田、という流れが、大阪屋栗田~SRC~戸田、となるのか、大阪屋栗田およびトーハンおよび日販~丸善ジュンク堂~戸田、となるのか、ややこしいです。物流そのものが変わる(準「帳合変更」的な)のか、伝票上の話(帳合は変わらず、戸田が丸善ジュンク堂の実質的な傘下となること)なのか。
つまり、「9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した」ということが、大阪屋栗田との取引中止を意味するのかどうか(大阪屋栗田が戸田書店を「切った」のか、その逆で大阪屋栗田が「切られた」のか)、あるいはそもそも「まだ互いに切れてはいない」のかは、続報を待つ必要があります。ようやく大阪屋栗田での番線とコードが振り分けられたばかりなので、版元としては「いったい何ごとか」と驚かざるをえません。
さらに言えば、版元営業としては、SRCが例えばトーハンに帳合変更するのか、あるいはMJ(丸善ジュンク堂書店)が紀伊國屋書店とともにPMIJ(出版流通イノベーションジャパン)での直仕入を本格始動させるのか、などとも深読みしうる状況ですが、まずははっきりした情報を戸田書店や丸善ジュンク堂書店がリリースすべきかと思われます。現状では今後、戸田に営業を掛けたらいいのかMJに掛けるべきなのか分かりませんし、MJだとしてもどの部署が窓口になるのか分かりません。
業界仲間の早耳を頼りにする限り、どうやら事態は深読みするほどの状況ではないようにも感じるものの、ともあれ続報を待つしかありません。
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備忘録(36)
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